1 ビリニュス その1

ワルシャワからの夜行バスはビリニュスに6時に到着。狭い座席、窓から入るすきま風で、最悪の夜行バスであった。バスターミナルは鉄道駅のすぐそば。すぐに、駅前のホテルに行くと、すぐに部屋に入れてもらえた。

ホテルの窓からは駅前の様子がよくわかるが、まだほとんど人通りがない。マクドナルドが写っているが、その左手に鉄道駅、後ろにバスターミナルがある。

夜行バスで疲れていたので、シャワーを浴びたあと、8時前まで部屋で一眠りした。

夜食用に買っていたパンを食べていなかったので、朝食にそのパンを食べて、ビリニュス市内の観光に出かけた。

まずは駅前からトロリーバスで、TVタワーに向かった。ちょうどラッシュ時になり、バス停はかなりの人が待っていたが、日本のことを思えばゆったりとしている。10分ほど待ってやってきたトロリーバスはちょうど座席が埋まる程度の乗客。

30分ほどでTVタワーが見えてきて下車。高層住宅が立ち並ぶ中にタワーが建っている。

このタワーの周辺では、1991年1月、当時のソ連からの独立の動きを強めていたリトアニアに対して派遣されたソ連軍部隊が、独立を求める市民と衝突した。この事件でほかの地区での衝突も含め犠牲者がでた。

この年の8月、ソ連では、保守派のクーデターが起こったが失敗し、保守派によって捕らえられたゴルバチョフは解放されたが力は失われた。その直後、9月、バルト3国は念願であったソ連からの独立を果たした。さらに、その3ヶ月後、ソ連が解体し、新たに12ヶ国が生まれた。(注 ソ連が解体する以前にバルト3国は独立していたことに注意が必要である。 また独立宣言は1990年3月になされ、半独立状態が続いていたが、ソ連は認めていなかった。)

タワーのたっている丘のそばには、犠牲者を慰霊する十字架がたくさん並んでいた。写真の中央の十字架には、犠牲者の顔写真が貼ってある。

タワーの中にも、このときの衝突の様子を撮影した写真や、犠牲者の写真が展示されている部屋があった。

タワーの展望台から見たビリニュスの郊外。この写真からは、日本の都市郊外と同じような風景が広がっているとわかる。だが、この一帯で十数年前に、市民とソ連軍の衝突がおこっていたのである。
再び、トロリーバスに乗って、ビリニュスの中心部へと向かった。20分ほど乗って、新市街地の近くで下車し、国会議事堂(ソ連時代は最高会議といった)へと向かった。1991年1月、ソ連軍と市民の衝突はここでもあった。

ここでは、議事堂を取り囲むように、コンクリトのバリケードが造られた。写真左手の木の付近に、当時のバリケードの一部が保存されている。

保存されたバリケードの前には、慰霊の十字架があった。このバリケードの中に、多数の市民がたてこもったのである。
バリケードには、落書きがたくさん残されていて、当時の状況を物語っている。

ゴルバチョフを皮肉るものもあった。1989年に東欧の激変、1990年にドイツ統一があり、ソ連内でのペレストロイカ、グラスノスチも進んでいた。しかし、ソ連構成国の独立については、保守派の反対意見をとりいれざるをえなかったようであった。

国会議事堂からさほど遠くないないところにあるKGB博物館。

かつてはKGB(ソ連時代の秘密警察)のリトアニアにおける本部であった。監獄や取調室が残されているほか、当時使われていたものが展示されている。

写真で1階のように見えるところには、半地下室であった監獄があった。

KGB博物館の地下。廊下の片側に、監獄が並んでいた。薄暗くて不気味な感じが漂っていた。

部屋の中には、ベッドが2つ置かれている。窓は、部屋の上の方についていて、それが、上の写真で1階のように見えるところの窓である。この窓は白くなっているが、外が見えないようになっているのである。その窓のうち、開けることができるのは、一番上の部分だけで、それもわずかである。

 

拷問用の服。部屋は防音が施され、声が外に漏れないようになっている。英語の説明文は次の通り。

This is one of the grimmest places in the prison. The walls are padded and soundproofed, with a straight jacket on the back wall used for those who resisted on were deranged for torture. The walls absorbed their cries and shuts for help. This cell was fitted out in 1973, though there were similar cells before that. In the prison regards and the prisoners' stories, mention is  made of five such cells.

これも拷問部屋。浅い水槽の真中に、円盤状の立ち台のようなものがある。ここに立たせたらしい。ずっと立たせる拷問だろうか、はっきりとはわからなかった。扉についた小さい窓から撮影したものである。
一部の監獄は展示室になっていた。

バルト三国は、ロシア革命後の1918年、ロシアから独立を達成したが、1939年に独ソ密約で、翌年、ソ連に加入させられた。その後、反ソ運動が展開されたが、多くの運動家がシベリアの収容所に送られた。しかし、ゴルバチョフの登場で、独立運動が自由にできるようになった。だが、独立はなかなか達成されなかった。(注 独立国であった国が、無理やりソ連に加入させられた点が、バルト三国以外のソ連構成国と違う。)

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