2019.8     神戸 新開地&神戸港

 

湊川隧道と新開地
 旧友に会いに神戸へでかけてきた。

 阪急の神戸三宮駅で待合せ。合流の前に、掲示で「梅田」を「大阪梅田」に、「河原町」を「京都河原町」に駅名変更することを知った。

 大阪駅周辺の駅名はわかりにくくて、よいことだと思う。また、遠来の客にわかりやすくして、乗客増につなげようとしているのだろう。

 写真の、神戸三宮駅の行先表示板も、今は「梅田」行きだが、確かに外国人などにはわかりにくい。あと少しで、これが「大阪梅田」行きと表示されるのだが、確かにわかりやすいと思う。
 
 合流後、まず新開地の周辺を探索しようと、市バス7系統に乗車。

 大阪駅や京都駅では、駅前に市バスのターミナルがあるのだが、三宮にはバスターミナルがなく、路上で乗降する。駅周辺のどこから乗るべきかがわかりにくい。旧友と一緒じゃなければ、利用が難しかっただろう。
 
 
 下車する「熊野橋」まで20分ほど。そ
の間に、車窓から興味あるものも見えた。

 1928年から1971年まで、ブラジルなどへ移民する日本人が、渡航前に言葉や習慣を学んだ施設が「海外移住と文化の交流センター」という名の博物館になっている。1971年という自分の生きた時代まで移民が行われていたのは興味深く、別の機会に訪問してみたい。

 平安時代末期に平清盛が造営した福原京はこの付近にあり、車窓から碑が見えた。いずれ散策してみよう。
 
 熊野橋で下車後、湊川に沿って、散策。500mほど歩いて、旧「湊川隧道」の入口に向かう。

 湊川は、明治時代に洪水防止のため流路が変更されたのだが、ここは変更された流路。この流路の途中に、日本で最初の河川トンネルである旧「湊川隧道」が明治34年に造られた。

 変更された流路は、阪神大震災で損傷を受け、震災後、造り直されたのがこの流路。ゲリラ豪雨対策で深く掘られていて、5mほどの深さがある。
  やがて、旧「湊川隧道」を造り直した、現在使われている新「湊川トンネル」の入口に到着。

 旧「湊川隧道」も阪神大震災で損傷し、並行して新「湊川トンネル」が造り直された。

 この写真では木で見えないが、木の向こう側に旧「湊川隧道」にアクセスするための入口が設けられている。
  旧「湊川隧道」へアクセスするための入口。レンガ造りで、もとの旧「湊川隧道」の入口と同じに造ってある。入口の位置は新「湊川トンネル」の入口の少し右側にあった。

 下左  入口立看板。

 下右  入ってすぐの展示コーナー。もとのトンネルまで坂を50mほど、高さで10mほど下っていく。

 
 
 展示の中にあった明治43年の地図。

 青い線が現在の湊川。左下で、青い線が途切れている部分がトンネルで新旧2つのトンネルが並行している。

 右下の白く細長い帯状のところが、旧湊川。水がなくなった川の跡だ。

  地図では読み取れないが、旧湊川は天井川で、白い部分は両側の市街地よりも高くなっている。この旧湊川の流路跡に新開地の繁華街がつくられた。
 旧「湊川隧道」の、水が流れていた部分。

 650mほどあるが、今回の開放は、200mほど。
 側壁はレンガ造り。明治34年に、これだけきれいにレンガを積み上げ、丸く側壁をつくったものだと思う。

 
 
