1 シンガポール その1

関空から日航機でシンガポールへ。

ラッキーにも、ビジネスクラスにアップグレード。 座席がずいぶんゆったりとしていて、くつろぐことができる。機内食も少し違うようだ。

量も多いが、なにより、食器からして、食事らしいのがいい。約6時間でシンガポールへ。
チャンギ空港から乗合タクシーで市内へ。当時はまだMRT(地下鉄)が空港まで通じていなかった。

YMCAホテルに宿泊。着いたときはもう暗くなっていたので、この日はどこへも行かず。

2日目は、主に徒歩でいける所を中心に、シンガポール市内を見て回る。

YMCAホテルは、MRTのドビーゴート駅の近くにあり、都心部だというのに、周囲は緑が多い。

まずは、フォートカニングパークへ。

都心部にある小高い丘。古くは砦であったのだが、19世紀にラッフルズ卿が、ここをシンガポール支配の拠点とした。第二次大戦のさい、要塞として攻防戦がくりひろげられた。見晴らしはとてもよく、シンガポールが高層ビルの並ぶ大都市であることがわかる。

公園の中には昔の門などが残されている。中国系の人たちが多数を占める国だけあって、朝は太極拳をしている姿がみられる。
丘をおりて、国立博物館へ。

このときは、たまたま日本占領時代の特別展がおこなわれていた。太平洋戦争でシンガポールをめぐる戦いがあったのが1942年12月から翌年2月ということから、訪問した12月に特別展が行なわれていたのだろう。当時の日本語教科書や軍票、戦争で使われた武器などが展示されていた。

シンガポールで使われる言葉は4つ。英語、中国語、タミル語、マレー語。シンガポールは人口の3分の2が中国系で、あとマレー系やインド系の人たちが多い。そして、旧支配国であるのが英国。そのため、4つの言葉が公用語。しかし、一番目につくのは英語であり、事実上は英語国といっても良い状態である。
アルメニアン教会

アルメニア人の資金で建てられた教会。アルメニア人には富豪が多く、ラッフルズホテルを建てたサーキーズ兄弟もアルメニア人。宗派はわからなかったが、内部は簡素で新教ではあり、アルメニア正教というわけではない。

セント・アンドリュース教会

ラッフルズ卿が建てさせた英国国教会。19世紀に建てられたあと、まもなく建てかえられたものである。

シンガポールの高層ビル街を1kmくらい離れたところから望む。
シティホール

シンガポール政府の建物。第二次大戦のさい、日本軍の降伏文書の調印が行なわれた場所である。建物の前には、大きな公園がある。

血債の塔

正式には「日本占領時期死難人民紀念碑」という。日本占領期に5万人(あるいは2万人)の住民が虐殺された。その記念として1967年の2月15日(シンガポール陥落の日)に落成。4本の塔が集まっているが、中国系、インド系、マレー系、ユーラシア系の住民を意味するという。

 

血債の塔の下部。正方形の4辺の1辺が写真の中国語の表示で、ほかの3辺は、英語、タミル語、マレー語で書かれている。
ラッフルズ卿上陸地点

シンガポール川を背にしたラッフルズの像が立つ。彼は19世紀前半、シンガポールを貿易の拠点として発展させた。

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