2000.3 ソウル・板門店・慶州

 

1日目

  午前便で金浦空港着。すぐに地下鉄で鐘路3街へ。あたりで旅館を探した。韓国は3回目なのだが、1回目はYMCAホテル、2回目はYMCAホテルと日本から予約ができた旅館に泊まったので、まったく予約なしで旅館に泊まるのは初めて。

  ラブホテル風の旅館が何軒かある。多少、入るのに躊躇したのだが、韓国では、ラブホテルと一般旅館が兼用になっているという話を知っていたので、新築されて間がなさそうなこぎれいなところ選んで入ってみた。韓国語はよくわからないのだが、すぐに泊まるという意思は伝えられ、お金を払い、代わりにハブラシを受け取って部屋に行った。

  少しだけ部屋で休み、外に出てまずしたことは、翌日の板門店ツアーのリコンファーム。日本語でOKだ。今のところ実施されそうであるが、前年のように、当日の朝になって、いけなくなることもある。何しろ、2回の訪韓で2回とも予約を入れておきながら、2回ともツアーがキャンセルになってしまったのだから、今回も心配なわけだ。

  この時点で15時ごろだと思うのだが、このあと、どこをどう回ったか、さっぱり覚えていない。ソウルからは離れていないことだけは確かなのだが、、、食事場所とか食事内容などもまったく不明。

 

2日目

  旅館を出るときに、翌日の深夜に戻ってくる、ということを伝えようとするが、なかなかうまくいかない。紙に図や数字を書いて、「今日は慶州で泊まり、明日の深夜にここに戻ってきて泊まる」ということを何とか伝えた。本当は、「今日は夜行バスで車中泊。明日の朝に慶州に着いて、深夜ここに戻ってきて泊まる」わけだが、話がややこしくなるので、少し話を変えたわけ。

  正直なところ、前日に付近を歩いていて、ラブホテル風ではない旅館もあったし、少しくたびれたような旅館のほうがもっと安いだろう(泊まったところも安かったのだが、、)とか思ったのだが、何しろ、翌日は、深夜にソウルに戻るので、予約がないことにはこころもとないからだ。多分、深夜でも探せば、旅館に泊まれるだろうと思いながらも、慣れていないので、ここでもう一夜お世話になることにしたわけ。

  旅館を出たあと、近くで朝食。何を食べたのか、今となってははっきりしない。集合時間までまだ時間があるので、鐘路3街からツアーの集合場所であるロッテホテルまで歩いた。

  この日は、板門店ツアー。ロッテホテルの中の大韓旅行社のオフィスへ。確か、9時30分集合で、10時出発だったと思う。パスポート番号はあらかじめ連絡してあるが、集合時にパスポートを点検される。ロッテホテルの駐車場でバスに乗り込んだ。バスは英語のバスと日本語のバスがあり、日本語のバスに乗車。30分間ほどは諸注意と解説が続いた。

  1時間ほどで、民統線(民間人出入統制線)に到着。バリケードがあるためにバスはジグザグ運転。しばらくいったところで韓国軍兵士が乗り込んでくる。ここからは、車窓からの撮影も禁止される。やがて板門店に到着。最初に昼食。あまり美味しくはなかった。そばの売店をのぞいたりする。写真集などを購入した。

  そして、説明と映画、そして何やらサインを求められた。何が起こっても、自分の責任です、といったような内容だったと思う。

  このあとで、ようやく見学だったと思う。まず、自由の家。韓国側の代表団の待機所のようなものだろう。展望台があって、そこからは北朝鮮側の板門閣や境界上の会議場の建物などがよく見える。写真をとる場所は決められていた。

  会議場付近で警備する兵士は、体の半分が建物の陰に隠れるようして、半分を建物から出すというようにしているとのことだ。南側は国連軍なので、警備にあたっているのは米軍かと思っていたが、韓国軍がとってかわっているようだった。

  そして、停戦委員会の会議場の見学。会議場の建物は、軍事分界線をまたいで建っている。そして、建物内に限って、軍事分界線を越えることができる。境界がはっきりとわかるように、床に線が描かれている。北朝鮮側に行って写真撮影などもしたが、写真が行方不明になってしまっている。

  バスに乗ったまま、少しはなれたところにある、ポプラ事件のポプラの木、帰らざる橋などを見た。このあとは、ソウルに帰るのみ。ツアーによっては、ほかの場所に立ち寄る場合もあるようだが、この日のツアーは、単純に板門店を往復しただけだった。ロッテホテルには15時30分ごろに戻ったと思う。

  このあと、深夜12時すぎの夜行バスに乗るまでの間、どういう行動をとったのかはっきり覚えていない。ただ、まず最初にいったん、高速バスターミナルまで行って、深夜のバスのチケットを確保してから、ほかの場所に行ったことだけは確かだ。