  歩いて行けた最も奥の部分で「大声大会」が開かれていた。
 
 トンネルの中は涼しくて快適だったのだが、外に出るとうだるような暑さ。

 熊野橋まで戻り、さらに300mほど歩いて東山商店街に向かった。地元民向けの生鮮食料品などを売っている市場で、にぎわっていた。

 この商店街は、旧湊川の流路跡を利用しているのだ。だから、手前から向こうに向かって坂になっている。また、道路が少し湾曲している。 
 
  東山商店街が行き止まりなっているところがあり、左折して30mほど歩いたところで右折すると、再び東山商店街が続く。

 写真でアーケードが見えるが、そこでいったん行き止まりになり、写真を撮影しているところまでやってくると、再び商店街があるわけだ。

 ところで、写真を撮影している場所は、写真でアーケードの見えるところよりも2mほど低い。写真をよく見るとわかると思う。
 
  右折して商店街の続きに入ると、いきなり急な坂があり、さらに7〜8m 一気に下がる。商店街は、最初の部分よりも10mほど低いところになったのだ。
 
 低い位置にある商店街に面してショッピングセンターがあり、3階に上ってみると、外に出られるようになっている。

 写真はショピングセンターの3階から出たところ。公園になっているのだ。

 3階に公園があるわけ。ここが天井川であった旧湊川の旧流路だからだ。
 
公園の北端には、兵庫区役所もある。写真左側が現・兵庫区役所。突き当りに見えるのが以前の区役所。
 
 これらの建物の向こう側が、最初に歩いた東山商店街だ。
 
 公園を南へと歩くと、公園の下を幹線道路が通っている箇所があった。

 この写真は、公園の端から、公園の下をトンネルで通過する道路を撮影したものだ。公園に上がる前に少し歩いた商店街のアーケードの入口も見える。
 
 公園の南端から新開地の商店街のアーケードが始まる。

  この場所は、写真の左手、右手よりも高くなっていて、天井川であった旧湊川の流路跡にできていることがわかる。

 川だったところに新たに土地ができたので、「新開地」という地名になったのだ。
 
 新開地の商店街は、人通りが少なく、閑散としていた。

 かつては、神戸随一の繁華街で「東の浅草、西の新開地」とよばれた盛り場は。今では見るかげもなく衰退している。

 かつてたくさんあった映画館は遊戯施設になっていた。
 
  湊川隧道と新開地の関連地図。
 
 神戸松竹座は1976年に閉鎖。ここが、繁華街の中心だったという面影はまったくない。

 1968年に神戸高速鉄道が開通、神鉄、山陽、阪神、阪急の乗り継ぎが便利になったが、便利に乗り継げるようになったことも、新開地の衰退につながった。
 
 
 上左  かつて、松竹座とならび、新開地のシンボルだった聚楽館。

 上右  聚楽館は1978年に閉鎖され、いまはラウンドワンというボウリング場になっている。

 新開地は神戸のイメージから離れた下町の雰囲気だ。歩く人たちも三宮付近とは明らかに違っている。しかも活気がなく衰退してしまった感がただよっている。

 左  昼食は、昔ながらのたたずまいが残っている「八喜為」(はきだめ)という店に入った。
 
 店内もレトロな感じ。昭和に戻ったようだ。

 下左  かなり安い。客層は、労働者風の人が多く、昼食をがっつり食べに来るって感じだ。観光客がやってくる店ではない。

 下右  最初に生ビールセットを注文。串カツ3本とあわせて500円。あとで追加した生ビールは350円。
 
 
 
   上左  串カツ。

   上右  串カツはテーブル上の容器に入っているソースに漬けて食べるという、大阪の串カツ屋の食べ方。

 左  大切りのキャベツもドバッとソースに漬けて食べる。
 
 
 上左  くじらの竜田あげ。何年ぶりに食べたのだろうか。

 上右  飲物は冷酒にかえる。

 左  くじらの造り。赤身、さえずり、皮あぶら。
さえずりは、どこかわからなかったのだが、帰って調べると舌だった。

 下左  枝豆。

 下右  干しホタルイカ。

  あわせて、1人当たり2300円ほどだったから、かなり安いといえる。
 
神戸港周辺
  神戸高速の新開地駅から元町に移動する。

 下左・下右  隣の高速神戸まで、「阪急梅田」行き特急に乗車。神戸高速には阪急、阪神が乗り入れているので、梅田行きは区別するため、「阪急梅田」「阪神梅田」と表示されている。同様に「阪急神戸三宮」「阪神神戸三宮」と区別されている。
 
