11   ア グ ラ

  アグラは、タージ・マハルが有名だが、自分の場合は、アグラ城のほうが印象に残っている。

  ムガル帝国は一時期、16世紀にアグラを都とした。そのときの皇帝がアクバル、皇帝の居所がアグラ城。

  左は、アマル・スィン門から城内に入ったところ。

  この日、アグラは猛烈な霧に覆われていて10m先がようやく見えるという有様。ホテルからのろのろ運転のバスでアグラ城にたどりついた。

  写真は建物の近くに寄らないと写せないので、アグラ城やタージ・マハルの画像は全景を写したものがほとんどない。

  アグラ城は、赤い建物が多い。赤砂岩で作ってあるのだ。

  

  霧で先がほとんど見えない、、
  ジャハン・ギール宮殿。木製のように見えるが、扉の部分をのぞいて、赤砂岩で作られている。
  こちらも同じ。
  カース・マハルは謁見の間で、ヤムナ川を一望できるのだが、この日は何も見えなかった。
  この一角に外にはみ出している塔があり、これがサマン・ブルジュ(囚われの塔)。

  シャー・ジャハンは、皇帝の位を息子のアウラングゼーブに奪われ、この部屋に閉じ込められた。この部屋からはヤムナ川をこえて、シャー・ジャハンの妻の墓であるタージ・マハルが本来は見える。彼はタージ・マハルを見ながら息を引き取ったという。

 

  ここから見るタージ・マハルが美しいとのことだが、一面、霧で何も見えず。手前のヤムナ川も見えなかった。
  タージ・マハルの入口付近にて。
  タージ・マハルの入口。

  ここは皇帝シャー・ジャハンがその妻のし死を悲しんで建てた巨大な廟だ。白い大理石でできていて、インドを代表する建築物として名高い。

  シャー・ジャハン自身も死後、この廟内に葬られた。

  この先にタージ・マハルがあるのだが、、
   かなり近くによってもこの有様。
  建物のそばでようやくどんな建物かわかった。
  四隅にはミナレットがあるのだが、近くまで行かないとわからなかった。

  外壁には装飾が施していあることが、そばによってわかった。大理石の部分は靴を脱いで入場する。
  アグラ市内の様子。  
  同じくアグラ市内。
  アグラからバスで1時間ほどかかり、ファテープル・シークリーに到着。

  アクバルによって建てられた城である。アクバルは一時期、都をアグラからここに移したが、わずかの期間で再度、アグラに戻らざるを得なかった。それは水を得にくかったから。その後、ここは廃墟になった。

  木製のように見えるが、石でできている。
  建築物自体も木製のような形をしているが、石でできている。古来の木造建築を石造りで造ったのである。
  午後になってようやく霧がなくなった。
  このあとバスでジャイプルに向かった。

 

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