2  ア ム ス テ ル ダ ム 1 日 目

空港駅からアムステルダム中央駅へ
 空港そばのホテルで一晩をすごし、翌朝、アムステルダムに向う。8時だというのに、まだ真っ暗だ。

 写真はホテルを出たところから空港ターミナルをみたところ。
 ターミナル内の自由に通行でいるエリアにオランダ国鉄の自動券売機があった。

 アムステルダム中央駅までの切符を購入。券売機は、往復片道の別、枚数、行先などをタッチパネルで選んでいけば購入でき、難しくはない。

 難点は、クレジットカードを利用すれば手数料0.5ユーロが必要なこと。デビットカードとコインは手数料が不要。また紙幣は使用できない。大きな駅では窓口があり、紙幣で買えるが、窓口での購入には手数料が加算される。

 旅行にはデビットカードを持ってきておらず、コインの持ち合わせも少なかったので、旅行中、常にクレジットカードを使った。なるべく手数料が不要になるように、往復券を買ったり、なるべく遠くまで買って途中下車した。途中下車はできる。
 空港の自由に通行できるエリアの真下に駅がある。切符を買ってすぐにエスカレータで地下へ下りると、プラットホームだ。

 下左  地下駅のホームにて。


 下右  8時21分発アムステルダム中央駅行きのインターシティに乗車。インターシティ(IC)は特急にあたるが、特別料金は不要。普通列車にあたるのは、スプリンター。

 オランダ語ではcentraalと、aを2つ続けるようだ。カードもkaartと書くようだ。
  上左  乗車した列車。

 上右  車内。

 左  15分ほどで、アムステルダム中央駅に到着。ドームに覆われているが、行き止まりではなく途中駅である。

 到着後、コインロッカーに荷物を預けて、アムステルダム1日目の観光をスタート。
 
 アムステルダム中央駅の駅舎外観。赤レンガ造りの重厚な駅舎で見ごたえがある。レトロな外観であるが、内側は明るく近代的な駅になっている。
アンネ・フランクの家
 アムステルダムは運河の街。運河は世界遺産にもなっている。中央駅のすぐ前や裏手も運河になっている。
 アムステルダムでは観光に路面電車をフルに使うつもりで2日乗車券を購入。アムステルダムで最初に向った先は、アンネ・フランクの家。中央駅の停留所から路面電車の17番で向かった。

 アンネ・フランクは、1929年、フランクフルトの裕福なユダヤ人の家庭に生まれたが、ナチスのユダヤ人迫害により、1940年にアムステルダムに一家移住。

  しかしアムステルダムも安住の地ではなくなり、1942年から街中の隠れ家で生活を送ることになった。父が経営していた会社の建物で、ひそかに隠れ家生活を送るための準備が行われた。姉に召集命令がきたのを機に隠れ家生活が始まった。

  2年間、隠れ家生活を送ったが、1944年にナチスに発見され、一家はアウシュヴィッツ収容所に送られた。
 アンネは移送された別の収容所で病死。一家の中では、父だけが生き延びた。アンネの日記は、フランク一家の協力者によって保存され、戦争終了後、父によって出版された。

 中央駅から路面電車に10分ほど乗車して、西教会の前で下車。

 アムステルダムで最大の教会で、プロテスタントの教会ではアムステルダムで最重要な教会であるらしい。前女王ベアトリックスの結婚式がここでおこなわれた。
 西教会のすぐそばに、アンネ・フランクの家はあった。開館時刻の9時に行ったときにはすでに長蛇の列ができていた。1時間ほど並んで入場した。

 博物館になっているのは、手前とその次の建物、さらに隣とその隣であるが、アンネ・フランクの家があったのは、手前から4棟目だ。さらに、その奥行きのある建物の奥の部分の3〜5階の部分が、アンネ・フランクが隠れ家生活を送った部分だ。

