灼熱のウズベキスタンを行く(13)

【乗合タクシー】

 タシケントに戻る日がやってきた。タシケントへはバスターミナルからでている乗合タクシーで行くことにする。出発は早いほうが良いので7時前にホテルを出て、バスターミナルに向かう。

 バスターミナルのほうへ歩きながら、タクシーを探す。だが、昨日から感じていたが、この町はどうもタクシーの数が少ないようだ。バスターミナルからなら捕まえられるが、バスターミナルへ行くのにタクシーを捕まえるのは難しいようだ。

 地元の人たちはたいてい、ミニバスに乗っていて、ミニバスは頻繁に通っていて、たいていはバスターミナルへ行けるようである。だが、ミニバスに大型カバンをのせるのは、ちょっと大変そうだったのでやめておくことにした。そうこうしているうちに結局30分ほど歩いてバスターミナルに到着してしまった。

 タシケント行きの乗合タクシーがどれであるのかということはすぐにわかった。何台かのタクシーが順番に並んでいて、つぎつぎに客を乗せている。これがタシケント行きかなと思って近寄ってみると、運転手が、タシケントか、と聞いてきた。すでに先客が乗っていて、あとひとりという車に乗るように言われる。

 運賃は2000cym(約600円)。4人乗りなので、1人で乗れば$20となる。距離は、ブハラ・サマルカンド間と同じくらいなので、その区間のタクシーの運賃が$20であったのも適正だったことがわかった。

 だが、朝食はとっていないので、何か食料と飲物を手に入れておきたいなと思ったら、ちょうど運転手が何か言ってどこかへいってしまった。他の客のひとりも降りたので、この間に買い物をしてしまおうと、車のすぐそばの売店で菓子と飲物を購入。 急ぐことはなかった。しばらく待たされている間に、別のタクシーが客をのせて出発していってしまった。運転手は客を確保してから、自分の用事をすませようとしたのだろう。

 ほかの客は、ウズベキスタン国籍の母と小学生くらいの娘、それにカザフスタン国籍の中年女性。自分がどこの国から聞かれて、日本であることを伝えたら、彼女らはパスポートを見せてくれたので、国籍がわかった。日本のパスポートも見せてほしいみたいであったので、見せてあげるといろいろな国のビザや入国スタンプを見て驚いていたようだった。

 そうこうするうちに、やっと運転手が戻ってきて、いよいよ出発。すぐにコーカンドの市街地を出て、延々と続く畑の中の一本道を走る。気がつくと畑ではなく、周囲は荒地になっている。はるか彼方に見えていた山地が次第に近づいてくる。山地を越えた向こう側がタシケントである。

 運転手は左手の荒地をさしてタジキスタンと教えてくれた。おそらく道のすぐそばにタジキスタンとの国境があるのだろう。旧ソ連諸国間の国境の壁も高くなってきているが、荒野のなかにあっては、国境を示す表示もほとんどないのだろう。この点は、やはりかつてはひとつの国であったことをうかがわせる。

 やがて、検問所。山岳地帯の入口にあたる個所なので、反政府ゲリラなどの勢力が奥深い山地に入り込むことを警戒しているのであろう。車の荷物入れも検査される。パスポートの提示も求められる。どうも、この国では自国民であっても長距離の移動にはパスポートの携帯が義務付けられているようだ。ところが、自分とカザフスタン国籍の女性のパスポートは、道をへだてたところにある詰所のようなところに持っていってしまわれた。

 パスポートが戻ってくるまでにかなり待たされた。いったい何を調べているのであろうか。20分くらい待たされて、ようやく返されてきた。さあ、いよいよ山岳地帯にはいっていくのである。


【山脈を横断】

 検問所を過ぎてまもなく、車は山地にさしかかってきた。道の両側は斜面となり、谷底を車は進んでいく。延々と続く上り道。ところどころで急カーブが連続する。知らぬ間に高度も上がってきている。

 谷間の村の売店前でしばし休憩。冷たい涌き水があって、皆が水を飲んでいるので自分も飲む。さらに水筒にも水を補給しておく。気温もかなり低くなっているようで、風が吹くと心地よい気分を通り越して寒く感じる。ここではほかの乗合タクシーや自家用車も休んでいる。



 休憩場所を過ぎると、いよいよ本格的な山岳地帯にさしかかる。山肌には樹木がなくなり、ほとんどが草原となったかと思うと、まもなくさらに草もない荒々しい岩がむきだしとなってくる。高峻できりたった鋭い山頂を連ねている山脈は、日本アルプスを連想させる。

 遠くには、さらに高いのか、山頂付近が雪で白くなっている山脈が見える。帰国後、地図で確かめたら、キルギス領に属する山脈で一番高い山は富士山よりも高いのだ。




 コーカンドからずっと舗装道路であったが、山深い場所にいたって砂利道になった。まきおこる砂ぼこり。あわてて窓を閉める。ところどころに未舗装区間が残されているので、その区間にさしかかるたびに窓を閉める。ひんやりしていた車内が、また蒸し暑くなってくる。道路の幅も、狭くなったり、広くなったりと一定していない。

 旧ソ連時代にはこの道路は地元の人たちの生活道路ではあっても、国内の主要都市を結ぶ基幹道路ではなかったのであろう。フェルガナ盆地から首都タシケントへの陸路は、タジキスタン内とサマルカンド経由が普通であったのであろう。これが旧ソ連の崩壊後、それまでほとんど意味のなかった国境が次第に往来の障害になってきて、自国内だけを通過するこの道路は、一躍この国の重要道路になったのであろう。

