5日目 ミーソン遺跡+ホイアン市内
宿泊したホテルも中国風。 今回の旅行で泊まったホテルの中で最大。 この日は、ミーソン遺跡のツアーだが、ホテル までバスが迎えにくるのをロビーで待つ。 8時出発とのことだったが、7時45分にバス がやってきた。その後、いろんなホテルで 客をのせ、結局、ホイアンを出たのは8時20分 ごろであった。 |
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1時間20分ほどで遺跡の入口に到着。 ここで入場券を購入。竹の橋を渡り、少し 歩いたところから、ジープで遺跡に向かう。 |
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ジープの後ろに6人が座り、デコボコ道を5分。 このジープ、ベトナム戦争のときにアメリカが 置いていったのを使っているらしい。 さらに5分歩いて遺跡に到着。 |
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遺跡は、建物に草が生えているような状態。 手入れが行き届いていないともいえるし、 自然の中の遺跡という雰囲気がでているとも いえる。 |
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これは、かつてミーソン最大であった建物 の残骸。ベトナム戦争中に米軍の空爆で 破壊されたという。 |
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ミーソン文字が刻まれている石碑。 この文字は今のところ解読されていない。 |
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密林の中の遺跡という感じ。 発見当初は樹木がもっと密生していただろうし、 どうやって発見したんだろうか。 |
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遺跡からの帰路では、ホイアンが近づいた ところからしばらくはドボン川をボートで下る。 ミーソンツアーはバスだけで帰るコースと ドボン川クルーズつきのコースがある。 |
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ドボン川の沿岸は、ところどころに村があるが、 それ以外は自然のままの姿が残されている。 途中、木工細工をやっている村に上陸。 |
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ホイアン帰着。川から望むホイアンの町。 | |
2時30分にホイアンに帰ったあと、ホテルで 休憩の後、日本人の墓に出かけた。 ところが、田んぼのど真ん中にあるこの墓に 行き着くのは困難をきわめた。 案内板によると弥治郎兵衛という人の墓で 16世紀のものらしい。 |
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左の写真の真ん中のところにあるのだが、 行き着くために、たくさんの人に聞かなけれ ばならなかった。結局、子供が一番よく 知っていた。 別の墓に案内されたりして、暗くなる少し前に ようやくたどりついたのであった。 |
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この日はクリスマス。 町への帰り道に立ち寄ったカトリックの ホイアン教会でも飾りつけがされていた。 |