 
  高速神戸で阪急方面(写真では「はなくま」)と阪神方面(写真では「にしもとまち」)に分岐するため、いったん下車して、阪神方面に向かう電車に乗り換える。元町駅は阪神にしかないためだ。
 
 「阪神梅田」行きの山陽車両による「直通特急」に乗車。

 かつては、神戸高速を介して、阪神と阪急が山陽と相互乗り入れをしていたが、現在は、阪神だけが山陽と相互乗り入れをしている。阪神梅田と姫路を結ぶ「直通特急」に乗車。西元町は通過。
 
 元町で下車。地下から地上に出たところに、「阪神電車元町駅」と表示があるが、上に見える架線はJRで、建物もJR元町駅の駅舎だ。

 下左  元町駅交番。異人館をイメージしたような建物だ。このあと、旧居留地を散策。

 下右  大丸神戸店の1階の公共歩道の部分。天井がレトロな感じ。この付近が旧居留地の北端だ。
 
 
 
 上左  大丸神戸店の北東隅。建物の角が丸くなっている。窓が縦長という特徴がある。

 上右  大丸と交差点を挟んで点対称の位置にある神社と洋風建築。

 神社は三宮神社。三宮の地名の由来である。なお、近辺に一宮から八宮までの神社が現存している。

 洋風建築は、神戸セントモルガン教会。教会を名乗っているが、宗教施設としての教会ではなく、結婚式場で近年造られたもの(笑)。

 左  商船三井ビルディング。大正期のオフィスビルで今も現役で使われている。玄関は港のある南側。
 海岸ビル。もとは大正期建築で、三井物産神戸支店であった。

 阪神大震災で全壊。高層ビルに建て替えられたが、4階以下の外壁は元の建築を再現してある。

 下左  神戸郵船ビル。大正期建築で、いまは貸店舗とオフィス。

 下右  メリケンパークの入口。かつてのメリケン波止場と中突堤(ポートタワーが建っているところ)の間が埋め立てられてできた公園。
 
 
 メリケン波止場は阪神大震災で崩壊したが、修復せずに、神戸港震災メモリアルパークとして、崩壊したままの岸壁の一部を震災遺構として保存してある。

 下左  神戸港の被災や復旧の記録についての展示コーナーもある。

 下右  盆踊りの準備が行われていた。
 
 
 
 
 上左  中突堤側に出た。神戸港のメインの埠頭であったが、今はために大型旅客船がやってくるだけで、普段は港めぐりの観光船だけが利用している。

 上右  ポートタワー。小学生の遠足で上ったことがある。当時は中突堤の中にあって、両面が海だった。

 左  ハーバーランドまで歩き、ポートタワーを見る。
 
 
 上左  ハーバーランドの飲食店街のメインストリートは2階にある。土曜日の午後で、とても混雑していた。

 2、3時間前に行った新界との閑散ぶりとは対照的。新開地とはわずか、3 ,4 kmしか離れていないが、歩く客層もまったく違っている。

 上右  ニューミュンヘンというビアホールに入る。あちこちに店舗があり、他でも入店している。

 左  暑いのでテラス席じゃなく、店内にしたのだが、ガラス越しに港の様子を見ながら食事できた。
 
 
 上左  この日、2回目の乾杯は黒ビールで。黒ビールを大ジョッキで飲むことはあまりないのでよかった。

 新開地で入った店とは客層も雰囲気もまったく違う店で話ができて、盛り上がった。

 上左  アボガドとエビのサラダ。

 左  ポテトとソーセージ。
 
 ハーバーランドの商業施設を抜けて、JR神戸駅へ。旧友と別れ、帰路についた。
 

 

 

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