4  3日目後半・4日目  リスボン市内(その3)

 

    シントラ行きの列車が発着するターミナルであるロシオ駅は、バイシャ地区の高台に上がる途中にホームがある。

  ロシオ広場には直接面せず、50mほど離れたところに玄関がある。重厚な劇場風の建物だ。玄関を入ったところから、3階にあがるエスカレータがあり、そこがホームだ。

  また、ホームと地下鉄のレスタウラドーレス駅もエスカレータで結ばれているが、いったんロシオ駅の外に出てから、地下鉄の駅に降りた。

  ガイドブックでは、地下鉄のブルーラインは、バイシャ・シアードが終点になっている。しかし、自分が訪問したときには、サンタ・アポローニア駅まで延長され便利になっていた。

  バイシャ・シアードとサンタ・アポローニアの間に1駅あり、それがテレイロ・ド・パソで、フェリー乗場があるところだ。その駅で下車し、コルメシオ広場の側に出た。

  コルメシオ広場から少し離れたカフェ「カステラ・ド・パウロ」に行ってみた。ポルトガルに里帰りしたカステラを味わうために。

  リスボンの菓子職人パウロさんが、1993年(日葡友好450年)に南蛮菓子のデモンストレーションをおこなうために来日。そのときに長崎でカステラに出会い、1996年に長崎でカステラ修行した。

  智子ドゥアルテさんは、ポルトガル菓子や料理に関心を抱き、ポルトガルに渡り、働かせてくれる菓子屋を見つけた。そこでパウロさんと知り合い結婚。1993年にはパウロさんとともに一時帰国。

  1996年、長崎で修行を終えたパウロさんは、リスボンの対岸セイシェルにカステラ工房を開いた。そして、2003年には現在のカフェを開店し、工房も移転した。

  自分が行ったときは、智子さんが店にいて、日本語で注文などができた。ここで一休みして、カステラや伝統菓子をいただいき、お土産のフルーツケーキも購入。

  30分ほど休憩したあと、コルメシオ広場に戻った。左の門からアウグスタ通りに入った。

  この通りは、歩行者天国になっていて、路上にはカフェやレストランのテーブルがたくさん出ていた。

  300mほど歩いて路面電車の走るコンセイサオン通りに出た。ここからサン・ジョルジェ城に向かう37系統のバスに乗車。

  サン・ジョルジェ城に向かう狭い道路は、普通のバスがとても上ることができないような急坂になっている。ここを走る37系統のバスはミニバスだった。

  城門の手前で下車。門を入った中にも民家があり、入場券売り場をいったん見過してしまった。入場券を買ってさらに進むと、城の入口がある。

   リスボンで最大の城。サン・ジョルジェ城。ローマがカエサルの時代に建設されたが、やがて、その主はローマ人から、西ゴート人、イスラム教徒、そしてまたキリスト教徒へと変わっていった。

  城の中は、特に見るべきものは何もないって感じであった。城壁の上に立って、谷間に広がる市街地を見るのが、訪問する人たちの目的だろう。

  

  サン・ジョルジェ城に入った頃に日没。雲のために夕日を望むことはできなかったが、西の空がオレンジ色がかるのが見られた。

  城の下には、フィゲイラ広場やロシオ広場を取り囲む明かりが輝いていた。

  あたりが真っ暗になるまで城を見てまわったあと、37系統のバスでフィゲイラ広場に戻った。

 

 

 

 

 

 

  夕食はフィゲイラ広場近くの魚料理の店「バレアル」へ。ワインは白で、銘柄は店にまかせた。前菜のたこのマリネは美味。これが主菜でもいいくらいだ。

  
  いわしの塩焼き(サルディーニャス・アサーダス)。運ばれたきたとき、えぇっ、、と思ってしまった。何しろ、いわしが何と5匹、、

  すでに、前菜のたこのマリネを食べていて、そのうえにこれだけ食べられるかと心配になった。今までモロッコや澳門でいわしの塩焼きは食べているのだが、2匹程度だったのでこの多さは予想外。
それでいて、安いのだ。メインになる料理の中で10ユーロ以下はこれだけだった。
  しかも、別皿で野菜サラダがついているのだ。野菜サラダは、前菜などと同じく、注文しなくても勝手にもってきているのでは?と疑ったが、きっちり、いわしの塩焼きの値段に含まれていた。

  時間をかけて、5匹、食べあげたときには、食べられるものだなと自分ながら驚き。5匹目になっても、嫌にならなかった。でも、じゃがいもと野菜サラダは少し残した。

  食事後は、地下鉄を乗り継いでホテルへ。あっという間のリスボン滞在も終わり。
 

  4日目。いつもと同じく朝食をとったあと、1時間ほど部屋で休んだ。1時間ほどじゃ、どこか見て回るわけにもいかないので。

  8時30分にチェックアウト。ホテルからタクシーで空港に向かった。15分ほどで空港着。

  ヨーロッパ先進国の首都の空港にしてはちょっと貧相な感じもする空港だ。

  ここの空港は、保安検査をしてから、航空機のチェックインになっていた。

  英国航空のカウンターで並んでいたら、係員が機械でチェックインの手続きをしてくれたが、スルーにはならなかったので、ヒースロー空港でまた手続きがいる。

  そのあと、出国検査。EU、ポルトガル語諸国(Lingua Portage)、その他に分かれている。Lingua Portageは、国旗で示されていて、ブラジルのほか、アンゴラ、カーボベルデ、ギニアビサウ、サントメ・プリンシペ、モザンビーク、東ティモールだ。(マカオは含まれていない)

  ただし、Lingua Portageで並ぶ人はほぼ全員がブラジル人だろう。となると、ブラジルとの人的、経済的結びつきがかなり強いことがよくわかる。

  また、TAPポルトガル航空の行先を見ると、ブラジル行きが多いのが特徴。サンパウロ、リオデジャネイロはあって当然として、ほかにブラジリア、サルヴァドル、レシフェ 、ナタール、フォルタレザ行きと計7便もあるのに目をみはった。

  さて、ロンドン行きはというと、15分ほど遅れて出発。

  定刻にLHR到着し、すぐ機外へ。今度は第1ターミナルに到着。今度は、バスで移動する前に保安検査がある。行きと同じ検査場だったので、乗り継ぎ客の保安検査は第1ターミナルでまとめてやっているようだ。

  保安検査場まで10分、保安検査に15分、第3ターミナルへのバス待ちと乗車に20分。そして、第3ターミナルに着いたかと思えば、まず乗り換え便のチェックインをして、そこから搭乗するJAL機のゲートまで15分。結局、到着から乗り継ぎ便ゲートまで60分かかった。

   ゲートに着いたときには、優先搭乗中で、まもなく自分も搭乗。まったく、売店などを見て回る間もない忙しい移動だった。

  LHRで1時間30分の乗り継ぎ時間はちょっと厳しいようだ。これで、リスボンからの便が遅れていたらどうなっていたのだろう。LHRでの乗り継ぎは2時間はみたほうがいいように思った。

  さて、JAL便に搭乗すると、もう日本に帰ったかのような感じだ。

  2回の機内食をとりながら、12時間かけて関空へ。

  今回は、現地で、わずか2日間だから、見て回るところは真剣に選んだ。だから、案外と実りある旅ができたように思う。旅行前には、現地で2日間なんて、と思っていたのだが、意外や楽しいものだった。

  もちろん長い期間の旅ができればそれに越したことはないが、欧州の場合は、都市の訪問がメインになるから、実質2日間でもそれなりに楽しめるものだと思った。

 

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