 内部の写真撮影は禁止されているので、内部の写真はない。隠れ家へ通じる、書棚で隠された入口も通った。アンネ・フランクら8人が隠れ家生活を送った部屋では、しばらく思いにふけって、足を止めた。
 アンネ・フランクの家は運河に面しているのだが、運河に面して、古い建物が多く残されている。アンネ・フランクの家もこのような外観であったのだろう。間口が狭く、奥行きがある建物が並び、隠れ家として適していると実感できる。アンネ・フランクの家のほかにもユダヤ人をかくまった家があったという。
都心を散策しファラフェルを食べる
 アンネ・フランクの家を見学し終えると、もう11時30分。歩いて王宮のあるダム広場へ向かい、昼食をとることにする。朝食を食べていなかったので、かなりお腹がすいてきた。
 
 王宮の裏手にやってきた。向うに見えるのは新教会。歴代国王の戴冠式はこの教会で行われるという。最近では2013年に即位した現国王もここで戴冠式を行った。

 通常の見学はできないのだが、ちょうどローマ展が開催されていて、展示を見るなら中に入れた。オランダに来て、ローマ展を見るのもなんだか、と思い、入場はしなかった。
 王宮の表側に出た。本来は11時から見学できるようなのだが、この日は13時からとなっていて、あとでまたやってくることにした。
 王宮の前の広場がダム広場。アムステルダムのヘソと言える場所だ。パフォーマー達がたくさんいて、なかなか楽しい。

 下左  昼食を食べる場所を求めて商店街を歩く。クリスマスと新年をあわせて祝う電飾がならんでいる。

 下右  チーズ専門店を何軒も見かける。大きなチーズの塊が黄色のセロファンに包まれて陳列されている。同じように見えるチーズだが、実はいろいろな種類のが並んでいるのだ。
 
 
 中央駅前からのびるダムラック通り。アムステルダム都心部のメインストリートだ。

 写真の長い建物は旧証券取引所。旧とついていても、割と新しいと思っていたら、20世紀に入ってからの建築のようだ。新証券取引所ができた後は、コンサートホールなどに利用されていているようだ。
 
 昼食は、ダムラック通りに面したマオズでとった。

 マオズは、ファラフェルという豆で作ったコロッケをメインにして野菜を挟んだファーストフードの店で、オランダ各地で見かけるチェーン店だ。

 
 
 ケースには漬物の野菜が何種類も並んでいる。焼いたパテにファラヘルをはさんだものを渡されるが、野菜ははさんでいない。サラダバーがあって、自由に挟んでもよいようだったので、全種類制覇をめざしてみた。ソースも好きなものを自由につけることができる。
 
 ファラフェルの中身が緑であるのがわかるように少しだけ食べてみた状態。具をつつんでいるパテがイマイチ口に合わなかったが、具は美味しくいただけた。
オリボリン食べて居眠り観光
 昼食食べてからはちょっと遠回りしながら王宮のあるダム広場に向う。

 途中、運河を何本か渡ったり、運河沿いの道を歩いたりした。

 
 
 遠回りしたのは、ある一角へ行ってみるためだ。その一角は周辺とはまったく雰囲気が違う怪しげなムードが漂っていた。赤い蛍光灯で照らし出された売春宿が並ぶエリアである。オランダでは売春が合法である。

 「飾り窓」と呼ばれる売春宿は、全面ガラス張りのドアので、内側からピンクのライトで照らしだし、軒には赤い蛍光灯をともしている。ドアの内側には半裸の女性が立って、道行く男性を誘惑している。赤いカーテンで閉じられているところも多く、昼間なのでまだ営業していないところが多いのだろうが、お客さんが入っている場合もカーテンが閉じられる。

 このエリアには、マリファナを吸うことができるカフェも多いらしい。オランダは許可された場所ではマリファナも合法だ。治安は悪そうなので急いでこのエリアを抜けた。
 
 さきほどは入れなかった王宮は入場できるようになっていた。国王は、普段はこの王宮には滞在せず、公務がありアムステルダムに滞在するときに、この王宮が使われるようだ。そのときは公開されていないだろうから、この日は国王不在ということだろう。