  チケットを確保してから、どこかで夕食をとり、そのあとどこかに立ち寄り、22時か23時ごろにバスターミナルに戻ってバスを待ったのだとは思うが、詳しくはわからない。

  そして、深夜の慶州行きのバスに乗車。この日は車中泊。

 

3日目

  慶州(キョンジュ)に着いたのは、まだ5時前だったはず。あたりは真っ暗。とはいえ、バスターミナルの待合室には、暖房が入り、すでに早朝のバスに乗るために、客が待っていた。ここで7時ごろでがんばった。特に何もするでもなく、じっとがまん。途中で朝食。持参していたか、売店で買ったのかよくわからないが。

  7時ごろ行動開始。この日は半日、車をチャーターし、慶州の周辺部分を回り、午後からは、慶州の中心部を歩いて回るという計画だ。バスターミナルの外に待機していたタクシーと交渉。行きたいところを書いたメモ(事前にハングルで順路を記した図を作って持参したのだ)を見せた。そして料金交渉も成功。

  慶州は1000年間、新羅の都として繁栄した。新羅は、日本が大陸文化を吸収した時期に強力であったので、その名前は日本でもよく知られている。現在でも、慶尚北道の道都である。(もっとも、都市の大きさでは大邱(テグ)のほうが大きく、慶尚北道の中心はどちらかとは言いにくいような状態だが)

  最初に向かったのは、石窟庵(ソックラム)。仏国寺のところから山道に入り、細い道をクネクネ上がっていった。30分ほどで駐車場に到着。ここからは、さらに徒歩で15分ほど山道を上がった。石窟寺院になっていて、仏様が安置されていた。とても有名な仏像らしいのだが、すでに記憶から去ってしまい、山道を歩いたことしか覚えていない。

  見学を終えて駐車場に戻ったのは8時30分ごろのはずだ。次に向かったのは仏国寺(プルグクサ)。ここは8世紀に創建された大きな寺だ。ここは、文禄・慶長の役のときに、加藤清正らによって焼き払われ、現在ある木造建築物のほとんどは、その後に再建されたものだ。広いエリアにたくさんの建物があり、ひととおり見て回るのに1時間くらいかかった。

  次に、掛陵(ケヌン)へ。同じところを3度通る順序になったが、入場できる時間の関係でだ。ここは、元聖王の陵墓で、新羅の古墳の代表とされている。入口から歩いて見に行って、戻って20分ほどかかり、この時点で10時30分ごろ。

  このあと、普門観光団地。普門湖(ポムンホ)の回りで開発されたホテルやレジャー施設の一群。ここは、湖をちらっと見ただけで十分だった。

  慶州の中心部にさしかかる前に、芬皇寺(プファンサ)に行った。ここは現役の寺ではなく、ほとんど遺構だけが残るところだが、とても広い。

  慶州の中心部を抜けて、街の西側にあるみどころに向かった。金ゆ信将軍墓太宗武烈王陵だが、今は、印象が全然ない。

  次に、慶州の南、南山地区のうち行きやすいところへ。行ったのは、五陵鮑石亭。こちらも、今は、印象がなくなっている。この地区は、ハイキングコースがあって、ほかにもみどころがたくさんあるので、また行ってみたい。

  最後に、クロサンパプの前で降ろしてもらった。13時前くらいだ。ここで昼食をとるためだ。昼食はサンパプ。葉野菜にいろいろなおかずを巻いて食べるのだ。おかずの皿が大量にでてきたはずだが、写真がなくて残念だ。

  午後は、慶州の中心部を徒歩で回った。最初に、大陵園。古墳がたくさんある公園である。この公園の中に、金冠が出土した天馬塚があり、その内部を見ることができる。かなり広くて、ぐるっと回るだけでも30分ほどかかった。

  さらに、膽星台(チョムソンデ)、鶏林(ケリム)、半月城(パノルソン)を見て、国立慶州博物館へ。かなり広い敷地で、野外展示もあった。時間がおしせまってきていたので、駆け足での見学だったが、とても充実していた展示だったという印象がある。韓国各地にある国立博物館のなかでも、特に見ごたえがあるところのように思う。

  このあと、雁鴨池(アナプチ)という庭園の跡を見て、慶州駅まで歩いた。街中をゆっくりと見るだけの余裕がなかった。

  予定していたセマウル号に間に合い乗車。当時は、連結されていた食堂車を利用した。やがて、車窓は真っ暗になり、居眠りしてすごした。ソウルに到着したのは23時ごろだった。地下鉄で旅館に向かった。

 

4日目

  この日は、夕方までソウルですごしたので、丸一日を使えた。だが、どこに行ったのかとか、何を食べたのかとか記憶が消えてしまっている。画像が残されていれば、それをもとに思い出すことができるのだが、画像も行方不明。ソウルからでていないことだけは、確かなのだが、、、

  こうして、4日間をフルに動き回って帰国した。

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