 だが、いまだに未舗装の区間や大型車の離合ができない区間がかなりあって、幹線道路としては心もとない。道路工事はいろいろなところで行われていたが、全区間の舗装と拡幅が完成するまでには時間がかかるであろう。それまでは、バスの運行も難しいと思われる。

 山岳地帯の写真を撮ろうとして、カメラを構えたら、運転手に撮ってはいけないといわれたようだ。現地の言葉でよくわからなかったが、そんな感じですぐにカメラを片付けた。どうも、送電線の鉄塔がたっていたのでその写真が駄目なのであろう。

 しばらく行ってから、また景色の良い区間にさしかかってきて運転手は今度は写真を撮るようにすすめてきた。せっかくなので、何枚かを撮ったが、そのあとも何か言われそうで、なかなか自由に写真を撮るというわけにはいかなかった。





 やがて峠にさしかかる。突然、視界が大きく開かれた。眼下にはこれから下っていくことになる道路が、複雑に曲がりくねった姿を見せている。

 峠を境界として、車はフェルガナ盆地側から、タシケント側に入って、快適に山地を下っていく。窓から入ってくる空気が、ひんやりした空気から、なま暖かな空気に変わってくるのが感じられる。車はどんどん下っていき、岩肌が露出した斜面は少なくなり、草原が広がり、樹木も少しずつ増えてきた。

 かなり大きなダム湖のそばを通過。写真に撮りたいところであったが、注意されるかもしれないと自己規制。このあたりまで下ってくると、山地というよりは波うった丘陵地である。やがて集落が現れ、山地から出てきたのだということを実感する。



【タシケントに戻ってきた】

 乗合タクシーは、山岳地帯を抜け、平原を快走する。何車線もある広い道路となった。道路状態は良くなったが、高度が低いので、窓から入ってくる風はなま暖かくて、気持ちの良いものではない。いよいよ大きな町にはいってきたので、タシケントかと思ったがまだまだであった。アングレンという町であった。地図を見るとタシケントまで、1時間以上かかりそうであった。

 平地に入ってから、何ヶ所もの検問所があったのだが、そこで停車することはなく快適に走りつづけた。検問所のところは、車線が細くなっていて、スピードを落として通過しなければならないようだ。そして、ストップを命ぜられた車だけが検査を受けるようだった。外国人が乗っているというだけで止められることもあるかもしれないので、目立たぬよう窓は閉め、前だけを見ているようにしていた。さいわいストップさせられることはなく、調べをうけている車の横をすりぬけて進んでいく。

 高層アパートがたくさん並びはじめ、今度こそタシケント市内に入ってきたようだ。この国にやってきた翌日にこの町から離れて以来、12日ぶりのタシケントである。だが、ガイドブックの市街図を見ても、どの道を通っているのかがわからない。タシケント市内に東から進入しようとしているのか、南から進入しようとしているのかさえ判然とはしない。

 運転手は、どこで降りるのかということを聞いているようだ。そこで地下鉄の駅ということを運転手に伝えようとしたが、残念ながらまったく英語が通じない。ほかの客もわからないようだ。高層アパートが次から次へとならんでいて、タシケントの町が大変大きいこともわかる。

 そのうちに、他の客は相次いで下車していった。駅だとか、大きな建物だとかのところであれば、そこがタシケントのどのあたりなのか判断しやすいのであるが、残念ながら郊外の住宅地区で、景色だけから場所を知ることは不可能であった。

 もう乗っているのは、自分ひとりになったので、この日宿泊しようとしているウズベキスタンホテルまで行くように頼む。どうも駄目だといっているようだ。乗合タクシーの路線からはずれているので行けないのか、遠回りになるから断られているのだろうか。あるいは、そもそもホテルという言葉が理解できないでいるのであろうか。このまま乗っていれば、バスターミナルまで行くのだろうか。それならそれで場所はわかりやすいが、ウズベキスタンホテルに向かうのには遠い。







 車窓に注意し、場所の基準になりそうなものを探し、わかった時点で乗合タクシーを下車することにした。やがて、鉄道の線路の上を高架で通過した。地図を見ると、鉄道を越える個所は何ヶ所かあって、そのどれであるのかは判然としない。だが、ここで降りて、市内のタクシーに乗り換えても、ウズベキスタンホテルまでそう遠くはないと見た。

 それで、車を止めるように言う。ストップという言葉だけは通じるようであった。運賃の2000cym(約600円)を払い、荷物を取り出して車を降りる。よくわからない異国の町で、突然車から放りだされてしまった。

 時刻はまもなく14時になろうとしていて、コーカンドから6時間であった。同じくらいの距離である、ブハラ・サマルカンド間のタクシーが3時間しかかからなかったのに比べて、倍の時間がかかったことになる。やはり、山岳地帯の道路状態のよくないところを通るために時間がかかったのであろう。フェルガナ盆地は、地図で見るにに比べて、実感する距離はかなり遠いものだ。

 さて、車を降りてすぐにタクシーを捕まえられると思ったのは間違えであった。まだ、しばらく車に乗るか、いっそのこと終点まで行ってしまったほうが良かったのかもしれない。だがもうあとの祭り。なかなかやってこないタクシーを道端で待つ。

 ようやくタクシーが通りかかったので、ウズベキスタンホテルという。このタクシーでは言葉が通じた。すぐに、車の多い通りに出て、10分ほどでウズベキスタンホテルに到着した。