2022.11 高 野 山 |
高野山へ日帰りで行く。約40年ぶりだ。訪問するところのほとんどは40年前に行ったことがあるが、どんなところか詳細は忘れている。 写真は、久しぶりにやってきた南海の難波駅。くし形の壮大なターミナルだ。 |
南海で高野山に行く場合、お得な切符として「高野山世界遺産きっぷ」が以前から発売されていて、それを使うつもりだった。 出発が近づいた日、世界遺産きっぷよりも割安な「高野山デジタルきっぷ」があることが判明。 発駅・高野山駅の往復と高野山内でのバス乗り放題という内容は世界遺産きっぷと同じだ。難波・高野山間は、運賃1390円。世界遺産きっぷは、3080円なので、往復運賃に300円加算していあり、バスはもっと乗るだろうからお得だ。デジタルきっぷになると、2510円。往復運賃の1割引きのようで、バス代は完全なおまけ。 実証実験中のようで、利用期間は2022年9月27日〜11月28日だという。 |
QRコードを専用の読み取り機にかざして改札機を通過する。 注意するのは、前日までに買わねばならないことと、購入時に、利用日と乗車駅を決めておかねばならないこと。難波発で買えば新今宮空は乗れない。いうまでもないけど、スマートフォンとクレジットカードが必要。 高野山は、宿坊に泊って2日がかりでいく人も多いが、このきっぷは2日有効なので、泊りがけでもOK。 |
QRコードは、写真の右端の白い突起部分で読み取らせる。最初は、その左の画面で読み取らせるのかと間違え、2、3回繰り返した。 画面のある側だが、これもびっくりした。VISAカードをかざせば、切符を買わず、運賃の支払いができるという。仕組み自体は、飲食店で経験しているが、電車では初めてだ。できれば、VISA以外のカードが使えるともっと便利なのだが。 |
上 巨大な案内板。左が高野線、右が南海線。7時24分発の急行・橋本行きに乗車する。 細かいことだが、高野線は「各停」、南海線は「普通」と区別している。今宮戎、萩ノ茶屋は、高野線だけが止まり、南海線はホームもなく、普通でも通過するからだろう。 左 乗車した急行・橋本行き。 下 側面の表示。「急行」の下に「高野山連絡」とあるのが特徴。橋本で極楽橋行きに接続しているのだ。 |
2扉車で、中央部にはとても長いロングシートが設けられている。シートの中間部には区切りがあり、すわりやすくしてある。 |
車両の端だけだが、固定クロスシートがあるのが特徴。ここに座れて、55分の乗車も快適だった。 |
橋本で乗換え。ここからは、カーブの多い山岳区間になるので、18m車の2両編成。 |
片側1人席、片側2人席の転換クロスシート。さいわい座ることができた。極楽橋まで40分。 橋本までは42qで55分、橋本からは19kmで40分。カーブが多く、急勾配であるためだ。 下 区間の中間の高野下駅までは平坦だが、そこからが山岳区間。 |
極楽橋で電車からケーブルに乗換え。ケーブルの乗換えは、電車駅から出て、ケーブル駅で再び入場というほうが多いが、ここは電車ホームからケーブルホームに直行できる。 下左 ケーブル車内。車両の一番下から。 下右 下っていくケーブルとすれ違い。 |
9時10分、高野山駅到着。難波から1時間46分。橋本と極楽橋での乗継時間もわずかで効率よく移動できた。 高野山駅は寺院風の駅舎だ。 |
駅舎に向かいあったところにあるバス停から、高野山内のバスに乗車。 |
高野山内のバスは、デジタル切符の場合は、画面を運転手に見せて下車する。 バス用のQRコードがるのかと思っていたら、この画面がでてきて、QRでがないことがわかった。また、運転手が見る部分は、逆向けの表示だ。 乗車時と下車時にはICカード用とVISA用の読み取り機があって、かざすようになっている。駅で行われていたように、QRコードの読み取り機をVISA用の読み取り機と合体させていない。 駅の機械にようにとりつけると、バスではかざしにくいばかりか、危険だからであろう。それに、QRコードはICカードやクレジットの読み取りよりよりも反応が遅いのも、混雑につながり、問題なのだろう。 |
上左 「奥の院口」で下車。奥の院だけに行くなら、「奥の院前」が近いが、参道を歩きたいので「奥の院口」で下車した。 上右 乗車してきたバス。 左 参道の入口。橋は「一の橋」。撮影している自分の背後に案内所があり、そこで地図を入手して散策にでかけた。 |
