特2 大比叡山頂と坂本 |
大比叡山頂へ |
トレイルコースをケーブル比叡から延暦寺をかすりながら大原に向かったし、別に丸1日とって延暦寺を回ったが、行けなかったところもある。 比叡山頂、延暦寺の国宝殿、根本中堂の中の永遠の灯だ。これらに行き、坂本へかつての表参道を下りる。そして午後は坂本を歩くというのがこの日の予定。 JR比叡山坂本駅で下車。乗車した京都発の電車は117系。かつての新快速用の電車だが、そろそろ引退が近付いてきている。湖西線の普通にはよく使われていて、古いとはいえ、転換クロスシートで乗り心地もいい。 |
上左 以前この駅を利用したときは「叡山」だったが、「比叡山坂本」に改称されてわかりやすくなった。ちなみに、京阪は、かつて「坂本」だったのが「坂本比叡山口」に改名された。 上右 湖西線は高架の高規格路線で、この駅も含めみな高架駅。 左 JR駅から坂本ケーブル駅へ寄り道せずに歩いて、やってきた。8時発が始発なので、始発に乗りたかったので。 |
片道切符を購入。歩いて下山するので。 このケーブルの特徴は長さが日本一だということ。京都側の叡山ケーブルは高度差が日本一なのだが。 所要時間は11分で、途中に駅が2つある。ただし、途中駅を利用する場合は事前に申し出なければならない。途中駅から乗車の場合は、駅に設置されたインターフォンで連絡する。 切符の「縁」「福」だが、車両の名前が「縁」号と「福」号なのだ。 ただ、特別企画として、2021年4月3日から12月31日まで、戦国BASARAのラッピング電車として運行され、車両名も「伊達」号とになっている。 |
”京都側のケーブル・ロープウェイが落石のため運休中”との注意書きがありびっくりした。 乗車時に切符を見せると、片道だったためか、運休のことを伝えられた。京都側に抜けるのだと思われたのだろう。(この日の翌々日から、運転されるようになった。行ったのは運休の最終日の前の日だったようだ。) |
「真田」号に乗車。 下左 行き違いポイントにて。水色の「伊達」号とすれ違う。 下右 座席は全部、下方向を向いている。 |
延暦寺駅に到着。 |
駅の横の展望台より。琵琶湖大橋がよく見える。 下左 駅を出てすぐ山道を上る。普通は右手の延暦寺への道を進むのだが。 下右 階段の後、ドライブウェイを横断し、再び山道に入る。 |
急な傾斜で、しかもルートがはっきりわかりにくいところを延々と上った。 京都一周トレイルでも部分的にこのような急傾斜はあったが、短区間で終わった。30分くらい、このようなところを歩き続けることになるとは思わなかった。しかも、トレイルのように案内標がないので、道を間違っていないか不安だった。 |
急坂を上り切ったところに智證大師御廟があり、ホッとした。これでどこにいるかはっきりしたうえ、あとは楽なルートだと思われたので。 |
廟はピークにあり、いったん少し下り、別のピークに上りはじめる。そこに延暦寺への道がある。あとでここは通るが、このときはさらに上る。 そこに整地された広場が現れた。かつて何かの建物があったと思われる。通信施設だろうか。それとも観光用のものだろうか。何かあったのは確実だ。 |
さらに進むと電波塔があった。朝日放送と関西テレビの比叡山中継基地とある。これとはもう一つ、読売テレビの塔があった。 |
電波塔から少し歩くと、少し高く盛り上がったところがあった。これこそ、「大比叡」とよばれる比叡山頂だ。 |
盛り上ったところの上。大比叡山頂に登頂。 下左 山頂の標識。 下右 一等三角点。 |
国宝殿、不滅の法灯、梵字の抹茶ラテ、表参道より下山 |
上左 山頂から建物があったと思われる広場を越え、少し下ると東塔への道があった。 向こうにピークが見えるが、その頂上に知證大師御廟がある。 上右 緩くて歩きやすい道が続く。 左 下ると阿弥陀堂と法華総持院東塔が渡り廊下で結ばれるところに出た。東塔の西門みたいなところだ。 あまりにあっけなく下りられた。ケーブルを下りた後、舗装された道を歩いて東塔に行けばよかった。そして自分が下山した山道を上ると、楽に大比叡山頂に行けるじゃないか。(距離は長くなるけど、はるかに楽。) |
今回は、国宝殿と根本中堂に行くだけだが、参観券を買わねばならない。 伝教大師(最澄)の1200回忌のようだ。訪問した翌々日に大講堂で法要があるとのこと。 |
