2021.4 京 都 東 山
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ネット仲間の諸葛亮さん(孔明さん)が京都へいらっしゃるとのことで、オフ会をすることにした。 諸葛亮さんとは、20年以上前、パソコン通信仲間だったが、パソ通がなくなった後も、ネットでの交流を続けた。 前回お会いしたのは、パソ通時代だったので実に約20年ぶりだ。でもネットでの交流を続けてきたので、お泊りのホテルに出向いて、お会いするとすぐに打ち解けて話ができた。 最初に向かったのは、八坂神社。 |
上左 八坂神社の本殿。参拝用の鈴の縄をとりはずしている神社が多いが、ここは抗菌の縄を使っているとのことで、鈴を晴らして参拝した。 上右 八坂神社の裏門を出ると円山公園。 桜の名所だが、前日の雨でかなり散っていた。満開時の半分くらいだろうか。 左 坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像。昭和11年にいったん建てられたのだが、戦時中に金属供出のために取り壊され、昭和37年に再建されたという。 |
上左 長楽館。円山公園に隣接して、その南側にある。明治の建築で今は、ホテル、レストラン、結婚式場として使われている。3階は和室だとうことで、中が気になる。 上右 祇園祭の鉾の形をした建物が見えてきた。大雲院という寺のなかにある祇園閣だ。 左 祇園閣は大倉財閥によってつくられ、昭和48年にここ移設された。大雲寺は信長をともらうために勅命でつくられた寺で昭和47年に移設された。 大雲寺は普段は非公開の寺なのだが、通りがかったとき、ちょうど「春季京都非公開文化財特別公開」で公開されていたので、入ってみた。 祇園閣の屋根は緑青がふいていて、銅閣との名もある。塔に上る階段の壁には、敦煌の石窟にある壁画の模写が1階から最上階まで続いている。また、最上階からの眺めは格別だった。眺めも含めて撮影禁止だった。 |
上左 続いて高台寺へ。「ねねの道」と名付けられた階段をあがり高いところにある。非公開の諸堂があり、庭園を通って方丈に向かった。 上右 行ったばかりの祇園閣の上部と同じくらいの高さだ。 左 方丈の襖絵が新しくなったようで、青地に桜が描かれた斬新な絵だった。内部の撮影は禁止だったが庭園はできた。龍を模した置物が庭に置かれている。 |
高台寺は秀吉の正室のねねが秀吉を弔うために建てた。そして、ねねの墓もこの寺にある。 この霊屋(みたまや)堂内には、秀吉とねねの像があり、その下にねねの墓がある。内部の撮影不可。 |
上左 八坂の塔。ここは撮影ポイントとして有名だが、入場できないと思っていた。この旅行記を書くにあたって調べていたら入場できることがわかった。 上右 産寧坂。上り切ったところから撮影。 左 昼食時間になり湯豆腐を食べていくことにした。たまたま入った店は「清水順正 おかべ家」。南禅寺の「順正」とは同一グループ。 |
店内の様子。 3000円のコースにしたのだが、以前は税別だったのが、税込になって、実質値下げしたようだった。 湯豆腐と湯葉を選べるので、2人で湯豆腐と湯葉を1人分づつ注文、両方いただいた。 下左 湯豆腐温め中。 下右 湯豆腐の出来上がり。 |
上左 湯葉の鍋。温めていくと幕ができ、幕を串ですくっていただく。 上右 幕を串ですくったところ。 左 おかず。真中の天ぷらの中には、緑、赤の麩の天ぷらがあったのが特徴。 諸葛亮さんと心いくまで話を楽しんだ。ネットでの交流をしていたとはいえ、対面したのは久しぶりなので、細かなことをお話しするのに時間がかかった。 |
店に対面して「五龍閣」というカフェがあった。清水順正の経営によるカフェのようだ。この建物、大正時代のもので登録文化財のプレートもついていた。 ただ、カフェは営業停止中。清水順正のほうも17時が閉店で、夕食時の営業はしていないようだった。 |
清水寺へ。仁王門とその奥の三重塔。 下左 清水寺の境内の中にあって、縁結びの神様として知られる地主(じしゅ)神社へ。 下右 清水の舞台に到着。清水寺の本堂の前がかなりの高さの舞台になっている。 |
舞台から少し離れた奥の院の前に、”ミニ舞台”があり、そこから舞台と本堂の全景が見える。舞台の大きさは、舞台上にいると実感ににくいが、離れて見るとその大きさがよくわかる。 下左 音羽の滝。奥の院の崖下で湧き出る泉が3本に別れて流れ落ちている。滝の裏手から水を飲めるのだが、いまは利用停止中だ。 |
上右 舞台の下から見上げたところ。舞台の高さが実感できる。 左 清水寺を出て、五条坂方面に歩いていった。ほとんどの観光客は産寧坂を上り下して清水寺に参拝するので、五条坂側はガラガラ。 途中のお茶屋さんで抹茶ソフトを食べた。 麓の五条坂のバス停で京都駅から遠方へ帰宅される諸葛亮さんと、再会を約束して別れた。昼食も入れて5時間、楽しく過ごせた。 |
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