2018.9     大阪 鶴橋

 

 ネット仲間の asian night`sさんとは、バンコク滞在時に2度、オフ会をするなど、ネット外の交流もしていただいているが、一度、大阪でオフ会をしましょうということになった。今回は鶴橋近辺でということで、JR鶴橋駅で待ち合わせ。

  鶴橋周辺は在日韓国人の多くすむところで、韓国系の店の集中度は日本一と言われている。また、鶴橋を含む大阪市生野区は、全国の市区町村のなかで人口に占める外国人の%が最も高い約22%であることでも知られている。また、日本全体でいうと、外国人のうち最も%が高いのは中国人だが、生野区は韓国・朝鮮人が圧倒的に多い。

 JR鶴橋駅は近鉄との乗換改札口は利用したことがあるが、下車するのは初めてだ。中央改札口が意外と小規模でびっくり。近鉄との乗換改札は改札機がずらっと並んでいて壮観なのだが、JRの本体の改札はこじんまりしているからだ。
 
   上左  最初に駅近辺の商店街を見て歩いた。狭い通路にアーケードがあったり、上がJRや近鉄の線路になっているためか昼間でもうす暗い。

 上右  焼肉店が続くエリアもあるのだが、15時では、まだ空いていない店がほとんど。値段は格別安いわけではない。

 左  韓国服の店。韓国でも見たことがない子供用の服を売っている.

 このような市場は、韓国に行かないと見られない。日本ではほかにはない。

 
  迷路のような通路を行ったり来たりしながら行きついたのがチヂミやキムチなどを売っている「土井商店」。ビールなども飲めて、写真でも右下に一杯飲みコーナーが写っている。こうした店はあちこちにあり、さかんに呼び込まれる。

 下左  この店に入ることにした。最初は海鮮チヂミを頼んだがないので、牛すじチヂミにしたら、これもなし.結局食べたのは、ネギタコチヂミ。

 下右  通路に面したカウンター席。こうした席で1時間ほど、ビールを飲みながら話しまくり。
 
   上左  鶴橋駅近くから南へ向かう。鶴橋本通商店街。この商店街も半分ほどの店は韓国に関連する商品を扱っている。また、韓国語が普通に聞こえてくる。

 上右  キムチランドという新しい店。韓国から輸入した食品のスーパーという感じだ。

 左  아리랑食堂(アリラン食堂)。.韓国風の門構えになっていて、有名店らしい。

 もう少し南に行くと、鶴橋本通商店街は終わり。
   さらに南に行くと、鶴橋のイメージからはほど遠い、昔ながらの日本家屋の古い町並みがある。コリアタウンとはまた別の鶴橋があるということと、戦災や近代化の波をよく生き延びてきたという感じだということの両面で驚く。
 
 下左  さらに南へ歩くと桃谷商店街の東の入口があった。

 下右  どうも歩行者が少ないし、店も開いていないところが多い。標準的な定休日の日だったからかもしれない。 

 
 
 桃谷商店街は東西に長い商店街で、正確に言えば、途中で商店街の名前が変わる。西に行くにつれて、しだいに歩行者が増え、開いている店も増えていった。

 商店街の西端はJR桃谷駅。駅の入口から改札までの間は改装されて、とてもきれいになっていた。この記事を書くために調べてみたら、何と2017年にリニューアルされたばかりだった。
 
  再び桃谷商店街を東に戻り、続いて向ったのは「つるのはし跡」。鶴橋という地名の由来は「つるのはし」という橋のようだ。

  下左  「つるのはし」は平野川にかかる橋だったが、昭和15年(1940年)に平野川の改修で、川が別のところを流れるようになり、橋がなくなった。また文献上は日本書紀にも登場する日本最古の橋だという。もとは「小橋」という名だったのが、鶴がよくやってきたので「つるのはし」になったらしい。

 下右  「つるのはし」の碑。

 
 
 「つるのはし跡」から御幸通商店街(狭義のコリアタウン)の入口まで疎開道路を歩いた。幅は広く、ほぼ直線の道路だ。

  asian night`sさんは、この道路を疎開道路ということを子供のときから聞かされてきたということだ。自分は疎開道路という言葉は初めて聞いたので、戦争中に疎開に向った人たちが通ったから疎開道路なのかなとか思った。

 この記事を書くにあたって、疎開道路を調べてみた。疎開道路は、JRの森ノ宮から寺田町までの間で、JRの東のほうを南北に走ろ道路の通称で3.5kmほどの区間。1944年に、民家を強制的に取り壊して、疎開させたという。目的は空襲時に火災の延焼を防ぐため、防火帯として幅の広い道路がつくるためだったという。そのため疎開道路と呼ばれている。ほかの都市でも疎開道路があるらしい。
  御幸通商店街の西の入口。西端のほうは店が少なく、韓国風の街灯などがないと通り過ぎてしまいそうだ。

  下左  入口の看板。御幸通商店街は、狭義では「コリアタウン」と呼ばれるようだ。一方、鶴橋駅付近なども含めた鶴橋地域全体を「コリアタウン」ということも多いが、こちらは広義といえる。

 下右  御幸通商店街の案内図。この地図では、通称である「疎開道路」が文字になって書かれている。

 
 
 
 
