3 カウナス その1

ビリニュスのバスターミナルからカウナスへ行くバスはわりとたくさんあったのだが、8時のバスはなんとワゴン車であったのだ。ビリニュス市内では何箇所かで客をピックアップし、ぎゅう詰めの状態で1時間半、辛抱した。カウナス市内に入ると、今度は客のリクエストに応じて停車していき、バスターミナルまでいった客はすくなかった。帰りのバスの時刻を確かめて、行動開始。
バスターミナルの前からトロリーバスで最初に向かったのは、カウナス城。

ドイツ騎士団の侵入を防ぐためにつくられた城であるが、ほとんど建物は残っていなくて、かろうじて写真の部分だけが残っている。

カウナス城の近くにある小さなバスターミナルから、第9要塞博物館に向かった。

写真の建物が目印で、これが見えたところの近くのバス停で下車した。ところが、距離は近いのだが、車が高速でつっ走る道路を横断しなければならず(帰りに横断用のトンネルを発見したが)、なかなか行き着けなかった。

コンクリート製の建物からカウナス市街を見ると、高層住宅群と高速道路風の道路が見える。

この奇妙な建物は、ナチス占領時代だけでなくソ連時代の悲劇と抵抗運動の歴史を展示している資料館になっている。

そして、どちらかといえば、ソ連時代の抵抗運動にスペースがさかれていたようだ。英語の説明はなかったが、言わんとするところは、何となくわかる。そして、ナチス占領時代とソ連時代の、抵抗運動の犠牲者を慰霊するためだろうか、マリア像が置かれていた。
こちらは収容所として使われていた建物と外壁で、今は博物館になっている。ここには、アウシュビッツなどと同じく、囚人が収容されていたのだが、主にカウナス在住のユダヤ人の収容場所であったといわれる。当時のまま残されているのだが、内部は薄暗くて不気味さが漂っている。
囚人のベッド。上段下段何人づつがここで眠ったのだろうか。大きな暖房があるが暖かかったのだろうか。ビルケナウなどと比べると、まだマシな感じはするが‥。
ここには、杉原千畝の展示室もあった。1940年、リトアニアは独立を失いソ連に併合されるが、そのころ、彼はユダヤ人に対して日本のビザを、本国の意向に従わず発行した。その後、リトアニアはナチスが占領し、ユダヤ人はこの収容所やアウシュビッツに送られた。彼が日本のビザを発行して、命を救ったとされるのは約6000人とされる。
杉原千畝の発行したビザ。

このほか、日本で杉原千畝を紹介した新聞の切り抜きや、リトアニアでも上演された、劇団銅鑼の「センポスギハラ」のポスターなどが展示されていた。

ソ連時代につくられたのであろう巨大なモニュメント
再びバスに乗ってカウナスの旧市街に戻った。

旧市街の中心にあるのがロトゥシェス広場。この広場の脇にあるのが大聖堂。リトアニアのカトリック教会の中心をになっている教会で、リトアニアの枢機卿はこの教会を拠点にしている。

大聖堂の内部。大理石の柱などで華やかな教会だ。

ペリクナスの家。15世紀に建てられたゴシック様式の建物。前面の上部に特徴がある。

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