日 目

 

 朝は空が明るくなり始めた4時30分ごろ起こされた。町の防災放送があったためだ。利尻礼文地方の大雨・洪水警報が引き続き発令されていること、礼文林道が閉鎖されたということなどが放送された。

 このあと、この日の予定を考えた。8時45分の船で稚内に戻って、観光だ。一方、帰路に使う関空行きの便が定時運行されるかも、ANAモバイルで調べた。台風は九州を北上する気配なので、大丈夫だとは思うが、気が気でない。

 こういうとき、「旅割」という安いチケットは、変更がきかないから不便だ。変更できるのなら、稚内についた後、すぐに空港へ直行。羽田経由で帰るというものだ。追加の費用はやむを得ない。だが、「旅割」なので、変更すれば、半額がキャンセル料にかかる。これはつらいので、予定通り関空行きに搭乗することにした。

 朝食は6時30分から。早いせいか、食べ終わっても、まだ次のお客さんがやってこない。従業員が、レストラン内で直立して待機している中で食べるわけで、落ち着かない。

 この日の朝食も、バイキング形式だったが、料理の種類が豊富でよかった。左上には、ホタテの八宝菜、大皿のなかには、カニコロッケがあるあたり、漁港らしさを感じさせる朝食内容だ。

 8時に港まで送ってもらい、船を待った。稚内からの船が少し遅れて入港したが、客の入れかえをおこなって、定時に出発した。

 稚内まで2時間弱、揺れを心配したが、さほどの激しい揺れはなく、稚内まで戻ることができた。

 当初、午前中は礼文島ハイキングを考えていたが、この場合、稚内では観光時間ゼロで空港に直行だった。だが、朝一番の便にしたため、稚内で5時間程度の余裕がでた。どうするかを、船内で考えていたらもう到着。

 
 最初に向かったのは、稚内のバスターミナル。宗谷岬に行った帰りのバスから、空港行きのバスに乗り継ぐにはどのバス停で乗り換えるのがよいか尋ねるためだ。声問局前で乗り換えられることが判明。同時に、自動車学校前で下車して空港まで歩くという方法も教えてもらった。雨がやんでいたら、歩くことにした。

 そのあとは、稚内公園へ。以前、稚内に来たときは、冬で吹雪いていたために、山上の公園には近づけなかた。それで、まず、坂道を20分ばかり歩いて、公園へ。

 左は、氷雪の門。樺太への望郷の思いで建てられたもの。人の像は、樺太を望むように建っているが、まったく島影を見ることはできない天候だ。

 右は、公園から見た市街地。港がよく見える。

 

 

 

 

 

 左は、南極地域学術観測隊樺太犬供養塔。昭和35年の第1回南極観測隊に同行した15頭の樺太犬を供養するもの。このうち、1年間、南極で越冬で生き延びていたタロ、ジロは有名だ。

 さらに、15分ほど歩いたとことにある北海道開基百年記念塔に向かった。歩き始めてしばらくすると、すごい霧に覆われた。

 不安になったものの、案内板では開館していると書いてあるので、歩いていった。天気がよければ、遠くからでも目立つはずの塔だが、すぐそばに行くまでどこにあるのかわからなかった。

 一応、エレベータで塔の上に上がり、霧だけを見た。塔の下部は、北方記念館になっていて、かなり見ごたえがある。

 天北線コーナーでは、廃線になった天北線関係の資料が並べられ、興味深かった。







 

 

 樺太コーナーや戦前の稚内の写真のコーナーもゆっくりと見た。

 しかし、あまりゆっくりしていられない。13時45分発のバスで宗谷岬に行くからだ。その前に昼食もとらねばならない。

 昼食は、バックパッカーなどの旅人に知られた店という「お天気屋」という喫茶店でとった。メニューを見ると、面白いネーミングの料理が並んでいるが、そのなかで、リシリアンカレーを注文。

 なぜ、リシリアンなのか。利尻富士に似た盛り付けのドライカレーだからからだった。

 落書き帳があったり、鉄道写真が展示してあったり、また行ってみたい店だった。

 カレーだけでは物たらなかったので、稚内駅の中の立ち食いそば屋でも腹ごしらえ。

 

 

 

  

 稚内駅は以前やってきたときのままの姿。だが、夜行列車や天北線が姿を消して寂しい感じがする。

 

 

 

 

 なんとか、バスに間に合った。50分かけて宗谷岬に向かった。右は、宗谷岬で下車時に撮影したもの。

 

 

 

 

 

 

 日本最北端の地の塔は、以前と変わらないが、周囲の様子は 様変わり。売店などが増え、賑やかになっている。



 間宮林蔵の立像もある。これは、以前来たときにあったのかどうか思い出せない。

 

 

 

 

  

 フランスへ1万km強、石垣へ2800km。この距離を比べて、案外、日本も大きいなぁって感じた。

  



 岬の背後の丘に建つ、旧海軍の見張り台。ここから宗谷海峡を監視していたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1983年の大韓航空機撃墜事件の犠牲者の慰霊碑である、祈りの塔。

 15時8分のバスに乗るため、宗谷岬では忙しかった。雨はやんでいたので、25分ほど乗った自動車学校前で下車。ここから2kmほど歩いて空港に向かった。

 左上は、滑走路の延長部分。

 左は、ロシア語の表示入りの標識。

 

 

 

 

 

 30分ほど歩いて空港ターミナルに到着。途中、花はあまり咲いていなかったが、19度と涼しくて気持ちよく歩けた。

 16時45分発の関空行き。心配していた遅れなどはなく、定刻どおり飛んだ。

 乗客は30人以下ととても少なかった。もともと少なかったのか、それとも台風に関係して、キャンセルや便の変更をした人が多かったためか、気になる。

 無事に関空到着。関空はこの日から第2滑走路を使用開始したが、搭乗機も第2滑走路に着陸した。第1にくらべて、ターミナルから遠く、ゲートまでの時間がかかるのが残念だ。ともあれ、無事に旅行終了だ。

 

 

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