2 パ リ 1
リヨン駅の正面。 パリには、行き止まり型の起点駅として、リヨン、アウステルリッツ、モンパルナス、サンラザール、ノール(北)、エスト(東)の6駅がある。 このうち、リヨン、マルセイユ方面への列車の起点駅がリヨン駅。 前夜はわからなかったが、ホテルは駅のすぐ近くだった
リヨン駅の構内。 大変大きな駅で、南フランスへバカンスにでかける人たちで混雑していた。 この日は、同じリヨン駅からメトロを利用した。 メトロに向かう途中の地下通路は、ゴミがあふれ、尿の臭いで満ちていて、パリに着いて早々、期待感を裏切られた。
メトロのリヨン駅。 パリのメトロで気付いたこと。●各車両の間の行き来ができない。●ドアは半自動で、レバーを回すか、ボタンを押すと開く。●座席はボックス型で、出入口にも補助椅子がある。混雑時は補助椅子には座らないマナーがいきわたっている。●改札は入口だけで、出口にはない。しかし、数名の車内改札隊が乗ってくるのを、一回体験した。●それでも、タダ乗りをする人がいる。
メトロのバスチーユ駅。 フランス革命に関する絵が壁面に描かれている。革命は、バスチーユの監獄を市民が占拠することに始まると言われている。 ここで乗り換えて、ルーブル博物館に向かった。
午前中は、ルーブル博物館。 博物館の中庭にはピラミッドがある。パリ再開発の計画「グランプロジェ」の一環として1988年にできたもの。 中庭を取り囲んで、シュリーとドノンの翼が展示室として使われていたが、それだけで見学に4時間かかった。訪問した1993年末には、リシュリューの翼も展示室になったので、再訪問しようと思いつつ、果たせていない。
館内風景。 絵画が壁にじかに展示されているのに驚いた。特別なものいくつかをのぞいて、ケースには入っていない。 全体として、太陽光の採光に力が入られていて、明るい館内だ。ピラミッドの下の地下部分が入口だが、入口付近も、透明ピラミッドのために、大変明るかった。
ミロのヴィーナス。 こういったとても有名な作品も、何気なく展示してあるから、よく注意していないと見逃してしまうかも、、 このほか、モナリザ、サモトラケのニケ、ナポレオンの戴冠など、見たかったものを直接見ることができて、とてもよかった。
午後は、パリ市内の各地を見学。 まずは、カタコンベへ。カタコンベは、地下墓地のことで、地下道の側面は、骨の山のような状態だった。ここには600万体の骸骨が眠っているという。
入口は目立たないところだ。入ると、まず、螺旋階段を下りる。そして、洞窟のようなところを500mくらい歩いた。 その後、両側の壁に骸骨がぎしると積み上げられている中を500mくらい歩いた。最後に螺旋階段を上り、地上に出るが、そこは入口から、500mほど離れたところだ。
続いて、パンテオンへ。 ここには、ルソーなど有名な文化人の墓がある。 ルソーのほかには、ミラボー、ヴィクトル・ユーゴー、ゾラなどの墓がある。 上のドームは、階段を上がるのは大変だったが、上からの眺めはとてもよかった。
次に、クリュニー美術館へ。 右は入口。中世の彫刻が中心。
さらにセーヌ川に沿って建っているコンシュリジェリーへ。左はその全景。 ここは、もともとは、王宮の門衛がいた場所だったのだが、フランス革命のときに監獄となった。 囚人は、ギロチンに上るときに、ここから1km離れたコンコルド広場まで歩いた。 下は、マリー・アントワネットの部屋。
マリー・アントワネットは、1793年8月2日から10月16日まで、この部屋に収容されていた。 この隣は、ダントン、ロベスピエールが収容されていた部屋である。 いづれも、建物の最上階にあり、一般の部屋より広かった。家具は模造品だろう。座っているのは人形。
夕刻になり、サント・シャペルへ。 裁判所の建物の中にあるので、裁判所の入口を通らないとならなかった。ステンドグラスがきれいだった。
最後に行ったのは、ノートルダム寺院。 1330年ごろに完成した大聖堂。行ったときにミサをしていた。フランス革命のときには、かなり壊されたらしいが、その後、修復された。ナポレオンの戴冠式やドゴールの葬儀などは、ここで行われた。
|