11  ベ オ グ ラ ー ド

 

 夜行バスでベオグラード到着。マケドニアとユーゴスラビア(当時はセルビアとモンテネグロの連邦国家「新ユーゴスラビア」であった)の国境ではバスを降りて、荷物を開けての検査があった。バスの車体の下まで検査していた。
 到着後、ベオグラード駅へ。駅を見学しがてら、その日の夜に乗車するブダペスト行きの列車の乗場を調べたりするためであったが、乗場などはわからなかった。
 次にカメレグダン公園に行った。ベオグラード要塞跡を公園にしたものだ。

 ドナウ川をサバ川の合流地点を眺める。
  カメレグダン要塞内にある軍事博物館。近年の内戦にかかわる展示を期待して行ったのだが、中世・近代の展示が中心で、第二次世界大戦までで展示が終わっていて、期待外れであった。
 ベオグラードの繁華街へ。当時、コソボ問題をめぐって、EUの制裁を受けていたのだが、明るい感じであった。
 乗物はトロリーバスが多かったのが特徴。
 チトー記念館に行った。この画像は壁の隙間から撮影したもの。ここにはチトーの墓もあるのだが、閉鎖されていた。ただ、内部はきちんと整備されている様子がみてとれた。
 チトー記念館の外側。入口は閉ざされていた。チトーはクロアチア人であり、訪問当時はセルビア民族主義が高まっていたので、かつての英雄の扱いに困っていたのかもしれない。(2014年現在では見学可能になっている。)

 入口の前には、大きな駐車場があり、内戦前は多くのバスなどが記念館に客を運んでいたことが想像できた。
 19時50分ベオグラード発の夜行列車でハンガリーのブダペストに向った。乗車の半年後、NATO軍の空爆で、夜行列車で通った鉄橋が破壊されたと知り衝撃を受けた。


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