奥の院まで、すがすかしい空気の中を歩けた。木は針葉樹が多く、紅葉はほとんどなかった。 参道に沿って、無数の墓があるが、著名な武将のものもたくさんある。近年の墓の中には会社の設置しているものもあり、よく知っている会社のものも多い。 |
上左 武田信玄・勝頼の墓。著名な武将にしては、質素な感じであった。 上右 上杉謙信の廟。あまり多くない廟つきの墓。武田の近くで、没後もご近所さん。 左 石田三成の墓。このあと弘法大師御廟の横にあった経蔵は光成の造営だと知って、高野山とかかわりがあったと知った。 このすぐ近くに、明智光秀の供養塔があるのだが、奥まったところで、見逃してしまった。 |
「汗かき地蔵」とその右手に小さく写っている「姿見の井戸」。 「汗かき地蔵」は、いつも汗をかいているように見えるところから名がついたようだが、そうな見えなかった。 「姿見の井戸」は、のぞきこんで、自分の姿が映らなかったら、3年以内に死ぬという怖い伝説がある。のぞいてみたら、影みたいな感じだが、見えたので当分は安泰か。 |
豊臣家の墓。1つ1つは小さいが、広い敷地をとっている。 |
織田信長の墓。真中の大きなものである。 高野山には武将の墓が多くあるがほとんどは、供養にたてられたもので、遺骨をおさめたものは少ないだろう。そもそも、信長の場合は本能寺で焼けて遺骨は定かじゃないから。 それでも、本能寺にある墓が、伝説としては遺骨を集めて納めているといわれる。 秀吉の場合も、豊国廟、家康は日光東照宮が、本来の意味の墓であろうが、ほかの場所にも墓がある。 |
御廟橋から先が奥の院で撮影禁止。 灯籠堂、弘法大師の御廟、石田三成が造営した経蔵などを見て回った。 灯籠堂では。コロナ禍で亡くなった方々の供養が行われていた。 |
御廟などを見て戻ってくると、紅葉のきれいなところがあった。 |
裏参道のような道をとってバス停に向かう。 「無縁塚」はピラミッド型をしていて印象に残った。形だけでなく、近づいてみると、小さな墓石が無数に集まっている。 |
楽書塚。落書きをしてもよいという変わった塚。柳家金吾楼が建てたもの。写真には入らなかったが、写真の右に花菱アチャコの句碑があった。 下左 コーヒーカップが入口にあるUCCの企業墓。ヤクルトの墓はヤクルトの容器が入口にあった。 |
上右 ロケット型の慰霊碑のある新明和工業。戦前は軍用機メーカーで、戦後はYS11をつくった。いまはエアバスやボーイングの部品を手掛ける。ロケットの部品はつくっていないと思うが、意気込みをあわわしているのかな。 左 「奥の院前」バス停に出た。駐車場もあり、ちょっとしたにぎわい。 |
すぐにバスがやってきて乗車。 |
高野山の市街地の中心といえる千手院橋で下車。そして「さんぽう」で昼食。 |
ごま豆腐鍋。 下左 野菜で隠れていたが、鍋の底にはごま豆腐が2きれ。 ごま豆腐は白くて、茶色っぽいイメージをもっていたため、本当にごま豆腐?って思った。食べてみると、味も食感もごま豆腐だった。 下右 店内。 |
金剛峯寺。 広義では高野山の全体をさすが、狭義では高野山の中心になる寺院のこと。 下 内部の見学は30分ほど。古くからの障屏画のほか、近年、千住博によって描かれたものがよかった。内部の撮影は不可。 |
外は撮影できた。岩の多い庭園で、幡龍庭(ばんりゅうてい)とよばれる。 |
上左 大師教会で授戒の体験をしてみた。事務所のある建物で待機。 上右 奥の建物の中へ。真っ暗な中、阿闍梨様から戒めを受け、法話をお聞きする。厳粛な雰囲気の中で30分間。椅子席で行われるので、苦痛ではない。 左 大師教会の境内では真赤な紅葉があった。 |
霊宝館。大正時代の建築だが、左の新館は平成になってからの空調管理をしっかりしている。写真の右側には昭和戦後の建物もある。 多くの国宝、重要文化財の仏像や書画を見た。撮影は禁止。 |
壇上伽藍に向かう途中、きれいな紅葉がみられた。 |
壇上伽藍には多くの建物が集まり、修行の中心になっている。 まず目についたのが東塔。2階部分が円形。高野山の寺院建築には、2階部分以上が円形のものが多い。 |
根本大塔。 弘法大師が根本道場として建立したので、根本大塔といわれる。現在のものは昭和12年にできたもの。 内部には仏像が5体あり、柱には堂本印象による仏画が描かれている。自分としては堂本印象の画ということで仏画が気になった。撮影禁止。 |
