2018.2     京都 伏見

 

 旧友たちと語らう会があった。京都の伏見をぶらぶら街歩きして、そのあと会食だ。京阪の丹波橋駅で待合せ。そのあと街に繰り出した。

   伏見は酒どころ。いたるところに酒造会社がある。駅の近くでまず現れたのは宝酒造の工場。清酒よりもタカラcanチューハイで全国的に著名で、伏見の酒造会社で唯一の上場会社である。(全国的に著名な大企業としては月桂冠や黄桜などがあるが非上場である。)この工場は以前はもっと広い敷地があったが、生協のスーパーや自社の歴史記念館などに変わった部分もかなりある。ここから西の方の工業地域の一角に広い敷地の工場があり、メインは西の向上になっている。こちらの敷地は縮小されたようだ。

 酒樽というと、木製のものや、金属製でも緑や青で塗られた比較的、高さが低いものを連想するが、ここで見かけたのは、かなり高さがあり、一見、化学工場のような外観をしている。

 
  上左  京都市上下水道局南部営業所。酒蔵をモチーフにした建築だ。

 上右  営業所の玄関の上にかかっている看板。その横にマリモのような球が写っている。酒造会社や酒屋の玄関にぶら下がっている酒林(さかばやし)という杉の玉と同じものだ。

 左  伏見区役所。やはり酒蔵をモチーフにしているが、ちょっと大きすぎて似合わない感じもする。

 この他、写真を撮り損ねたが丹波橋駅前の「呉竹文化センター」などの公共施設で酒蔵をモチーフにしたものが伏見には多い。また、酒蔵跡はマンションに変わっている場合が多いのだが、なかには酒蔵をモチーフのものもあるし、そうではなくても周囲の景観に合わせて建築しているのが特徴と言える。

 下左  大黒寺。薩摩藩の祈祷所として大黒天を本尊にしたのがその名の由来だという。

  下右  大黒寺境内の「金運清水」。金運良好や子孫繁栄にご利益があるらしい。
  上左  共同酒造と松山酒造の工場。これらの会社は月桂冠の系列の会社らしい。この工場の正門の写真の右下に碑が写っている。

 上右  石柱の拡大写真。「薩摩島津伏見屋敷跡」とある。薩摩藩主が参勤交代の際、伏見で泊まるための屋敷の跡がこの酒造会社になっているようだ。薩摩藩主に限らず、他藩も参勤交代の時には京の都には入らずに伏見で泊まっていたという。また、徳川将軍も三代将軍家光までと幕末の家茂、慶喜を除いて京の都には入らなかった。

 碑の別の面にあるように、天璋院篤姫が薩摩島津家から徳川家に嫁ぐ際、途中ここで滞在したようだ。さらに、寺田屋騒動の際、龍馬の恋人のお龍が寺田屋からここへ逃げ込んで助けを求めたという。

 左  玉乃光酒造。手前には、酒樽には見えないタイプの装置が並んでいるが、少し先には典型的な酒蔵が見える。

 
  上左  竹田街道。京から竹田を経て伏見港につながっていた街道。1895年、ここを京都駅と伏見港そばの中書島を結ぶ路面電車が走ったが、これが日本最初の路面電車であった。この写真の付近は専用軌道であった。京都市電になったあと、1970年に廃止された。

 上右  新高瀬川。江戸時代に角倉了以によって開削された運河。ただし、現在はルートが昔と変わっている。

 左  新高瀬川の堤防から見えた月桂冠の昭和蔵。月桂冠のメインの工場である。
 松本酒造の酒蔵。寛政3年が創業の古いメーカーで、新高瀬川沿いに大正時代の酒蔵が建ち、堤防の緑と酒蔵の黒がよくマッチしている感じだ。テレビドラマでも、京都を舞台とした番組でよく撮影に使われている有名は酒蔵だ。

 下左  松本酒造の入口。中を見ると歴史のある建物がいろいろと見える。日本の近代化産業遺産に指定されている。

 下右  坂本龍馬が寺田屋で襲われたあと、重傷を負いながらも逃げ込んだ材木小屋跡の碑。大手筋通りの壕川にかかる橋の北西詰にこの碑があるのだが、実際は、材木小屋は南東詰の少し南の方にあったらしい。
 
 上左  高瀬川を開削した角倉了以の偉業をたたえる碑。明治時代に建てられた碑。

 上右  角倉了以の碑付近の壕川。左手が北で、材木小屋、薩摩藩邸などの方向。真中の奥が東で、寺田屋の方向。右手が南で、三栖閘門の方向。

 左  碑のそばの案内板。この付近の水路の変遷を示している。左の図から、江戸時代、大正時代、昭和初期、昭和戦後を表している。
 壕川に沿って南に向った。京阪が通過。このすぐ左手が中書島駅。

 下左  壕川が宇治川に合流する手前に三栖閘門がある。閘門は2つあり、こちらは北側の閘門。大正時代に造られた。当時は水運が行われていたが、宇治川の洪水防止のため、宇治川を深く掘ったために、壕川と宇治川で水位の差ができた。しのため、合流地点に2つの閘門を設置して、閘門の間の区間の水位を上下させて、船が壕川と宇治川を行き来可能にした。

 下右  手前の水路が2つの閘門に挟まれた区間の水路で、この区間の水位が上下する。奥に見えるのが南側の閘門で、その向こうが宇治川だ。左手に見える建物が三栖閘門資料館。
  資料館の中で、閘門の仕組みを説明する装置。2つの閘門のうち右側が北、左側が南の閘門で、2つの閘門の間の水路の部分の水位が上下する。これによって水位差のある壕川と宇治川を船が行き来できるようになる。 この大規模なものがパナマ運河である。

 下左  かつてあった伏見港の跡。現在は埋め立てられて伏見港公園になっている。日本では内陸河川を利用した水運の拠点は「湊」が一般的であったっが、伏見の場合は「港」と表示された珍しいケースだ。

  下右  壕川から分岐して、宇治川と別の地点で合流する宇治川派流の分岐点。観光シーズンには十石船や三十石船が運行されるので、それに備えるためか、川底の泥をさらえて、船が運行できるようにしていた。
 
 坂本龍馬が伏見奉行に襲われて重傷を負った寺田屋。異変に気付いたお龍が危機を知らせ、その後、銃を使っての戦いが行われ、龍馬は材木小屋に逃げ込んだ。お龍が薩摩藩邸に知らせ、龍馬は薩摩藩邸にかくまわれ治療を受けた。

 江戸時代に三十石船が大坂と伏見を行き来していたころにぎわった船宿。この写真の左手は宇治川派流が流れている。
 そして、会食場所の「鳥せい」に到着。鶏料理をメインにした和風居酒屋だ。清酒「神聖」を醸造する山本本家の酒蔵を利用した店舗であるのが特徴。

 下左  メイン料理である焼き鳥盛りあわせ。

 下右  蔵出し原酒。蔵から出したままで水を加えていない原酒はアルコール度数が高く、濃厚な感じ。
 
 
 上左  鶏の生ハム。

 上右  鶏皮ポン酢。

 いろいろいただいたが、あとは省略。

 左  龍馬の写真入り色紙。本物の写真なのかどうかはよくわからないのだけれど。

 旧友たちとは再会を約束してお別れ。
 

 

 

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