2022.11 高 野 山 |
![]() 写真は、久しぶりにやってきた南海の難波駅。くし形の壮大なターミナルだ。 |
![]() 出発が近づいた日、世界遺産きっぷよりも割安な「高野山デジタルきっぷ」があることが判明。 発駅・高野山駅の往復と高野山内でのバス乗り放題という内容は世界遺産きっぷと同じだ。難波・高野山間は、運賃1390円。世界遺産きっぷは、3080円なので、往復運賃に300円加算していあり、バスはもっと乗るだろうからお得だ。デジタルきっぷになると、2510円。往復運賃の1割引きのようで、バス代は完全なおまけ。 実証実験中のようで、利用期間は2022年9月27日〜11月28日だという。 |
![]() 注意するのは、前日までに買わねばならないことと、購入時に、利用日と乗車駅を決めておかねばならないこと。難波発で買えば新今宮空は乗れない。いうまでもないけど、スマートフォンとクレジットカードが必要。 高野山は、宿坊に泊って2日がかりでいく人も多いが、このきっぷは2日有効なので、泊りがけでもOK。 |
![]() 画面のある側だが、これもびっくりした。VISAカードをかざせば、切符を買わず、運賃の支払いができるという。仕組み自体は、飲食店で経験しているが、電車では初めてだ。できれば、VISA以外のカードが使えるともっと便利なのだが。 |
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![]() 細かいことだが、高野線は「各停」、南海線は「普通」と区別している。今宮戎、萩ノ茶屋は、高野線だけが止まり、南海線はホームもなく、普通でも通過するからだろう。 左 乗車した急行・橋本行き。 下 側面の表示。「急行」の下に「高野山連絡」とあるのが特徴。橋本で極楽橋行きに接続しているのだ。 |
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![]() 橋本までは42qで55分、橋本からは19kmで40分。カーブが多く、急勾配であるためだ。 下 区間の中間の高野下駅までは平坦だが、そこからが山岳区間。 |
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![]() 下左 ケーブル車内。車両の一番下から。 下右 下っていくケーブルとすれ違い。 |
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![]() 高野山駅は寺院風の駅舎だ。 |
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![]() バス用のQRコードがるのかと思っていたら、この画面がでてきて、QRでがないことがわかった。また、運転手が見る部分は、逆向けの表示だ。 乗車時と下車時にはICカード用とVISA用の読み取り機があって、かざすようになっている。駅で行われていたように、QRコードの読み取り機をVISA用の読み取り機と合体させていない。 駅の機械にようにとりつけると、バスではかざしにくいばかりか、危険だからであろう。それに、QRコードはICカードやクレジットの読み取りよりよりも反応が遅いのも、混雑につながり、問題なのだろう。 |
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![]() 上右 乗車してきたバス。 左 参道の入口。橋は「一の橋」。撮影している自分の背後に案内所があり、そこで地図を入手して散策にでかけた。 |
![]() 参道に沿って、無数の墓があるが、著名な武将のものもたくさんある。近年の墓の中には会社の設置しているものもあり、よく知っている会社のものも多い。 |
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![]() 上右 上杉謙信の廟。あまり多くない廟つきの墓。武田の近くで、没後もご近所さん。 左 石田三成の墓。このあと弘法大師御廟の横にあった経蔵は光成の造営だと知って、高野山とかかわりがあったと知った。 このすぐ近くに、明智光秀の供養塔があるのだが、奥まったところで、見逃してしまった。 |
![]() 「汗かき地蔵」は、いつも汗をかいているように見えるところから名がついたようだが、そうな見えなかった。 「姿見の井戸」は、のぞきこんで、自分の姿が映らなかったら、3年以内に死ぬという怖い伝説がある。のぞいてみたら、影みたいな感じだが、見えたので当分は安泰か。 |
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![]() 高野山には武将の墓が多くあるがほとんどは、供養にたてられたもので、遺骨をおさめたものは少ないだろう。そもそも、信長の場合は本能寺で焼けて遺骨は定かじゃないから。 それでも、本能寺にある墓が、伝説としては遺骨を集めて納めているといわれる。 秀吉の場合も、豊国廟、家康は日光東照宮が、本来の意味の墓であろうが、ほかの場所にも墓がある。 |
![]() 灯籠堂、弘法大師の御廟、石田三成が造営した経蔵などを見て回った。 灯籠堂では。コロナ禍で亡くなった方々の供養が行われていた。 |
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![]() 「無縁塚」はピラミッド型をしていて印象に残った。形だけでなく、近づいてみると、小さな墓石が無数に集まっている。 |