金堂。 本堂の役割を果たしていて、多くの儀式がここでおこなわれる。 昭和元年に旧金堂が焼失し、現在の金堂は昭和7年にできたもの。焼失の際、厨子の中にあったとされる秘仏の本尊も焼けた。新たな本尊は見られる。撮影禁止。 |
六角経蔵。 12世紀、鳥羽法皇の妃。美福門院が、紺紙に金泥で書いた一切経の保存のためつくられた。いまは霊宝館に保存。建物は昭和のはじめに焼失し建て直したもの。 下左 六角経蔵には、取っ手がついていて回すことができる。回してみると、かなり重かったけれども、一周できた。 下右 壇上伽藍では、御影堂、不動堂などを見た。 時間の関係で、大門と多宝塔は訪問をとりやめ、金堂前からバスで女人堂に向かう。 |
上左 金堂前から乗ったバスは奥の院前行きで、千手院橋で下車。同時に、道路の反対側に高野山駅行きがやってきたので、すぐに乗り換えることができ、女人堂まで乗車。 上右 女人堂を見る。かつては、ここから女人禁制であったという。 左 女人堂から中心部へはかなり急な下り。 |
徳川家霊台に向かう途中、きれいな紅葉があった。 |
徳川家霊台。同じ建物が左右に並んでいて、右が家康、左が秀忠の霊屋。中には位牌がある。 家光の時代に高野聖によって建てられ、幕府への忠誠の証とされた。 |
高野警察。正式には「橋本警察署高野幹部交番」。寺院風の警察は珍しい。大正時代の建築で、登録有形文化財のプレートもつけられていた。 |
千手院橋バス停近くで土産物を買い、高野山駅前行きのバスに乗車。 このとき15時20分。奥の院口に着いたのは9時30分だったので、6時間滞在。これだけいても、行きたかったところのうち、大門と多宝塔をカットしたので、高野山は広い。比叡山ほどのことはないが。 |
高野山駅に到着。すぐに極楽橋発16時29分の特急「こうや」の特急券を購入。 ネットでも買えたので試してみたが、バスで女人堂から高野山駅までの間で電波が途切れて無理だった。事前には、何時の電車に乗るか決めにくかったので、事前には買えなかった。 |
極楽橋発16時29分の特急に乗るには16時10分のケーブルが接続しているのだが、15時52分初のケーブルに乗れた。 |
ここでトラブル。デジタルきっぷのQRコードを改札機にとりつけられている読み取り機にかざしたのだが、赤ランプがついて、改札機を通れないのだ。 幸い、改札機横に係員がいて、見ていた係員が事務室へ連れていってくれた。事務室内の機械で調べて、難波駅で入場しているが、高野山駅で出場していないとのこと。 QRコードはICカードよりも読み取りの反応に少し長く要するので、朝、高野山駅で下車したとき、読み取りに失敗したのかもしれない。出場手続をしてくれて、もう一度、試すと通過できた。 |
駅名標。ホームが急傾斜であることもわかる。 |
ケーブル最前部までホームを下り、飛び乗るとすぐに発車。 写真は中間地点ですれ違う上りケーブル。 |
極楽橋の出発案内板。 16時6分発の各停に乗ると、橋本で接続の急行が、特急がでたあとの出発になり、さらに、急行のほうが遅いので、難波着は特急の18分後になる。 |
乗車した特急「こうや」。 下 4両編成の全体。 |
上 側面の表示。 左 車内。ほとんどの客は高野山駅を16時10分に出るケーブルでやってきたので、それまではほとんど客なし。 |
座った席。すいていて後にも客がいなかったので、滅多にしないリクライニングを最大にしての乗車。 |
高野山駅で買った特急券。 |
橋本あたりで日没。山岳区間は風景を楽しめた。その後は、真っ暗な中を走って難波着。 下車後、先頭までやってくるとすでに列車名が変わっていた。橋本行きの特急「りんかん」になるようだ。 |
夕食は帰宅してからのつもりだが、改札を出る前に「南海そば」の立ち食いそば屋があり、食べたくなって入店。 |
スペシャルそばを注文。500円でこの店では一番高いメニュー。そばは、うどんか黄麺にかえることができるというので、黄麺にしてもらった。 |
中華麺でだしは和そば用だというは久しぶりでよかった。 食後、改札をQRコードで出場。うまく通過できた。 |
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