国宝殿。入口で参観券とは別に国宝殿だけの入場券を購入。 誤解が判明。国宝殿は国宝があるから国宝殿と思っていたが間違い。 伝教大師が著した「山家学生式」の中に「一隅照らす。これ則ち国宝なり。」という言葉があり、そこから名付けられた。 自分のいる場所で努力して輝くことが、国の宝だ。という意味のようだ。 |
撮影はできないが、2か所にユルキャラ風のパネルがおかれ、そこだけは撮影できた。最澄のパネルの後には「山家学生式」が掲示されている。 最澄の直筆による書跡もあったし、仏像、仏画を見てひとときを過ごせた。中には”国宝”もあった。 |
次に根本中堂へ。1か月前に行ったばかりだが、前回、”不滅の法灯”を気にかけなかったのだ。今回はしっかりと見ることができた。本尊の前に3つの釣り灯籠があり、火が灯っていた。 最澄の時代から1200年間消えることなく灯っていたのに感動した。ただ、焼き討ちの際、消えたのだが、他の寺に分けていた火があり、それを使って、ここで再度ともしたとのこと。 |
上左 萬拝堂の裏手のトイレを使った時に現役の筒形ポストがあるのを発見。 上右 延暦寺会館で一休み。 左 抹茶ラテを注文し、窓際の席に着席。僧侶のユルキャラとともにカードが置かれていた。国宝なり、の文言が書かれていた。前回もおいてあったのだが、内容には気づかなかった。 |
梵字の抹茶ラテ。 1ヶ月前のときには、抹茶テラミスとのセットにしたので、飲物はカフェラテにした。今回は土日祝限定のテラミスはなく、抹茶ラテにした。 梵字はキリークと読み、「ねずみ」年の守護尊である千手観音菩薩と「いぬ」「いのしし」年の守護尊である阿弥陀如来を表すという。 梵字ラテは前回のカフェよりも今回の抹茶のほうがいいなぁ。 |
上左 延暦寺会館の横から表参道を下っていく。 上右 森の中の道が続く。 左 中間の半分弱の部分は小さな岩がゴロゴロしていてとても歩きにくかった。岩に気をつけながら下山。 |
上左 視界がよいところが少しあり、かなり下ったことを実感した。 上右 ここから舗装道路になった。(歩いてきた側を撮影。)このあと、少し遠回りをしてしまった。1時間40分かけての下山だった。 左 比叡山中学・高校が下りきったところにあった。延暦寺の運営する中学高校だ。高校野球の甲子園常連校でもある(近年はやや出場が少ないけれども)。 |
坂 本 |
昼食は鶴喜そば本店へ。30年以上前に着たことがあるが、変わってなさそうだ。 |
入口を拡大。入口の左の紙に名前を書いて松のだが、ほとんど待たずに入れてもらえた。 |
店内。 以前入ったときは入口で靴を脱いで入ったのだが、靴のまま入るようになっていた。(靴を脱いで上がる座敷席もあるようだった。) |
むすびそば 1700円を注文。3種類のざるそばを食べることができる。 下左 ゆばそば。 下中 おろしそば。 下右 天ぷらそば。 |
そば湯。 そば湯はそばをゆがいたときの汁なのだが、最初出くわしたときにはびっくりした。のちに関東などでは当たり前のように出ることを知った。この店は以前食べた時に、そば湯がでたので知っていた。たぶん滋賀は西日本だがそば湯がでるんだろう(他の店はいったことないけど)。 |
午後は坂本を歩き回ろうと思っている。まずは日吉大社へ向かう。 途中、石垣の横を歩いた。坂本の街並みの特徴のひとつが石垣だ。 この石垣は、穴太衆積みの石垣と呼ばれる。穴太(あのう)衆とは、坂本の石工のこと。細かくはわからないけど、独特な積み方らしい。 |
日吉大社に到着。やってきて初めて知ったことは、西本宮と東本宮という2つの本殿があること。事前に調べる余裕がなく、やってきて初めて知って驚いた。 |
元三大師堂。 日吉大社の敷地にあるが、日吉大社とは別の寺のようでややこしい。 下左 大宮橋。 下中 走井橋。 下右 二宮橋。これは日吉大社を出るときに撮影した。あわせて日吉三橋。 |
山王鳥居。 普通の鳥居の上に三角形が乗っているのが特徴。神仏習合の信仰を表す。日吉大社は仏教(延暦寺)とも結びついているということなのか。 |
神猿。 猿は、魔が去る、ということで縁起の良いものとされた。 |
西本宮の門。 下左 屋根の下の4隅には猿が配置されている。 下右 門の下に献上料理らしきものが並べられていた。そのうちの一つ。 |
西本宮の本殿。 下左 7基の神輿の収蔵庫。見学中止になっていた。 下右 八王子山の上にある奥宮は、この石段から始まる道を通って1q。 |
東本宮の門。 |
東本宮の本殿。 |
猿の霊石。 じっと見ていたら、猿の顔に見えなくはない。 |