![]() 下左 コーヒーカップが入口にあるUCCの企業墓。ヤクルトの墓はヤクルトの容器が入口にあった。 |
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![]() 左 「奥の院前」バス停に出た。駐車場もあり、ちょっとしたにぎわい。 |
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![]() 下左 野菜で隠れていたが、鍋の底にはごま豆腐が2きれ。 ごま豆腐は白くて、茶色っぽいイメージをもっていたため、本当にごま豆腐?って思った。食べてみると、味も食感もごま豆腐だった。 下右 店内。 |
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![]() 広義では高野山の全体をさすが、狭義では高野山の中心になる寺院のこと。 下 内部の見学は30分ほど。古くからの障屏画のほか、近年、千住博によって描かれたものがよかった。内部の撮影は不可。 |
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![]() 上右 奥の建物の中へ。真っ暗な中、阿闍梨様から戒めを受け、法話をお聞きする。厳粛な雰囲気の中で30分間。椅子席で行われるので、苦痛ではない。 左 大師教会の境内では真赤な紅葉があった。 |
![]() 多くの国宝、重要文化財の仏像や書画を見た。撮影は禁止。 |
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![]() まず目についたのが東塔。2階部分が円形。高野山の寺院建築には、2階部分以上が円形のものが多い。 |
![]() 弘法大師が根本道場として建立したので、根本大塔といわれる。現在のものは昭和12年にできたもの。 内部には仏像が5体あり、柱には堂本印象による仏画が描かれている。自分としては堂本印象の画ということで仏画が気になった。撮影禁止。 |
![]() 本堂の役割を果たしていて、多くの儀式がここでおこなわれる。 昭和元年に旧金堂が焼失し、現在の金堂は昭和7年にできたもの。焼失の際、厨子の中にあったとされる秘仏の本尊も焼けた。新たな本尊は見られる。撮影禁止。 |
![]() 12世紀、鳥羽法皇の妃。美福門院が、紺紙に金泥で書いた一切経の保存のためつくられた。いまは霊宝館に保存。建物は昭和のはじめに焼失し建て直したもの。 下左 六角経蔵には、取っ手がついていて回すことができる。回してみると、かなり重かったけれども、一周できた。 下右 壇上伽藍では、御影堂、不動堂などを見た。 時間の関係で、大門と多宝塔は訪問をとりやめ、金堂前からバスで女人堂に向かう。 |
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![]() 上右 女人堂を見る。かつては、ここから女人禁制であったという。 左 女人堂から中心部へはかなり急な下り。 |
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![]() 家光の時代に高野聖によって建てられ、幕府への忠誠の証とされた。 |
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![]() このとき15時20分。奥の院口に着いたのは9時30分だったので、6時間滞在。これだけいても、行きたかったところのうち、大門と多宝塔をカットしたので、高野山は広い。比叡山ほどのことはないが。 |
![]() ネットでも買えたので試してみたが、バスで女人堂から高野山駅までの間で電波が途切れて無理だった。事前には、何時の電車に乗るか決めにくかったので、事前には買えなかった。 |
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![]() 幸い、改札機横に係員がいて、見ていた係員が事務室へ連れていってくれた。事務室内の機械で調べて、難波駅で入場しているが、高野山駅で出場していないとのこと。 QRコードはICカードよりも読み取りの反応に少し長く要するので、朝、高野山駅で下車したとき、読み取りに失敗したのかもしれない。出場手続をしてくれて、もう一度、試すと通過できた。 |
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![]() 写真は中間地点ですれ違う上りケーブル。 |
![]() 16時6分発の各停に乗ると、橋本で接続の急行が、特急がでたあとの出発になり、さらに、急行のほうが遅いので、難波着は特急の18分後になる。 |
![]() 下 4両編成の全体。 |
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![]() 左 車内。ほとんどの客は高野山駅を16時10分に出るケーブルでやってきたので、それまではほとんど客なし。 |
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![]() 下車後、先頭までやってくるとすでに列車名が変わっていた。橋本行きの特急「りんかん」になるようだ。 |
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![]() 食後、改札をQRコードで出場。うまく通過できた。 |
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