2020.3 京都 伏見・八幡 |
![]() 集合はJR桃山駅。kimcafeさんと再会し向かうのは伏見桃山陵(明治天皇陵)。 JR桃山駅は、現在は小駅で、快速も停車しないのだが、かつては伏見桃山陵(明治天皇陵)の参拝者向けの駅として、全国から参拝者の集まる大駅だった。広かった駅の敷地も売却されマンションが多くたっている。 |
![]() kimcafeさんは、最近ではバンコクに長期間滞在されていて、自分はインド旅行をして、それぞれウイルスの拡散がひどくなりはじめたころに帰国。それぞれの旅の話題などをお話しした。またリタイア生活やウイルスのことも。 |
![]() 陵の付近は、かつて秀吉の築いた伏見城の本丸があった。昭和になって、伏見桃山城が作られたが、これは本来の位置とはまったく違う場所だ。 |
![]() この平地は、かつて巨椋池だったところで、昭和の初期に干拓された。だから、伏見城があったころも、陵が建設されて間もないころは、広大な池が見えたのだ。 |
![]() 伏見桃山東陵(明治天皇の皇后、昭憲皇太后の陵)。明治天皇陵と同じ形をしていて、少し小さい。 参拝後は、桃山駅方面へ引き返した。 |
![]() 明治天皇の崩御のあと、大喪後に殉死した乃木希典を祀る神社で、明治天皇陵の麓に建てられた。 乃木神社は、東京(殉死した邸宅の隣接地)、那須塩原(別邸)、下関(故郷の邸宅)の計4か所にある。 |
![]() |
![]() 日露戦争のさい、旅順攻略戦の指揮を1年間にわたってとった家屋を移転したもの。解体して運んだらしい。 内部の展示物はそれほど多くないが、絵とあわせて乃木将軍の生涯を紹介していて、読んではじめて知ったことも多かった。 |
![]() 御香宮神社。 この門は、徳川家康によって、伏見城の門が移設されたものだ。 内部は広く、この付近では最大の神社である。鳥羽伏見の戦いのときには、官軍の本陣がおかれた。 |
![]() |
![]() 何か違うな、と思ったら、ウイルス対策で、参拝のときに鳴らす鈴のロープがとりはらわれていたのだった。 参拝所の左側に、御香水の出るところがある。伏見の名水のひとつ。 |
![]() |
![]() 1928年に奈良電気鉄道の駅として開業した当初から高架駅。当時の奈良電気鉄道の京都側のターミナルはここだった。 |
![]() |
![]() この付近には、古い町屋の建物がたくさん残っている。この料亭は改築しているが、原形を残し、鉄砲跡もそのままにしている。 この通りは、京町通りで伏見城下町では、南北のメインストリートだった。その後も、京都から奈良方面へ主要道路になり、国道24号も、昭和30年代まではこの通りだったが、バイパスが国道24号になり、今は閑散とした通りだ。 |
![]() 駅を越えたところから、大手筋は商店街になり、アーケードがついている。早朝深夜を除いて車は通らない。 |
![]() 家康は天下人となったあと、すぐに江戸を拠点にしたのではなく、しばらくは伏見城を拠点にしていた。この付近も城下町であったが、銀貨の鋳造所が作られたのが、この付近で、町名も銀座町だ。東京の銀座の先輩にあたる場所だ。 また両替商の店舗もあったことから、写真の右側の南北の通りは両替町通りと呼ばれている。両替商は、金貨。銀貨、銭貨の両替を行ったことからそう呼ばれたが、やがてほかの業務を行い、銀行に発展していった。 |
![]() 京都市伏見区の中心商店街。京阪・伏見桃山駅から納屋町通りまでの500mほどがアーケードになっている。 昔ながらの店舗は改装されたり、別業種になったりして、徐々に変化が見られる。写真左に見えるスーパーも昔は映画館だった。 |
![]() 写真の右の真ん中に石碑があるが、鳥羽伏見の戦いの際に会津藩の拠点になったという碑だ。ここには、本願寺の別院の伏見御坊があったのだが、戦いの際に損傷が激しく、その後建て替えられて現在にいたっている。 |
![]() |
![]() 4方向のどこから敵が攻めてきても、その先が見えないようにしているところだ。 左 さらに南へ向かうと酒蔵が並ぶ。 |