 王宮の中では、写真の大広間の周りに部屋が並んでいる。かなりの部屋数があり、ざっと見ただけだが、そこそこ時間がかかった。

 歩き疲れて、この大広間のベンチで休んだのだが、知らぬ間に居眠りしていた。警備員に起こされて、あわてて起き上がった。
 
 ダム広場に面した窓から外を見る。国王もここから外の様子を確かめたりするのだろうか。
 
 ダム広場には、オリボリンの屋台が出ていた。オランダでは大晦日にオリボリンを食べる風習があるとかで、ぜひ食べてみようと思っていたのだが、大晦日を待たずに食べることになった。

 オリボリンは、揚げパンのようなものなのだが、生地がもちもちしているのが特徴だ。レーズンが入ったものと入っていないものがある。どちらも粉砂糖をふりかけていただく。1個1ユーロだが、10個入りなどは8ユーロくらいに割り引かれている。
 
 
 
  
 
 
 
 レーズンなしのものを1個食べてみた。もちもち感がいい。
 
 運河めぐりのボートに乗船。1時間少々でいくつかの運河を回って戻ってくる。

 下左  船内。屋根が透明なのでよく見える。

 下右  低い位置からも高い建物が見やすい。これは火薬庫だったかな。

 動き出して、しばらくすると眠くなって、居眠り開始。結局、居眠りするために乗船したようなものだった。アンネ・フランクの家や実際に人が生活するハウスボートを水上から眺めようと思っていたのだが、見落としてしまった。
 
 
 うす暗くなってきたが、あと1つ行ってみたいところがあった。中央駅の裏手の運河をフェリーで渡った対岸だ。

 このフェリー。10分毎に行き来している。何と無料だ。往復とも無料で、運河に橋が架かっていないので、橋のような意味で無料なのだろう。乗船したフェリー以外に対岸の別のエリアに向うフェリーも少し離れたところから出ていた。
 
 
 対岸から中央駅側を眺める。中央駅も裏口は近代的な駅舎になっていることがわかる。ドーム状の屋根にはAMSTERDAMと書かれている。

 対岸に着いてすぐに、次のフェリーで中央駅に戻った。この運河は、ほかの運河と違って幅がかなり広く500mくらいあり、大型船も通航するようだ。
惣菜買って自室で夕食
  観光を終えて、あとはホテルに行くのみだ。アムステルダム中央駅の裏口から、朝コインロッカーに預けた荷物を取り出しに行く。
 
 中央駅の構内で食品スーパーを見つけた。ちょっと覗いてみようと思い入ってみた。

 すると惣菜がいろいろ売ってあるし、ビールも売っている。このとき非常に眠い状態だったので、惣菜とビールを買って帰り、ホテルの部屋で夕食をとろうと決めた。この店で惣菜とビールを購入。Albert Heijinはいろいろなところで見かけ、翌日以降も世話になった。

 下左  荷物を取り出し、路面電車で国立博物館の近くへ。i-phoneの地図を頼りに、2泊するクエンティン・イングランド・ホテルへ。昔からの建物を改装したホテルだ。
 

 
 
 
  
 
 
 上  ホテルに到着。チェックインし部屋に向うが、エレベータはない。階段を上がっていったが、部屋があるはずの4階まで上がっても部屋がない。案内図をじっくり見てわかったのは、4階でも別の階段から上がらねばならないということ。いったん1階まで下りて、再び4階へ。このとき、3階から4階へが、写真の通り、狭くて曲がった階段だった。荷物を持っての上がり下りは大変で、危険ですらあった。
 
 部屋は狭く、古臭かった。ホテル代の高いアムステルダムで格安のところを見つけたのだが、やっと安さの理由がわかった。前日の空港のホテルが良かったので、悲しい思いになった。少し高いが、空港のホテルから市内へ通勤することにしてもよかったくらいだ。

 下左  買ってきた惣菜で夕食。生ハム、肉団子、ポテトサラダ。旅先で惣菜買っての夕食。わびしい感じもするが、猛烈に眠いので食べるのもそこそこに眠りたいので、やむを得ない。それに安くすませられるし。

 下右  買ってきたビール。ハイネケンとアムステル。オランダを代表するビールだ。

 食べ終わると猛烈に眠くなり、シャワーも入らずに寝てしまった。早朝に目覚めて、シャワーを利用した。
 


 

1日目  オランダのトップ  ユーラシア紀行のトップページ  3日目