1日目

 

  香港への旅、これは自分にとって初の海外旅行。その後、何度となく海外旅行に行くことになるが、このときは、そう度々はない貴重な旅と思っていた。行き先は、いくつかの候補のなかから、香港を選んだ。何となく、漢字が使われるところは安心感があったのと、すでに決まっていた香港の中国 返還の前にぜひ訪問したいという気持ちが強かったためだろう。

  この旅では、「ホテル+航空券」型のツアーを利用している。出発の数日前に、旅程表が送られてきて気分が盛り上がる。利用航空会社未定だったが、ここではじめてJAL利用と判明。当日は、空港の指定されたカウンターに集合とあるが、ここでは航空券が渡されるだけで、香港に到着して現地係員に会うまでは、各自で行動のようである。

  さて、当日、何しろ海外旅行は初めてのものだから、カウンターで航空券を渡されて、簡単に説明を受けてもピンとこない。最近は、ツアーの場合でも、いきなり搭乗券が渡されるのでなく、航空券が渡されて、各自で搭乗券に引き換えるのが一般的になっているが、当時は、ツアーでは搭乗券が渡されることが多かった。だが、このときは航空券が渡された。

  航空券を搭乗券に換える手続きは、国内線の場合でもあるのだが、自分の場合は、飛行機に乗ることもはじめてだったのだ。だから、この交換のことが、わかりにくかった。なぜなら、鉄道しか利用しておらず、鉄道ではこのような手続きがないからだ。でも、交換してみて、指定券だけをもらうようなものだと理解。

  次に、出国手続き。当時は、今はなき日本人用の出入国カードが存在していた。もっとも、ツアーの場合は、自分の名前などが印刷された出入国カードが渡されるから、自分で書くことはない。このときは、事前に旅程表などとともに郵送されてきた。2回目の海外旅行は、完全な個人旅行で、このカードも自分で書いて、以後、自分で書くのが定着したから、たまに、ツアーを利用したときは、この程度のことをわざわざ、、と思ったりした。

  このページの最上部の出入国印は、OSAKAとあるが、これは伊丹空港のもの。当時は、関西空港がまだできておらず、伊丹空港(正式には大阪国際空港)利用だったのだ。伊丹空港発着は、この3年後まで続いた。また、当時の出入国印は、現在のものと、形や記載事項が違うし、色も違っている。

  やがて、搭乗。機内でのいろいろな出来事もはじめてなので好奇心をもって体験した。だから、3時間あまり退屈するということはなかった。機内食はとても楽しみだった。機内食を撮影していなかったのが悔やまれる。

  そして、香港到着。当時は、香港の市内まっ只中の啓徳空港が使われていた。離発着のときは、ビルの上わずかのところを飛行機がかすめていくと聞いていたが、本当にその通りで、窓からすぐのところにビルがあり、びっくりした。

 

  入国審査。何か聞かれたときに備えていたが、何も聞かれることはなく、あっという間に入国。このときの旅行での香港の出入国印が上のもの。左上は、日本からの入国。左下は、深センへの出国。右上は、深センからの入国。右下は、日本への出国。こうしてみると、まず、英領であることをあらわす王冠が入国印に描かれているのが特徴だとわかる。また、印の色は、空港では黒、羅湖の陸路国境では赤だということがわかる。

  このあと、ターンテーブルで荷物の受け取り。今なら、香港なら中くらいのリュックで決まりなのだが、このときはスーツケースを利用した。海外旅行はスーツケースという固定観念があったのだろう。2回目の海外旅行はフランスへの個人旅行で、このときはフランス国内を移動する旅だったのだが、同じスーツケースを使った。このときにスーツケースの大変さがわかり、以降はスーツケースは、完全パッケージの旅で何回か使っただけだ。

  現地係員が出口のところで、旅行社名の書かれたボードを持って待っていて、迷わずに合流できた。しかし、ツアーの悲しさ、全員が出てくるまで待たなければならない。荷物が一番遅く出てきた人に合わせての出発となる。待っている間に両替をしておこうと、銀行の場所を尋ねたら、バスの中で自分がしてあげるから、と言われた。銀行のレートより悪いレートで交換さされたのだろうが、このときは、そんなこともわからず、バスの中で現地係員に両替してもらった。今なら、たとえこういうツアーでも、自分で銀行をみつけて、さっさと両替をすませると思うが。