日吉大社を出た後は、隣にある旧竹林院へ。 延暦寺の僧が里の坂本にたてた隠居後の堂を里坊といい、約50あるという。竹林院もその1つだが、明治期に里坊じゃなくなったので旧がついてるようだ。 里坊の庭園の中では、ここが最大の広さ。 |
建物内から見た庭園。 |
庭園から見た建物。 |
遠くに見える山が、日吉大社の奥社のある八王子山で、この山が庭園の借景になっているとのこと。 庭をつくったのは小堀遠州。 |
続いて西教寺へ。門は坂本城から移築といわれる。 事前の調査不足なのだが、西教寺は坂本の中心部から1.5kmほど離れていることを現地で知った。歩くのはまったくかまわないのだが、時間を消費。日吉大社も旧竹林院も予想外に大きくて見学に時間を要したので、この日の訪問予定地はいくつか行けずじまいになりそうだ。 |
本堂。信長の焼き討ちのとき、ここも焼かれた。延暦寺とは別宗派だが、関係はある(今も関係がある)ため同一とみなされたのだろう。江戸時代に再建された本堂が今も使われている。 西教寺も予想外に大きな寺だった。門を入ると緩やかな上り道を5分ほど歩いて、そのあと階段だ。 西教寺は明智光秀の墓があるということだけ知って行ったのだが、現地で天台真盛宗の総本山であるとわかり、大きい寺であることを納得。 天台三本山というのがあって、天台宗本山の延暦寺、そしてここ、あと1つは天台寺門宗本山の三井寺ということだ。3つとも大津市にあるのも驚き。 |
上左 明智一族の墓。本堂の写真を撮影している時、その左手の方にある。 上右 二十五菩薩群像を挟んで、明智一族の墓の左10mほどのところにあるのが、妻・熙子の墓。 この墓は一族の墓の倍ほどの高さがあり、どうてこんなに大きいのかと思った。 左 2つの墓の間には二十五菩薩群像がある。これ、一体一体違っていて見ていて面白かった。 |
唐門。とても立派で目をみはる。大正時代のもの。 庭園もあるのだが、時間の関係でパス。 次に滋賀院門跡に向かうのだが、何時まで入れるのかスマートフォンで見ると、16時30分まで公開だが、16時までに入らねばならないと判明。このとき15時40分。滋賀院は坂本の中心からさらに0、3kmほどありので、西教寺から1.8km。これを20分で行かねばならない。大急ぎで歩き、少し走った。 |
滋賀院門跡に着いたのは16時ジャスト。まだ入口が開いていた。中に入って、1人だといってお金を出すと、パンフレットを渡してくれた。ホッすると同時に、汗が拭き出た。 滋賀院の玄関の写真を取り損ねた。あまりに急いでいたので。出るときもうっかりしてとれず。 滋賀院は延暦寺の本坊。言わば、延暦寺そのものだ。実際、天台座主が暮らす場所である。また、滋賀院の敷地内に天台宗務庁があった。全国の天台宗寺院をとりまとめているところだろう。 さて、中に入って、最初の部屋で目にしたのが「不滅の法灯」。根本中堂にある「不滅の法灯」は分灯されて、西塔の釈迦堂にも吊るされているのだという。そのうちの1つが、ここに置かれているのだという。この日、午前中に根本中堂で見たものと同じものが目の前に置かれていて感激した。しかも、ここでは撮影禁止のところ以外は撮影できてよかった。 常に火を灯すには、油がなくならないように油量に注意していなければならず、そこから「油断大敵」という語が生まれたとのこと。 |
長棒とよばれる駕籠に似た乗物。昔は、天皇の勅使を載せたとのことだが、現在は天台座主を運ぶ。 |
こんな感じで部屋が並んでいる。 甲冑も展示されているが、天海大僧正がつけていたものだという。天海は徳川家康に仕えた僧。 |
内仏殿への階段。上り切ると内仏殿。 別の建物なのだが、中を通っていく。内仏殿の内部は撮影禁止。 本尊の薬師如来像などが安置されている。 |
内仏殿から外側を撮った。山は三上山(近江富士)。 ここの薬師如来と根本中堂の本尊は同じ方向を向いていて、その向かう方向は近江富士だという。 |
庭を見る。ここの庭もつくったのは小堀遠州。 池の中の島は亀島というが、亀にはなかなか見えない。 |
千日回峰の行者のわらじ。 |
引き続いて、慈眼堂へ。ここも滋賀院門跡の一部。 建物は慈眼大師天海の廟。 |
歴代の天台座主の墓が並び、桓武天皇はじめ供養塔がいろいろあった。 |
坂本では、時間切れのため、行こうと思っていた箇所の全部にいくことができなかった。残りは閉まってしまったので、帰ることにする。 途中、京阪の坂本比叡山口駅をのぞく。 |
比叡山坂本駅からJRで帰宅の途についた。 |
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