 
  上左  商店街の様子。この付近までくると、韓国ものを扱う商店が軒をつらねている。韓国風の街灯もちょっと手の込んだものになっている。平日だったが、そこそこ歩行者があって観光地化しているなと感じた。

 上右  韓国製の靴下専門の店。靴下だけでよく商売が成り立つものだ。

 左  キムチ専門店はさまざまな種類のキムチが売ってあって面白い。トマト丸ごとのキムチもあるというネット情報があり、あれば買おうと思っていたのだが、見つけられなかった。
 
   「成田商店」が自家製キムチなどを売るとともに、食堂も兼ねていたので入店した。(18時をすぎた退店時に撮影したので暗くなっている。)

 正式な住所は、御幸通ではなく、桃谷5丁目。桃谷駅からかなり離れているが桃谷だし、ちょっとイメージに合わない。

  下左  食堂にもなっている店内。

 下右  生ビールを飲みながら談笑。タイの話題、旅行の話題、飛行機の話題で盛り上がったが、年齢がら仕事の退職とか家族の介護の話題、それに関西でも被害の大きかった地震や台風の話題にも話が及んだ。

 
  トッポギには、トゥク(餅)のほかに、玉ねぎ、さつまあげ、卵が入っていた。韓国で食べたときは長ねぎ、さつまあげが入っていた。卵は初めてだったが、辛みを抑えるにはよかった。

 下左  キンパプ。

 下右  キンパプについてきた、ナスのキムチ。

 1時間以上談笑していたが、18時をすぎて、18時までと告げられ、はじめて18時までだと知り、残りを急いで食べたり、手洗いを使ったりして、この店は18時20分ごろ退店。もう暗くなっていた。結構、観光地化していると思っていたが、すでに通りには人通りは少なくなっていた。
 
 
 夕食は鶴橋の東のエリア、今里にある「なんどき屋」で19時に予約してある。何度か利用されたことがあるasian night`sさんに予約しておいていただいた。御幸通商店街からは1km強あるのだが、かといって鶴橋駅に戻るにも1km近くあるので、「なんどき屋」へは歩いて向った。途中、近鉄の今里駅近くを通った。近鉄・今里と地下鉄・小路の中間にめざす店はある。

 19時には15分早く到着したが、入店して料理のスタートを待った。大将は2人だけのために、食材の準備をしてくれていた。週末は混雑しているらしく、ホワイトボードに予約がたくさん書いてあった。

 「なんどき屋」は、コース制になっていて、19時からスタートで21時30分まででコースが終了。入れ替えで21時30分スタートのコースが始まる。こちらは23時30分終了。よって予約制でもある。そして値段が2500円ポッキリだという。安っ! とびっくりしていたら、asian night`sさんによると、しばらく前までは2300円だったとか。
 
 
 
 
 上左  店内の様子。一見、どこにでもあるような居酒屋だ。カウンター席のみで、20人座れるかどうかといった感じ。行った当日は、平日の19時だっためか、自分たち2人だけだった。入れ替えの21時30分にやってきた人もいなかった。

 上右  生ビール、チューハイ、焼酎、日本酒が飲み放題になっている。自分は生ビールを何度かおかわりして通した。チューハイにはシークワーサーをいれてくれる。

 左  まず、刺身盛り合せからスタート。目の前で短冊から切ってくれているのが見えるのも気持ちいい。大将が調理も客対応もすべておこなっている。
 
  続いて、マグロのカマ焼。フォークで掘り出すと、きれいにほぼ全部食べることができる。結構ボリュームありだ。

 下左  次の2品は、日によって違っていて、お任せ料理のようだ。まず、揚げ出し豆腐に目玉焼きをのせて、ねぎとかつおぶしをかけたもの。

 下右  小あじの天ぷらとかきあげ。

 この2品、格別、特徴があるわけじゃないけれども、手作り感がでていて家庭料理らしい温かみがある。チェーン居酒屋の料理とは一味違う。ここまでで2500円なら驚くにあたらない。安めの居酒屋ならこんなものだろう。でも、この店のメインはこのあとの鍋なのだ。
 
 
 
 
  鍋は季節に応じて種類や具材が変わるという。冬はふぐのこともあるらしい。この日は水だきで、具は、はも、あなご、さわら。具は「おかわり言うてや」ということだったが、かなり満腹になっていて、出されたものを食べるのだけで精一杯。

 これで、あとはカレーだけかと思いきや、鶏肉を練ったダンゴが投入され、それも食べる。

 最初は遠慮がちに自分たちに質問などをしていた大将が、鍋のころからは独演会をするような感じになってきた。話が面白いのときたら、、、。
 
  そして、〆のカレー。卵入れるか聞かれ、入れてもらった。量は大中小で聞かれ、中にしてもらった。この日は具はチキンだった。果たして食べられるか心配だったが食べられた。もっとも、おかわりを聞かれ、一瞬、食べたく思い、頼もうと思ったけど、やはりあきらめた。

 21時30分までのはすが、22時まで滞在し、大いに満足して店を出た。また利用したい店だ。これで2500円とは信じられないし、サービス精神もすごい。ありえないレベルのコストパフォーマンスのよさに満足した。

 小路駅まで歩き、地下鉄で鶴橋に戻った。鶴橋にて散会。
 

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