特4 愛 宕 山 |
愛宕山鉄道跡を歩いて登山口の清滝へ |
![]() 愛宕山は924mで京都市街を取り囲む山の中では最高峰。比叡山は848mだ。しかも比叡山とは違ってケーブルがないので、麓から上らねばならない。(トレイルコースでは比叡山も銀閣寺道76mからケーブルの山上駅690mまで上った。差は614m。水平距離は約7q。)愛宕山の麓の清滝は80mなので、一気に924mまで差844mを上がる。水平距離は約4kmなので、かなり傾斜がきつい。 |
ところで、嵐山から清滝の登山口まで3.4kmの道を、通常はバスを利用し、歩く人はいないと思うのだが、今回は清滝までも歩くのだ。嵐山から清滝までかつて愛宕山鉄道があり、その線路跡を歩こうと思う。さらに、かつては愛宕山にケーブルがあったのだが、登山に合わせて、ケーブルの登山口と山上の駅の跡を見ていくことにする。 愛宕山鉄道の開業は、嵐山・清滝間(3.4km)の平坦線、清滝川・愛宕間(2.1km)の鋼索線とも1929年。清滝と清滝川は400mほど離れている。平坦線は全線を11分、鋼索線も11分で運転されたという。しかし、戦時下の1944年に不要不急路線として廃止された。戦後も再開されることはなかった。 |
![]() 渡月橋方面に向かって歩く。まったく人が歩いていない。朝8時すぎということもあるが、この道に面している土産物店や飲食店のほとんどが休業中であることが大きい。 |
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![]() 上右 四条大宮行きの電車。 左 ホームの東北側の愛宕山鉄道の嵐山駅のあった付近。小公園になっている。 |
![]() 右の真中に線路を越える高架が見える。愛宕山鉄道は、その高架の付近まで100m少々、現在の線路の左側を通っていた。 現在は建物が並んでいるので、別の道を通り高架の付近に向かう。 |
![]() 道路の先のほうのカーブを見ると、かつての線路のカーブのままだろうなと想像できる。自分の撮影している位置よりも左からカーブしはじめ、駐車している車の付近からは、線路跡が高架下の道路になっていると思われる。 |
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![]() 愛宕山鉄道は盛土をして線路を越えたというが、痕跡は残っていない。この付近に嵯峨西駅があったという。これは、省線の嵯峨駅(今の嵯峨嵐山駅)がすぐ東にあったので、省線との乗換駅だった。 |
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![]() 上右 愛宕山の頂上が見え、望遠で登山道も見えた。かなり急だ。 左 高架道路が平地へ、愛宕山鉄道もこのように下ったのだろう。 |
![]() 青い標識が見えるが、その付近に釈迦堂があり、かつての釈迦堂前駅もその付近にあったのだろう。 |
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![]() 鳥居本といえば、先日、化野念仏寺を参拝し、伝統建築の保存地区の集落を歩いたが、そのエリアは、ここから200mほど左側になる。 下左 鉄道のあった当時のままと思われる石垣。 下右 架線のための支柱だったと思われる木が残っていた。同じようなのを、もう1ヶ所見つけた。 |
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![]() 下 中に入り階段を上ると無数の石像が並んでいる。千二百羅漢像で、一体一体の表情が違っている。 |
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![]() 下左 多宝塔。 下右 多宝塔にある石仏。 |
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![]() トンネルの両側の入口には信号が設けられ、車は一方向だけ進行できる交互通行になっている。長さは500m弱。 歩行者は白線内を歩くように書かれている。 |
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![]() 上右 トンネル内にカーブがある。 左 反対側入口。 心霊スポットと言われ怖い話もあるのだが、特に怖くはなかった。ただ、たまに車が通り、その前に轟音が聞こえてくるのがちょっと怖い。また、カーブのため近付いてくる車が見えないし、路線バスが通るときは白線から出ると接触しそうなのも怖かった。 |
![]() ここから鋼索線(ケーブル)の清滝川駅までは400mほど。 |
廃墟のケーブル駅舎を訪問して、山頂の愛宕神社へ |
![]() トレイルコースを歩いたときには、この川の上流の高雄から歩いてきて、下流の落合へ歩いていった。 橋を渡ると、愛宕山表参道の上り口とかつてのケーブル清滝川駅跡がある。 |
