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2025.3 池田、豊中、伊丹
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| カップヌードルミュージアム |
北摂を回る、スタートは阪急・池田駅。 |
10分ほどでカップヌードルミュージアム(安藤百福発明博物館)到着。 |
カップヌードルの容器の上に立つ安藤百福像。安藤百福は数年前の朝ドラ「まんぷく」の主人公のモデルで、その時から、ここへは来たいと思っていた。 |
手にはチキンラーメンを持っている。安藤百福は、チキンラーメンとカップヌードルの発明者で、即席めんの世界で多大な功績を残した人物だ。 |
入場無料だが、一番人気のコーナーである自分でオリジナルなカップヌードルを作るというコーナーは整理券が必要で、券をもらってそのコーナーへ。下 春休み中の土曜で、家族連れですごい人気、500円の空のカップを買うのに30分。カップに自分でデザインするのだが、机が空いていない。そして、カップに麺と好みの具を入れてもらうのだが、これも30分ほどの列。後の予定の関係で、このコーナーはあきらめた。 |
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上 オリジナルなカップヌードルつくりのさい、好みの具を入れてもらうコーナー。おなじみの具のほか、このミュージアムだけのものもあった。左 子供向けの解説ビデオをシアターで見る。子供むけとはいえ、カップ麺は、上が密で、下が疎だとか、初めて知ることもあり、面白かった。 |
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上 日清食品で販売された即席めんを全種並べたコーナー。チキンソバ(千金蕎麦)は知らないが、カレー味のチキンラーメンは食べた記憶がある。 左 最近の商品になるとものすごい種類だ。 |
| モンパルナス(旧「パルナス」の関係店) |
昼食を、「モンパルナス」でとるため、阪急で池田から庄内へ。「モンパルナス」は、パリみたいな店名だが、そうじゃない。かつて、ピロシキで有名だった洋菓子店「パルナス」の流れをくむ店。 「モンパルナス」は「パルナス」創業者の弟さんが開業し、今は息子さんがやっているパン屋・カフェ。「パルナス」があった時期から店があり、2000年に「パルナス」はまだ黒字だったが廃業したが、「モンパルナス」は生き残っていた。それでも、コロナ禍のときに、一時、閉店したが、間もなく復活したという。 |
この付近は伊丹空港の着陸コースになっていて、店までの数分の間に3機下りて行った。これは、ANAのボンバルディア。 |
「モンパルナス」到着。マンションの1階にある店。下 店内。左はカフェ。真中のテーブルがパンの販売。右に「パルナス」関連の展示コーナー。 パンは選らんでトレイに乗せるのだが、ピロシキは保温の関係で申し出て購入。 |
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「パルナス」店舗模型。「パルナス」のCMは印象的で覚えている。メロディーはよく覚えて居るが、歌詞は最後の部分だけ覚えている。「パルナス、パルナス、モスクワの味、パルナス、パルナス、パルナ〜ス」。 下 「パルナス」の店名入りカップ。 |
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店内で食べる昼食は「ボルシチセット」にしたかったが、完売。写真はなかったが、焼きピロシキセットとスープ単品にした。 |
スープは、キャベツとベーコンのトマトスープ。焼きピロシキは、ピロシキをトーストしたもの。ピロシキは、卵、ミンチ肉、玉ねぎを塩コショウで混ぜた餡が入っている。思っていたよりもあっさりしている。 |
(翌朝、食べたもの)高菜サラダパン。これはかなり辛かった。 ロシアンドーナツ。普通のドーナツのようにパラパラせず、パン生地に近い。そして、生地にレーズンが入っている。 カレー味のピロシキ。 |
餡は卵、ミンチ肉、玉ねぎで、普通の味のものと同じで、カレー粉で味付けしてある。でもあまり辛くない。 |
| 高校野球発祥地・豊中グラウンド跡 |
阪急で庄内から豊中まで移動。もっとも庄内も豊中市にあるのだが。 |
駅から10分ほどで「高校野球発祥の地記念公園」と書かれた碑のある公園に到着。今でこそ住宅地の一角の小さな公園だが、ここにはかつて豊中グラウンドがあった。 |
1913(大正2)年に豊中グラウンドと最寄駅の豊中駅が完成。1915(大正4)年、第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)が開催された。第2回もここで開催されたが、第3〜9回は鳴尾球場で開催され、1924(大正13)年の第10回からは新設された甲子園球場での開催となった。 |
