2025.6 郡 山 |
"あじさい寺"矢田寺 |
![]() スタートは、近鉄・郡山駅。 |
![]() 運行日は6月7日から22日のうちの土日の6日間。そのこともあって21日に行くことにしたのだ。 平日は、運行がないとのことで、郡山と大和小泉を結ぶバスに乗車し「横山口」で下車し、歩けばいいのだが。猛暑なので、臨時バスを利用することにした。 |
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![]() 下 2、3分、歩いたところに、かつては、ここまでバスがやってきていたらしき、バス停跡があった。待合室が耐震化されていなくて、使うのをやめたのかなぁ。 |
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![]() 下 寺の建物が並ぶエリアに到着。奈良盆地を眺める。 |
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![]() 堂の前の手水とその後ろの沙羅双樹。平家物語の冒頭部分に出てくる沙羅双樹の花はどんなものか気になっていたが、はじめて見ることができた。とはいえ、ここの沙羅双樹は、厳密には、夏椿だという説明があった。 |
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![]() 赤紫色のあじさい。 下 両側にあじさいが咲く中を歩く。 |
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![]() 下 本堂と鐘楼にやってきた。 |
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![]() 本来は前身が真赤だったが、今は色が落ちている。自分の身体で直したいところをさすって、びんづる様の同じところをさするといいらしい。 |
![]() 本堂では、本尊の地蔵菩薩立像が公開されていた。この期間は拝観料500円が必要。 一般的な地蔵菩薩が右手に杖・左手に如意宝珠を持っているのに対し、矢田寺に安置されている地蔵菩薩の多くは右手の親指と人差し指を結んだ独特のスタイルで、地蔵・阿弥陀両方の功徳を備えた矢田型地蔵とも言われているとのこと。 |
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![]() ぐるっと回るのに4.5km、1時間30分。参拝や休憩を入れると3時間くらいかかるかも。最後には、結願とある。 |
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![]() 閻魔大王。閻魔堂は小さくて、外から覗き込んでの見学。6月の1ヶ月間だけ開放されているようだ。 |
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![]() 黄色の濃縮ジュース、レモンソーダ。青い氷の順に注いでいた。暑かったので、生き返った。 |
デカ盛り昼食の後、郡山街歩き |
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![]() 何と、そのバス停、( )内に「とんまさ前」書いてあって、びっくり。かなり有名な店なんだろうな。 |
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![]() 下 運ばれてきた特製定食。 |
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![]() 満腹になって満足。食べきれない人のために持ち帰り容器があるという案内もあった。 |
![]() まず金魚資料館をめざす。資料館が近づくと、あたり一面が金魚の養殖池。 |
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![]() 暑かったので、かげのあった拝殿の前でしばらく休憩。 |
![]() 3階建ての町家は珍しい。大正13年に建てられた、もと遊郭。昭和33年に遊郭の営業をやめ、昭和50年ごろまで下宿屋として使われていた。 |
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![]() 外堀の残っているところで、外堀を生かして、細長い公園にしたもの。 |
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![]() 写真は内堀。 |
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![]() 1580年ごろ、筒井順慶の時代に天守があった。養子の筒井定次の時代に伊賀上野に転封になり、天守は伊賀上野城に移築された。その後、城主は入れ替わるが、天守はつくられなかったらしい。 |
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![]() 柳沢家は、甲斐の武田家の一族で、信玄・勝頼に仕えたが、武田家滅亡後は、家康に仕えた。 綱吉に仕えた柳沢吉保のとき、大名に任ぜられて、川越、ついで甲府藩主になった。吉里の時代に、郡山藩主になり、幕末まで柳沢家が郡山藩主であった。 昭和35年に柳沢家の末裔によって、柳沢文庫が二の丸につくられた。文庫という名だが、ミュージアムである。 |
![]() 近鉄・郡山駅から帰宅。 |
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