2023.10     琵琶湖大橋・安土城 

琵琶湖大橋を歩く
 半年ほど前、琵琶湖大橋は歩いて渡れることがわかり、歩く機会を狙っていた。

 今回は、近隣の佐川美術館でガウディ展が開催されることがわかり、ぜひ行って見たく思い、琵琶湖大橋を歩いて渡り、佐川美術館に行くことにした。これだけでは半日で終わるので、午後は安土城跡に行くことにした。

 写真の堅田駅で下車。ちょうど貨物列車が通過中。
 駅から30分、西側の橋のたもとに到着。すぐに上がりになり、やがて橋の最高地点に到着。あとは下り始め、橋の中間地点から先は平坦な橋だ。

 橋は南北2つあり、自動車は南側は西行、北側は東行の専用。歩行者と自転車は方向にかかわらず南北どちらも通れるが、歩道部分が広い北側を歩いた。
 
 最高地点には展望台が設けられている。ここから湖を見ていたら、大型車が通るたびに揺れて、少し怖かった。

 橋の説明も書いてあり。南側は1964年完成、1350m、北側は1994年完成、1400mだという。
 
 
 上   展望台から北湖を見る。

 左   展望台をすぎると下り。平坦になる付近が中間地点。
 平坦部分に入ってから、歩いてきた側を見る。
 25分ほどで渡り終える。料金所は東詰にだけある。
佐川美術館ガウディ展
 
  上   橋を渡り終えた後、佐川美術館へ向かう。途中、琵琶湖大橋がよく見えるところがあった。

 左   佐川美術館に到着。いままで気にはなっていたが、機会がなかった。

 堅田駅から歩いて何分かかるか読めなかったが、予約していた時間内に到着できた。橋を渡ったあと25分、堅田駅からは1時間20分かかった。
 建物に接するように池が作られ、建物の廊下の高さと水面が同じ高さにしてある。不思議な感覚になる。
 池の横を歩いて、入口に到着。

 今回、ガウディの特別展があり訪問したが、常設展としては、画家の平山郁夫、彫刻家の佐藤忠良、陶芸家の十五代樂吉左衛門の作品を展示している。、
 ロビーにはガウディ展のパネル。この先は、撮影禁止。

 サグラダ・ファミリアの建設が急ピッチですすんでいて、2026年の完成をめざしているようだ。今回、ガウディのデビュー時からの作品をみることができて面白かった。

 平山郁夫の常設展でも、シルクロードや仏教という彼のイメージとは離れた作品が多くあって、興味深かった。
 
 見学を終え、バスで守山駅に向かった。
守山駅でラーメン
 30分ほどで守山駅に到着。ここで昼食をとっていくことにする。
 
 バスをおりると、真っ前に「天下一品」があり、久しぶりに食べていこうかと思ったが、隣にもラーメン店があった。「丸岡商店」で、大阪の京橋にある人気のラーメン店だが、入店したことはない。
 
 入口横にポスターが多く貼ってあり、10月13日オープンらしい。この日は10月7日なので、立ち去ろうとしたら、声がかかり、プレオープンしているので、どうですか、と。入店してみることにした。
 
 まだ、出来立てという感じの店内だ。で、何を食べようかと思いメニューを探すとメニューがない。掲示もしていない。

 メニューのかわりに、レシピを何枚かもってこられて、その中から選ぶ。値段は書いてない。この日がはじめての営業だという。
 
 一番基本のような「中華そば」を注文。840円。

 昼食時のサービスで、麺大盛か小ライスが無料ということで、麺大盛にしてもらった。

 かなり味が濃いラーメンだった。薬味のにらが小皿でついてきた。なかなか美味しいラーメンが食べられてよかった。
安土城跡
 守山から安土へ移動。安土は新快速の通過駅なので、普通電車。
 
 安土駅。

 駅舎の右の部分が、八角形だ。安土城の天守の上部に八角形の部分があったので、それをイメージしたもののようだ。
 駅から城跡まで2kmほどだが、その真中あたりに「セミナリヨ史跡公園」があり、立寄る。

