2000.6  那 覇 ・ 名 護

  

1日目

  20時発のANA便なので、関西空港から那覇へ。22時着。バスターミナル近くのホテル・サン沖縄に直行。夕食は関西空港ですませてきたが、オリオンビールを部屋で飲む。沖縄のビールといえば、オリオンである。

2日目

  ホテルで朝食後、バスターミナルから豊見城公園まで。近くにある旧海軍司令部壕へ。日本海軍の沖縄方面根拠地隊司令部があったところで、1945年6月13日、大田司令官以下4000人が自決した。司令官室、作戦室などが当時のまま残され、遺品や写真が展示されている。

  見学後、糸満のバスターミナルへ。バスを乗り換えて、喜屋武岬近くのバス停まで。20分ほど歩いて喜屋武岬に到着。ここは沖縄本島の最南端なのだ。風と波で削られて険しい断崖絶壁になっていて、米軍に追われ逃げてきた島民達が身を投げた地である。

  バス停に戻り、ひめゆりの塔へ。沖縄師範学校女子部、沖縄県立第一高等女学校生徒の「ひめゆり部隊」222人が看護を行った最後の場所である旧陸軍第3外科壕跡にたっている。そばには、記念館もある。

  ひめゆりの塔のそばの食堂、ひめゆり会館で昼食。バスの時間の関係で、店探しする余裕がなく入った団体向けの大食堂。でも、注文した沖縄風のものを少しづつちりばめた昼食は、沖縄料理の種類を知るのに役だった。

  さらにバスで、摩文仁の丘へ。ここには、各県ごとの戦没者の慰霊塔や平和祈念堂などがあり、平和祈念公園とも言われている。また沖縄県平和祈念資料館がある。ここは、訪問後、かなり変わったらしいので、また行きたいと思っている。

  このあと、玉泉洞へ。かなり長い観覧コースがあり、地底世界を楽しむことができる。帰りは適当なバスがなく、タクシーで那覇に戻った。

  牧志公設市場を見てまわり、市場を出た後、延々と続く商店街を歩く。迷路のようで、どこをどう歩いているかよくわからない。行きついたところが農連市場。日本にこんなところがあったのか。混沌としていて、日本の中の東南アジアという感じ。

  農連市場の近くの丸安そばで沖縄そばを食べる。道路に面してカウンターがあり、屋台のような感じの人気店だ。沖縄そばは、そば粉は使わず、固いうどんという食感。そばだけじゃ足りないので、コロッケなどを買い食いする。繁華街の国際通りを歩いてホテルへ。

3日目

  ホテルで朝食をとったあと、バスターミナルから名護行きに乗車。名護まで2時間ほど。さらに別のバスで名護から50分、今帰仁城のふもとまで。この城は丘の上にあり、15分ほど坂道をあがらねばならない。ここは、沖縄三山時代の北山王の居城であった。沖縄一の山城であり、場内からの眺めはみごとだ。

  本部町までもどって昼食。きしもと食堂でそばを食べる。そのあと、新垣ぜんざいでぜんざい(注:沖縄のぜんざいは小豆入りかき氷のこと)も食べて、再び名護へ。そのあと、高速バスで那覇に戻る。

  途中、首里で下車。首里城へ。ここは、三山時代の中山王の居城であった。その後、尚巴志が三山を統一して琉球王朝を創建し、首里城はその居城となった。しかし、太平洋戦争で完全に消失。1992年に修復された。

  この日は、今帰仁城まで遠出していたため、首里城に着いたのが遅く、じっくり見学していたら、閉鎖時間が近づいてくるという中での見学だった。

  ホテルで休憩後、かなり遅くなったが、沖縄には24時間営業の食堂があり、そのひとつの、みかどに行って、味噌汁定食で夕食。沖縄の味噌汁は具だくさんで、おかずになる。オリオンビールも注文して、味噌汁の具を食べながらビールを飲んだ。

4日目

  ホテルで朝食をとって、チェックアウト。荷物を預かってもらって出発。首里城近くの玉陵を見学したり、石畳の道を散策。金城町の石畳道は、日本の道100選に入る道で、首里城側が高いので、そちらから降りて行った。途中でカフェがあり、休憩。

  石畳の道を下りた後、30分ほど歩き、識名園へ。日本式と中国式の庭園が混じった感じの庭園だ。琉球王国時の庭園で、中国の影響もあったことがよくわかる。

  このあと、那覇市内へバスで移動。国際通りの街歩き。途中、ローハイドで1ポンドステーキに挑戦。見た瞬間、食べられるか心配になったが、全部いただけた。ホテルで荷物を受け取って、16時台のANA機で那覇空港から関西空港へ。

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