第1回から2024年の第106回までの優勝校、準優勝校の校名を記したプレートが壁につけられていた。第200回までプレートがつけられるようにスペースがとってあった。第1回優勝が京都2中(現・京都府立鳥羽高)、第105回優勝の慶應が第2回以来だということなど知っていたが、確認できた。 戦争で5年間中止になったことや、最近のコロナ禍による中止は知っていたが、米騒動による中止は知らなかった。 |
伊丹空港まで歩いて移動。写真は、空港の手前で、いつもはバスでさっと移動しているところ。 |
| 酒どころ伊丹 |
伊丹空港のバス乗場は空港バスだけが出発しているようにも見えるが、7番乗場からは、阪急・JR伊丹駅行きの伊丹市バスが出ている。30分に1本のバスだが、7番乗場にやってきたときに、出発直前で停車中だった。 |
高校野球発祥の地から伊丹空港まで歩いたときに通った道をしばらく逆行した。バス停も複数あり、そうしたバス停から、このバスに乗ってもよかった。「箕輪」というバス停が、便利だったかもしれない。 |
やがて伊丹市街地の方向に向かう。伊丹空港の滑走路の下をトンネルで通る区間がある。 |
これから向かうミュージアムに近いバス停である「宮ノ前」で下車。 |
市立伊丹ミュージアム。展示施設と2軒の古い家屋の公開を合わせて行っている。 |
入場したのが15時。中庭でやっていたイベントが終わり、最後までいた客が引き揚げ、スタッフが片づけをはじめたところだった。「春の日本酒まつり」。この日(3月29日)12〜15時、「白雪」「老松」の有料試飲とアテの販売だったようだ。間に合えば、試飲していたのに残念。 |
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上 手前が旧石橋家住宅。雑貨商であった。左奥が旧岡田家住宅。蔵元で、奥には蔵がある。。左 旧石橋家の座敷内部。店舗部分は、工芸品を販売するクラフトショップ、座敷の一部は、句会、茶会などで利用されている。 |
旧岡田家の酒蔵。多目的ホールとして利用されている。行ったときには、酒造りについてのビデオを上映していたが、コンサートも行われるという。ここは昔からこの地にあった住宅、酒蔵を解体復元したもので重要文化財。 |
釜場。大きいほうは米を蒸すため、小さい方は湯を沸かすために使われた。昭和59年の廃業まで使われていた。展示施設のほうは、常設の歴史展示だけ見られて、特別展示は展示替え中で何もやっていなかった。歴史展示を一通り見た。 |
次は「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」へ。1階がレストラン、2階小西酒造のミュージアムになっている。まず2階へ。 ”ブルワリー”という名になっているのは、この酒蔵内では、いまはビールを醸造しているからのようだ。 |
創業は1550年で、戦国時代の真っ只中。「白雪」は、小西家2代目が江戸に酒を運ぶ途中、富士山にかかる万年雪を見て、銘柄名にしたもので、日本で最古の銘柄名。 展示はコンパクトにまとめれていた。 |
伊丹は灘五郷には含まれていないが、灘五郷と一体で考えられているようだ。日本遺産は約100箇所と限定されている中で、「伊丹諸白」と「灘の生一本」として最後に指定されたという。 伊丹では、麹米と掛米共に精白米を使う技法を生み出し、それを伊丹諸白ということだ。 |
続いて、1階のレストランへ。下 4種の清酒の飲み比べ。4種のビールの飲み比べもできたが、今回は清酒飲み比べにした。 左から飲むようにということ。左から、「吟醸 ひやしぼり」「大吟醸 ひやしぼり」「碧冴えの澄みきり 純米」「純米酒 こくあがり」。 順番に飲むと、水っぽいのから、米の感じの強いものに変わっていくと感じた。 |
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あては「酒粕ピザ」。かすかだが酒粕のにおいがし、ふわふわのピザ。奈良漬もトッピングされている。結構。ボリュームもあった。 |
即売コーナーなどを見て退出。下左 老松酒造にも行ったが、即売コーナーがあったが、見学はできなかった。 下右 老松の地下水を飲めるという情報もあったが、試飲はとりやめになっていた。 |
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阪急・伊丹駅から帰宅。この駅も阪神大震災では大きな被害を受けたが、今は、しっかりした駅になっている。 |
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