 セミナリオは、安土城完成の翌年1980年につくられた神学校。信長の保護のもと、この地に作られた。セミナリオは島原にもあり、ここも以前、見学した。

 安土城が焼けたあと、ここも焼かれ、その後は次第に迫害され、各地を転じていく。
 
 安土城跡の上り口に到着。この山頂付近に天守があった。

 安土城は1576年から築城をはじめ1579年に完成。信長はここを居城にした。

 1582年、本能寺の変で信長がなくなり、安土城も焼かれた。
 
 かつて大手門があったあたりに料金所がある。

 信長は生前中に安土城内にハ見寺(そうけんじ)を建立し、いまはハ見寺が安土城跡の管理をしているようだ。
 
 料金所を通過すると、いきなり石段がはじまる。天守まで約400段。

 赤い服の人はいるところから左に入る道がある。入ると羽柴秀吉邸があった場所だ。
 
 羽柴秀吉邸は上下二段の敷地があり、下談から入る、邸内にある階段から上段に上った。

 写真は上段に残る羽柴邸の礎石。
 羽柴邸から石段に戻ると、向かいには、かつての徳川家康邸があり、いまはハ見寺の仮本堂が設置されている。

 ハ見寺は、安土城が焼けたさい、三重塔などをのぞいて焼けたが、昭和8年に仮本堂ができた。仮というには、とても長い感じがするが。

 城跡のあと、少し離れた博物館も行くので、時間の関係で、土日祝限定の仮本堂特別拝観はやめておいた。
 
 石段を上がっていくと、石段の石の1つに石仏が使われていた。踏まれて石仏の彫刻はほとんどなくなっていた。

 そのあたりの道端にあった石仏をとってきて、石段の一部にしたのだろうか。
 
 石段の脇の石にも石仏が使われていた。数ヶ所で石仏という表示を見た。
 
 さらに石段をあがり、本丸に到着する直前に仏足石があった。

 この仏足石も単なる石材として石段に使われたいたという。昭和初期の調査で判明したらしい。

 
 
 本丸跡。本丸御殿があった。礎石が残っている。
 
 さらに少し上がり、天守台に到着。礎石が残っている。

 下部は八角形で赤く、上部は四角で金色だったという。本能寺の変のあと、焼失し、完成から3年で消えた。

 下   天守台そばからの眺め。湖東平野の向こうに琵琶湖が見え、その向うには比良山系がある。
 
 
 天守台そばから二の丸を見下ろすと、信長公廟が見える。

 このあと、二の丸へ下りて正面からも廟を見た。
 
 下山途中、ハ見寺跡に向かうルートが別れていたのでそちらを進んだ。これがかなり遠回りだった。

 写真はハ見寺跡。城の焼失のさい寺も焼失したが、昭和8年に家康邸跡に仮本堂が再建された。
 
 焼け残った三重塔。
 
 焼け残った仁王門。

 このあと、戻るのにかなりの距離を歩いた。歩いた末に出てきたのが羽柴邸跡のところで、びっくりした。
 
 城跡では1時間ほどで十分かと思っていたが、2時間近く滞在した。ハ見寺跡を回るルートが遠回りだと思わず歩いたためだ。

 すでに15時45分で、大急ぎで博物館方面へ向かう。
 
 安土城考古博物館へ向かった。
 
 博物館の最上部の塔は八角形で安土城をイメージしたもの。

 展示は安土城の発掘調査に関するものが中心かと期待していたが、多くは滋賀県の古代の遺跡関係のものでちょっと残念だった。安土城関係のものもあったけれども。館名も、"城"を抜いて、安土考古博物館にしたほうが実態にあっている。
 
 信長の館へ。ここも上部は八角形。

 ここには、安土城天守の実物大復元模型があって、赤と金色の模型を見た。

 撮影はできるが、ネットでの公開はダメということで、ここでは不掲載。
 
 
 上   田んぼの中を歩き、安土駅に向かった。

 安土城の麓を走るJRが見えた。

 左   安土駅着。下りたのは北口、こちらは南口。手前には安土城城郭博物館があったが、すでに閉館時間をすぎていた。長かった1日を終え、JRで帰宅。
 

 

 

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