  ようやく、バスが出発。車内では、いろいろと注意などをしてくれるが、ほとんど、事前に調べていたようなことなので、現地係員がついてくれるというのは、迷わずにホテルへ直行できるというだけのように感じた。そして、両替。

  このツアーは、ホテルが選択できるようになっていて、いくつかのホテルに立ち寄っていった。先に九龍側のホテルを回り、そのあと、香港島側のホテルを回り、最後に、自分の泊まる利園酒店(リーガーデンホテル)に到着。

  ここで、2日目に簡単な香港観光がアレンジされているのだが、その観光のキャンセルを申し出た。最近では、こうした観光に参加しない場合は現地で追加料金が必要になるとか、観光がついていないやや高めのツアーを選ばされるようだが、このときは、現地係員に申し出るだけでOKだった。最終日に、ホテルに迎えにきてくれる時間を念を押して伝えられた。

  このあと、係員がチェックインを手伝ったくれた。慣れないものにとっては、サービスであるが、各ホテルでやっていると、あとのホテルに向かうものにとっては、待たされることになる。このときの旅のあと、「ホテル+航空券」型の旅は、航空券のみの手配ができず、やむを得ずに利用した1回をのぞいて、利用していない。空港から出発するさいに待たされることと、各ホテルを回らされることがイヤだったからだ。それと、帰国日にホテルに迎えにきてくれたあと、免税品店に立ち寄るというのもしてほしくないことだから。

  チェックイン後は、現地係員と別れ、最終日にまた会うまでは、個人旅行と変わらない旅ができる。部屋で少し休んだあと、ホテルの周辺を見に外出。

  上の建物は、リーガーデンホテル。現在は、このホテルはなくなっていて、低層の高級品のショップが入ったビルになっている。

  これは、ホテルから路面電車の走る大通りに向かう途中で撮影したものと思われる。香港島の銅鑼湾地区である。

  銅鑼湾の地下鉄駅の前にて。たまたま、シーク教徒らしいインド人が通りがかって、国際的な写真が撮れた。

  この日には銅鑼湾周辺を散策して、食事をしてホテルに戻ったのか、中環あたりまで路面電車か地下鉄に乗って行き、そちらを主に回ったのか、画像がないのでまったく思い出せないのが残念である。食事も何を食べたのか、まったく不明。

 

2日目 

 

  この日は、本来なら簡単な観光があったのだが、断ったうえで参加していない。旅程表によると、観光は次のようなものだ。

  午前、香港島観光(ターガーバーム公園、ビクトリアピーク、レパルスベイ等)。昼食は市内レストランにて飲茶料理。午後、九龍半島観光(ネイザン通り、難民アパート等)。

  回るところに魅力を感じなかったのと、ここには書いてなくても、バッグだか時計だか知らないが買いたくないものの商店に引き回されるのは間違いないからだ。ただ、今となっては、なくなってしまったタイガーバーム公園も行っておきたかったとか、難民アパートってどこのこと?とか、行っておきたかったなぁと思う部分も少しだけある。

  2日目、上の駅は、柴湾。香港島側の地下鉄の東側の終点だ。香港の通勤ラッシュを体験。

  次に、路面電車の東側の終点である「○箕湾(○は竹かんむりに「肖」)」まで戻り、路面電車で西側の終点である屈地街まで乗り続けたようだ。上の画像は、中環あたりだと思う。

  路面電車の2階部分。

  これは、上環あたりのような、、

  上は、中環と上環の間、今はエスカレーターがあるところの一番下の部分ではないだろうか。

  上は、路面電車の分岐点であることがわかる。したがって、銅鑼湾のすぐ西側にある競馬場方面への分岐だろう。何しろ、分岐点はここしかないから。

  さて、この日はどこをどう回ったかはっきりしない。たぶん、香港島の路面電車沿いのエリアを電車と徒歩で回ったのだろうと思う。

 

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