![]() 月桂冠と書かれた布の右側に杉玉がある。杉玉は、酒蔵や酒屋の軒下に吊り下げられた杉で作られた球。新酒の時期には杉の本来の緑色をしているが、やがて茶色になっていく。よい酒ができますようにと祈ったものだ。 |
![]() 酒蔵は土間だが、床が作られて、履物を脱いで歩く和風に改装されている。テーブルはさらに一段高くなったところに腰かけるようになっていた。 |
![]() 最初に出されたのは、自家製の豆腐。つゆをつけて食べるほか、塩で食べるのもよいと教えられた。 |
![]() 豆腐はお代わりをいただけるようになっていて、台車を引いて回ってきたのでびっくりした。もちろんいただいた。 |
![]() 「樽酒」は、木製の樽に詰められた酒の一般的な名前のはず。そして樽に詰められている酒には、それぞれの銘柄があるはずなので、「樽酒」て名前にはちょっと違和感がある。 下 料理が運ばれてきた。配膳の手間を省くためか、全部の料理が一度に運ばれてきた。 左上には造りと天ぷら、下のほうにはいろいろな小鉢など。 |
![]() |
![]() コーヒーと和風のデザートをいただいて、店を出たらすでに14時半。 下左 月桂冠本社。月桂冠は伏見の清酒メーカーの中では生産量が最大。 下右 少し歩くと大倉記念館という見学施設があるのだが、休館中だった。 |
![]() ![]() |
![]() 十石舟の乗り場があり、舟が浮かんでいたが運休中だった。川沿いは桜がきれいだ。 |
![]() 門の形と色合いがなんとなく中国風の感じがする。門の下には樽酒が置いてあるのが伏見らしい光景。 |
![]() 本尊は弁財天なのだが、金運や縁結びの神様として知られる。その神様が神社じゃなく寺の本尊なのだからわかりにくい。 |
![]() |
![]() |
![]() 中書島は、かつては巨椋池に浮かぶ島だったところ。そこに、伏見港ができ、京と大坂を結ぶ舟運の結節点になった。 |
![]() 京阪は駅名をわかりやすく変更する動きが続いているが、この駅も、2019年10月に「八幡市」 から「石清水八幡宮」も変わって間もない。(同時に「深草」は「龍谷大前深草」に変更) なお、読み方は、市名は”やわた”だが、神社名や今に駅名は”いわしみずはちまんぐう”だ。北九州市の八幡は”やはた”なので、わかりにくい。 |
![]() 下 最初に展望台に上った。写真ではよくわかりづらいが、手前を木津川、真ん中を宇治川ガ流れて合流している。写真の左の外側で、桂川も合流し、淀川になる。 |
![]() |
![]() 面白いのは、ケーブルの山上駅は本殿の裏手にあって、境内の外側をぐるっと回って、ここまでやってきてから、本殿に向かうということ。 |
![]() |
![]() 歩いて本殿を一周したが、500mくらいあった。本殿の裏手にも門があって、そこからだとケーブルの山上駅が近いと感じた。 |
![]() エジソンは電球のフィラメントの原料として、八幡の男山(石清水八幡宮のある山)の竹を使うと電球が長くともるという発見をした。その後、十数年間、米国の電球の材料として男山をはじめ日本の竹が利用された。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 麓にある高良神社。隣にある頓宮も行った。どちらも石清水八幡宮の一部。 左 帰路につく前に「飛行神社」と書かれたビルが見えたので、行ってみた。行きにくかったが、たどりついた。 ギリシャ神殿そっくりでびっくりした。こんな神社があるとは全く知らなかった。 |
![]() 祀られているのは、航空機事故の犠牲者と航空業界の功労者。 日本で最初に飛行機の研究をした二宮忠八は、ライト兄弟に先を越されて研究を断念したが、その後、飛行機事故が続出し、この神社を創建した。 |
![]() |
![]() 撮影禁止だったのだが、絵馬は航空業界に就職したい人のものが多かった。あと、寄進者には航空関係の会社が多くあったが、大手航空会社はなかった。 ともかく一風変わった神社という印象をもった。 京阪の駅でkimcafeさんとまたのオフ会を約束して別れた。7時間ほどの国内オフ会もよかったが、次回はぜひ海外でと約束した。 |
|