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![]() 上右 踊り場で登山口の鳥居からの坂道と合流してさらに階段を上る。 左 階段を上りきると広場になっている。旧清滝川駅の跡。真中に坂道が見えるが、ケーブルのホームの跡。 |
![]() この先を歩いた記録も見たのだが、上級者向けで、トンネルを迂回する必要もあるようだった。 下 ケーブル清滝川跡の案内板。 |
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![]() 旧清滝川駅は神社に参拝するための駅にふさわしく社殿風の駅舎になっていた。橋や渡ってすぐの階段もわかる。 |
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![]() 火災があり、そのため廃校になったとのこと。その後は嵯峨小学校の本校に通ったのだろうが、嵯峨小学校は、JR嵯峨嵐山駅の付近で、4qほど歩かねばならなくなったようだ。 |
![]() 茶店はケーブルができると客が減り、廃業になったという。しかし、戦後もケーブル同様、復活しなかった。 |
![]() ケーブルができると水口屋はケーブルの山上駅近くに移転したが、ケーブル廃止とともに廃業したようだ。 |
![]() 下左 登山道脇に根こそぎ倒れた木があって通りにくくなっていた。 下右 100mごとに消防団が建てた看板が建っている。40枚のうち30枚目。あと4分の1。 |
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![]() 水尾は"ゆずの里"として知られ、京都で昔からゆずを栽培しているところだ。ゆず風呂と鶏スキが有名だが、保津峡から連絡バスなどで行くのが一般的。 |
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![]() 上右 1分ほどで廃墟があったが、ネットで見ていた愛宕駅跡とは違う。茶店の跡だろうか。 左 案内板はなく、倒木などで歩きにくくなっている。10分ほど歩いたが何もないので、道を間違ったかなと思いはじめた。 |
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![]() 下の駅から少し上がった線路跡には立入禁止の表示があったが、ここは立入禁止などの表示はないし、案内板までたててある。 |
![]() 下左 屋根を支える柱のコンクリートがなくなり、錆びた鉄骨だけになっているものがあった。ちょっと怖かった。 下右 ホームから見た駅舎。 |
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![]() ホームは階段状になっているのだろうが、大量の落ち葉が重なっているので、見えない。危ないのでホームの下部へ下ることはしなかった。 |
![]() 外階段で屋上にも上れたという記述が案内板にあるので、探してみたが外階段はなかった。そのかわりに工事用の脚立をくくりつけたのはあったが、危ないので上らなかった。 |
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![]() 左 案内板の写真を拝借。今の外観は当時の面影をとどめている。 駅舎の探索のあと、広場で昼食。登山道から往復、駅舎探索、昼食とあわせて1時間ほど。 |
![]() ハナ売場。 水尾の女性が毎日、樒(しきみ)をここで売ったという。いったん愛宕神社の神前でお祓いを受けたあと、ここで火災よけとして販売した。樒の葉をおくどさん(かまど)に毎日1枚入れて燃やすと火災よけになったという。 |
![]() 下左 でも、神社まではまだ300m歩けねばならないとは、、 下右 境内を歩く。 |
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![]() 愛宕山ははるか昔に上ったことがあり、2回目なのだが、最後の最後に長い階段があったということはすっかり忘れていた。 |
![]() 下左 本殿内の廊下。 下右 大坂夏の陣に際して徳川方だった伊達政宗の側近の片岡小十郎が戦勝祈願のために奉納した絵馬があった。その後、作り替えられてきたが、1800年のものが最後になった。 最初に奉納された年から400年目にあたる2015年に地元のボランティアにより絵馬を作り替えたという。ただし、戦勝祈願の文字をやめて、東日本大震災の後の平穏などを願う文字に換えられたという。 |
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![]() 上り3時間、下り2時間と標準タイムより時間をとっての登山だった。くわえて、嵐山から登山口まで歩いた2時間、ケーブル愛宕駅跡を訪問した1時間を合わせて、8時間の大仕事だった。 |
![]() 同じコースを下山し、登山口の旧清滝駅跡からはバスで戻った。 |
![]() JR嵯峨嵐山駅に向かい帰宅。 |
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