2025.6 奈 良 |
白毫寺 |
![]() スタートは近鉄奈良。奈良には鹿号で到着。鹿号の営業列車に乗車したのは初めて。 |
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![]() 途中、槍術で名高いという覚禅房胤栄の墓に予定外の立寄り。 |
![]() 高円山の麓にあり、少し上る。このあと、長い石段を上った。 高円山は、高円宮様の宮家名の由来になった山。 |
![]() 奈良時代には志貴王子が住んだとされるが、いつから寺があったのか不明。13世紀にはあったようである。 内部は撮影不可。本尊などは、あとで行く宝蔵に移されていて、小さな仏像が置かれていた。 |
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![]() 「花の寺」とはいえ、端境期なのか、あまり花がなかった。 |
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新薬師寺 |
![]() 下左 「国鉄指定 嫁入道具専門店」ってあったんだ。 下右 ホーロー製の仁丹の住所看板。京都市以外で初めて見た。 |
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![]() 8世紀に春日大社ができた少し後にこちらもできていて、古い神社だ。 「高円朝市」が毎月第1日曜に行われているようだ。 |
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![]() ん? 入口や拝観券売場が閉まっている。 拝観券は本堂で買うようにとのこと。 左 入口は、鹿が入らないようにするために閉めてくださいとのことで、閉まっているのだ。 |
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![]() 新薬師寺は743年に光明皇后により創建。当時は、現在の奈良教育大の付近の広大な敷地を有していたらしい。 一足早く創建された薬師寺とは無関係。「新」は、新しいということじゃなく、霊験"あらたか"ということから付けられたようだ。 左 参拝者は横の入口から入る。 |
![]() 入ると、本堂の中央の薬師如来を十二神将軍が取り囲んでいる。撮影は不可。 中には恐ろしい形相をしたものもある。かすかに色が残っていて、かつては極彩色であったのだろう。12体あるのは、12支のそれぞれの年の守護神であるため。 11体は国宝なのだが、1体だけ国宝ではないものがあった。江戸時代に破損し、昭和に修復したもののようだ。 座って横から見ることができるので、しばらく座って眺めていた。 |
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![]() 天武天皇と額田王の皇女、十市皇女の墓という説がある小さな古墳の上にある。 |
![]() 江戸時代に春日大社の第三殿が移され、本殿になっている。昭和34年の解体修理のさいに判明したという。 |
奈良市写真美術館 |
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![]() 左 ラッキーなことに6月1日は写真の日で、無料だった。 |
![]() 何度も見ているが、下から見あげると、こんな感じになとのかって感じ。 下左 音声菩薩像。 東大寺大仏殿の前の八角灯籠の第四面にあるという。全然知らなかった。今度行ったときには探してみよう。 下右 法隆寺 百済観音像。 何度か見ているし、近くでは奈良博の「超国宝」ででも見た。 いつも下から眺めるが、横から顔を見るとこんな感じに見えるんだ。 |
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![]() 寺で実際に見るよりも美しく見える。寺では全体を見るからだろうか。 下左 新薬師寺 宮比羅(クビラ)大将。 十二神将の筆頭。先ほど寺で見たばかりだが、寺よりも表情がわかる。 下右 唐招提寺 千手観音像。 細かい手を合わせると本当に千ありそうだ。寺では暗いので、細かい手まで見づらい。 |
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![]() 大学紛争のものが多くあった。 |
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そば"吟松"と志賀直哉旧居 |
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![]() 自分が注文したあと、3人ほどで、そばは売切れになった。 |
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![]() それぞれの部屋の説明では、一般的な説明のあと、直哉の作品や手紙を引用して、その部屋に関係する説明をしている。 この部屋で泊まった来客に小林多喜二がいて(蟹工船で有名になり、拷問死したとされるまでの間)、「作者はどういふ傾向にしろとにかく純粋に作者であることが第一条件だ」と手紙を書いているのが意外に思った。 |
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![]() かなり広く、交流サロンとして役割が大きかったのだろう。右側の部屋がサンルーフ。 |
![]() ここがサロンになっていたようだ。説明文には武者小路実篤が訪問してきたときの写真が添えられていた。 |
![]() 直哉の注文によって設計された住宅なので、昭和初期の段階でよくこのようなことを考えついたと思う。 |
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入江泰吉旧居 |
![]() このあと、大仏殿に向かう道を歩いたが、インバウンドと修学旅行生で大変な人出。 |
![]() 東大寺ミュージアムの北側で左折すると、観光客が少なくなり、とても静香だ。 ミュージアムぐるっとパスで無料になった。たいていは割引なのだが。もっとも普通に入場しても200円なのだが。 |
![]() 下左 1988年のならシルクロード博のキャンペーンポスター。 東大寺三月堂の日光菩薩像。現在は東大寺ミュージアムに移設。 下右 新薬師寺 伐折羅(バサラ)大将。十二神将でも最強という。 1987年以前のポスター。なぜなら"天王寺鉄道管理局"の文字が入っているので。 |
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![]() 上右 親子鹿。このような写真も撮っていたんだ。こんな瞬間よく撮れたものだ。 左 暗室。ここは写真家の自宅として独特だな。 |
"千壽庵吉宗"と大佛鐡道記念公園 |
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![]() 向う側は和菓子店としての店舗。カフェ代金を払うとき、和菓子も一緒に買いたいと申し出たが、別々会計だという。カフェを出る時は、和菓子店の客が多く、買うのをやめた。 |
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![]() 途中から、和歌でも登場してきた覚えがある佐保川に沿って歩く。あまりきれいじゃない。校舎らしきのが見えるが、奈良女子大のキャンパス。 |
![]() 案内板によると、関西鉄道は名古屋方面からここに至った。大佛驛が奈良駅の役割を果たすターミナルだった。その後、現奈良駅まで延長された。しかし、路線変更があり、現在の木津駅経由奈良駅に向かうルートに代わった。 |
![]() 道路は北の方でカーブしていて、何となくだが線路跡のような気もする。 |
"おちゃけや"で夕食 |
![]() 近鉄奈良駅の東側の東向商店街は観光客で混雑しているだろうと考え、西側のさくら通り商店街へ。 大宮通りから20mほど南へ行くと「な・ら・ら」という食堂街が西側にあり、その中の「おちゃけや」に入店。 |
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![]() 下 おでん。 左から、ゆばとロールキャベツ、コロッケ、タコ串。 コロッケはおでん出汁をかけたものだった。 |
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![]() 上右 「御代菊」の醸造元は橿原市の「喜多酒造」。 左 串カツ。左上から、豚、サーモン、アスパラ、じゃがいも、玉ねぎ。 |
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![]() 食後、近鉄奈良駅より帰宅。 |
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