1 ミ ャ ン マ ー 入 国

 

 ミャンマーへは、何年か前にも旅の計画をたてたことがあり、ビザもとり、あとは出発という段になって中止した経緯がある。今回は、ほぼそのときの計画に沿って、ミャンマーの主な観光地を一通り回ろうという旅である。

 ミャンマーでは、11世紀ごろに仏教が広まり、そのころ現在のミャンマーの中心部を支配していたバガン王朝のもとで、巨大な寺院やパゴダがバガンを中心にたくさん造られた。その後、国が混乱した時期もあるが、17世紀にバゴー、インワ、19世紀にアマラプラ、マンダレーがと統一王朝の都になっている。今回は、バガンと近代に都になった4箇所の全部を訪問する予定だ。(インワとアマラプラはマンダレーの近郊)

 しかし、19世紀中ごろから英国の進出が激しくなり、1886年に完全な英国領になった。その後、太平洋戦争時の日本軍の支配時期をはさみ、1948年に独立した。独立後は、独裁制が続き、1988年以降は軍政になっている。軍政に反対する民主化運動は根強く続けられている一方、中央政府と周辺の少数民族との抗争も続いている。なお、かつては、この国はビルマと呼ばれていて、国名が変ったのは1989年のことである。

 首都は、ヤンゴンであったが、2005年秋に突然、中部のピンマナに遷都が発表され、現在は、その移行期のようである。とはいえ、経済的には、依然としてヤンゴンが国の中心であることには変わりがない。

 ミャンマーへは日本からは直行便が一時期あったが現在はない。したがって、バンコク、クアラルンプル、台北などのうちどこかで乗り継ぐ必要があり、なかでも時間的に最も乗継が便利なのが、バンコク経由でタイ航空を利用するルートである。ただ、今回は、バンコクへの直行便がとれずに、マニラ経由の便となった。

 今回、アライバルビザを利用したのだが、この制度、まだあまり知られていないようで、搭乗手続きのときにビザの代わりに、旅行会社から送られてきた証明書を提示したのだが、カウンターの職員では判断できず、上司らしき人と相談すること5分ほど。ほどなくOKとなったが、自分の後ろに並んでいた塔乗客はイライラしていたことだろう。(注:その後、2016年末に訪問した際には、eビザの制度ができていて、ネットで簡単にビザうがとれた。さらに、2018年からはビザが不要になった。)

 同じタイ航空で自分の乗った便の1時間後にバンコク直行便があるのだが、バンコクにはそちらのほうが1時間早く到着する。もっとも、ヤンゴンへの乗継便は同じ便になるのだが。機内食は、関西・マニラ間とマニラ・バンコク間でそれそれ出される。まず1回目。

 退屈する間もなくマニラ到着。1時間ほど休憩。出発ゲート前の待合室に出て待つ。

 今回は、時計の針の修正を頻繁に行った。まず、日本とフィリピンで1時間、次にフィリピンとタイで1時間、そしてタイとミャンマーで30分の時差がある。そのため、飛行機に乗るごとに時計の針を遅らせた。帰国時も、マニラ経由だったので、時計の針を3回進めていった。それにしても、インドもそうなのだが、30分単位の時差というのはややこしいものだ。

 バンコクに向けて再出発。2回目の機内食。先ほどは和風だったが、今度はタイ風。

 そして、バンコク到着。連絡バスでターミナルに到着後、免税店などのあるエリアに出るとあと乗継便の出発まで1時間ほど。それほど待つこともなく、ヤンゴンに向けて出発。わずか1時間少しの所要時間だ。タイ国内線のチャンマイ行きなどと同じ程度の時間だ。それでも、ボックスミールじゃなく、しっかりと機内食が出る。

 水平飛行に移るとすぐに食事が配られ、食事後トレイは回収がすむと、すぐに着陸態勢に入るというあわただしさだ。よくぞ、ここまでして機内食を出してくれるものだと感激物であった。

  19時前に、ヤンゴンに到着後、タラップを降りて乗車したバスは、かつて日本のどこかで働いていた路線バス。非常口とか、お降りのときはボタンを‥という表示がそのままになっている。ターミナルに入ると何とも薄暗い感じだ。しばらく歩くと、自分の名前を書いた人が待っていた。まだ、入国手続の手前なのだが、旅行会社の人は入れるようだ。

 さて、今回のアライバルビザだが、これは現地の旅行社に依頼してあるもので、事前にビザ発給願いに書く内容や顔写真をメールで旅行会社に送っておくと、審査が行われ、到着時に発給されるというシステムである。ビザが発給されることが認められるとその証明書を画像化したものが旅行会社から送られてきて、ヤンゴン行きの搭乗手続きのときにはそれを見せるのである。だから、同じアライバルビザといっても、ほかの東南アジアの国(カンボジア、ラオス、インドネシアなど)で行われているようなほとんど無審査でほとんど外貨稼ぎだけが目的のアライバルビザとは性格が異なる。

 その人にパスポートと入国カードを渡すと、イミグレーションの部屋の中に手続きに行ってくれ、3分ほどで、ビザのスタンプが押されたパスポート と入国カードのうち、出国時に出す半券部分が戻ってきた。何と、入国手続きは本人が係員と対面しないで行われていたのだ。厳重なビザ管理の割りに何か抜けているような気がしないでもない。そして、何と、入国手続きに並ぶ人たちの行列の横のほうをすり抜け、あっという間に空港外にでた。 パスポートをよく見ると、入国印が押されていた。今回、アライバルビザを依頼してとてもよかったのは、行列に並んでいたのでは30分くらいかかりそうな本来の入国手続きをパスできたことだ。このことを考えると、やや高い料金だが、ホテル1泊とホテルまでの送迎もついていることも含め利用価値のある制度だと思った。

 すぐに送迎の車でホテルに送られ、30分ほどでヤンゴン市内のホテルに到着した。19時30分ごろ。(上のホテルの画像は、旅行後半に再度、同じホテルに戻ってきたときに撮影したもの)

 同じ旅行会社で、ミャンマー内の移動で使う国内線航空機や滞在するホテルや空港・ホテル間の送迎、それに一部の車の予約をしてもらっているので、それらの代金を米ドルで支払い、航空券とホテルバウチャーを受け取った。さらに、ミャンマー通貨であるチャットへの両替。

 

 部屋に入ったのが20時ごろ。まだ、外出可能な時間ではあったが、初日の懸案と考えていた現地通貨への両替がすみ、翌日は4時起床、4時15分朝食、4時30分ホテル出発という日程になっているので、もう部屋で休むことにした。それに、機内食を3回食べているので、もう夕食なしでもよかったということもある。

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