台 南  2日目前半     

 

 明けて2日目。さぁ、歩くぞぉ、と気合を入れて出発。ホテルを出たのは7時10分。

 ホテルのすぐ近くには電脳街があった。「旗艦店」という表現もよく使われていることを知った。大型店ということか。

 光華大飯店では、チェックインのときに朝食券をもらっていた。粥かトーストかを聞かれたので、粥の券をもらっていた。だが、虱目魚(サバヒー)粥を食べたかった自分は、ホテルの朝食はとらずに、外食にしたのだ。

 粥を食べる前に、台湾府城隍廟に立ち寄った。17世紀に、鄭成功の子の鄭経のために建てられた廟である。

 入口を入った内側に、人の善悪を計算するそろばんが掲げられていた。 そろばんの右下には「善」、左下には「悪」と書いてある。

 民生緑園までやってきた。台南の中心のロータリーといえる。中山路、中正路など7本の通りがこの広場に集まっている。

 ロータリーの中心にある小公園にわたってみた。立っていた銅像は、孫文。台座には「天下為公」という孫文の書が書かれている。

 民生緑園の周辺には、日本統治時代の建築がたくさん残っていることが判明。ガイドブックには掲載されていないが、いたるところに案内板が立てられているのでわかりやすい。 

 

 まず行ったのは、旧林百貨店。ここは、かつては台南で一番大きな商店だったという。今は利用されておらず、廃墟になっている。下の画像は、玄関と思われる入口。

 上の旧林百貨店と対角線上の位置にあるのが、左の旧日本勧業銀行台南支店(現土地銀行)。ここは、元の形のままで修復が行われていて、新しい建物かと思うくらいだ。

 この付近は、かつては「台南銀座」と呼ばれていた。

 いよいよ食事。粥の店にいたる途中に肉圓の店の近くを通ることがわかり、先に肉圓を試すことにした。

 福記肉圓(6)肉圓(2個34元)。肉圓とは、肉団子を餃子の皮で包んだようなもの。スープがついている。

 旧台南地方法院。ここは、中華民国時代になってからも、地方法院であるが、訪問したときは修復中であった。

 この玄関の背後にドームがあったが、大戦中に米軍の空襲で破壊された。

  ついにやってきた虱目魚粥の店。店の名は、特に掲げられていなかったが、虱目魚粥と大きく書かれていて、これがメニューであると同時に、店名なのかもしれない。(7)虱目魚粥(45元)には、サバヒーを小さく切ったものが入っていた。あっさりしていて、とても美味しい。

 まだ、食べるのかと思われるかもしれないが、続いて矮仔成蝦仁飯(8)蝦仁飯(40元)と(9)蛤仔湯(30元)に挑戦。

 蝦仁飯は、味付け炒め飯の上に小エビがのっている。入店前は、蝦仁飯だけ食べるつもりだったが、スープを強く勧められ、他の客もスープをとっている。味噌汁などもあったが、ハマグリスープを注文した。

  さすがに、食べすぎのような感じだ。昼食のために、歩き回り腹減らしをしなくちゃ。

  保安宮などを見て、府前路を歩いた。商業地区で食べ物屋も多い街である。

  再び、民生緑園の近くへ向かった。2kmくらい歩いた。寒くなく、暑くなくほどよい気温だ。4月ころからは暑くなるに違いなく、台湾は冬場に訪問するのがいいと思う。

  まずは、旧台南武徳殿。かつて、日本の武道が行われていたのだろう。中華民国時代はどう利用されていたのだろうか。訪問時は、修復工事中だった。

  道を隔てて、かつては天主堂、今は劇場という建物があった。「天主堂」の文字が見える。

  続いて、旧台南警察署(現台南市警察局)へ。玄関の上の丸い形が印象的だ。原型のまま修復して利用されているようだ。

  道を隔てて、下の画像、旧嘉南大圳組合事務所(現嘉南農田水利会)があった。

 次に見たのは、旧台南測候所(現気象博物館)。博物館は閉まっていて、中に入ることはできなかった。

 この近くに、旧台南公会堂があり、そちらにも行ってみた。修復工事中であった。

  孔子廟へ行ってみた。台湾にある孔子廟の中では一番古いものだという。画像の大成殿の階段の真ん中の部分は、龍を彫った石版になっていて、科挙に合格した人だけがこの上を歩いたらしい。

  廟の前では、太極拳をするグループがいくつかあった。

 こちらは、旧台南愛国婦人会館。屋根がついていて、建物を守っているようだ。行ったときには閉まっていたが、時期によっては入 れるような感じだった。

 向かって、左隣に、中華民国紅十字会。赤十字は紅十字なんだ。

 向かって、右隣が、アイスで有名な莉莉水果店だったが、夜に行くことにした。

  大南門は、18世紀、清の乾隆帝の時代に築かれた城壁の一部である。ここは、台湾にある唯一の甕城。 (敵の生け捕りをする構造の城)

  続いて、下の五妃廟。台湾に逃れた明王の5人の妃は、最後は王ともに自害した。その5人の妃をまつった廟である。

  さらに、法華寺を経て、延平郡王祠へ行ったが、その途中に天主堂があったので入った。

  外観、内部とも、天主堂に見えない。注意して見ると、外も内も十字架があるが、いかにも中国風の構造をしている。こういう天主堂もあるのだなと思った。

 市内中心部めぐりの最後に、延平郡王祠へ行った。ここは台湾の英雄と奉られている鄭成功の廟である。19世紀末にでき、日本時代に神社になり、1963年に立て直された敷地内には、鄭成功の文物館があり、入館。

 

鄭 成 功

 鄭成功の父は、福建人の商人、鄭芝龍で長崎・平戸で貿易をしていた。母は日本人であった。幼少時の名前は、福松。生年は1624年。

 8歳のとき、父が明の官職を得たため、彼も中国に渡った。その後、彼は成功という名を授かった。

 父は、台湾の開拓に尽くしたが、清に降服した。成功は、父とたもとをわかち、厦門を拠点に、倭寇の活動を行い、清を悩ました。

 1653年、明から延平郡王を命じられる。そして、清に対する抵抗の拠点を台湾とした。

    

  だが、当時の台湾はオランダ人によって支配されていた。それで、オランダ人と戦い、1661年、オランダを台湾から追放した。しかし、明の回復は果たせず、世を去った。

 その功績で、人気が高く、台南駅前に像があり、成功路という通りの名になったり、成功大学がある。延平郡王祠は、彼を祀った廟である。

 彼は、台湾では、独立派、統一派や本省人、外省人の区別なく評価されており、大陸でも評価されている。大陸でも、厦門に彼の像がある。

 近松門左衛門の人形浄瑠璃「国姓爺合戦」は彼をモデルにしたもの。

 

 
   

1日目へ   台南のトップへ   全体のトップへ    2日目後半へ