2023.12 大 津 |
石山寺と力餅 |
約45年ぶりに1日大津観光をした。石山寺や三井寺は2度目になるが、どんな寺か完全に忘れていた、初訪問みたいなものだ。そのほかはほとんどが初訪問。 JRで石山駅まで行き、JR石山駅からスタート。 |
JR石山駅と京阪石山駅は、同じペデストリアンデッキに面していて、スムースに移動できる。 |
1日乗車券を購入。6回乗車したうえ、石山寺、三井寺は入場券が割引になり、700円はかなりお得だった。 最近は珍しくなった磁気カード。販売は、わずかの数の駅なので注意が必要。 |
石山から石山寺まで乗車。写真は石山寺駅に着いたところ。 |
駅から石山寺の門までは10分少々。 聖武天皇の勅願によって、良弁が開いた。東大寺と同じくらいの歴史があることになる。 |
門を入ると、参道には色あせているものの紅葉が見られた。 |
本堂へ。内部では撮影禁止。 |
紫式部が源氏物語をあらわし始めたという部屋。本来は紫式部人形があるらしいが、修復中とのこと。 |
瀬田川がきれいに見えた。 |
芭蕉庵。「奥の細道」の旅を終えた芭蕉は。近江に滞在し石山寺には度々訪れたという。それにちなむらしいが、それ以上のことは不明。 |
境内のど真中に岩山があった。天然記念物の硅灰石。この岩山が寺の名の由来にもなっているという。 |
石山寺駅に戻り、びわ湖浜大津駅へ、 この駅は約45年ぶりの訪問。かつてはホームが2つあるターミナル的な地上駅だったが、今は駅舎が高架になりホームは1つになっていて、こじんまりとなった感じ。 |
駅のすぐ近くにある「三井寺力餅」へ。 |
力餅と抹茶。 |
喫茶室。 |
土産用も買って帰った。 下 びわ湖浜大津・上栄町間は路面電車になるが、路面を6両編成の電車が走るのは壮観だ。 |
町家めぐり |
古い町家が残る路地を歩く。 |
アーケードのある丸屋町商店街に出た。半分ほどの店は閉まっている。 |
アーケード街に面している「大津祭曳山展示館」に入る。 大津祭のメインイベントは、10月のスポーツの日の前日の日曜に、13基の曳山の巡行。旧の町で曳山をもつ町が13ある。(現在の町名は、合併されて、中央〇丁目といった単純なものだが、旧町名は鍛冶屋町など歴史を感じさせる。) |
西王母山の原寸大の模型。西王母山は鍛冶屋町の曳山で、巡行ではくじとらずで先頭にたつ。 曳山は祇園祭の山鉾のうち、"山"に相当するが、大きさは祇園祭の鉾に近い。 下 巡行経路。ほぼ、町家めぐりをしている範囲を回る。 |
展示コーナー。見ごたえがあってよかった。 祇園祭は疫病払いだが、大津祭は収穫の感謝で行われる。祇園祭は平安時代に始ったっが、大津祭は江戸時代の初期から。 秀吉は大津城をつくり、町家のエリアも城内や外堀のあったところだ。家康によって、廃城され、跡地に町家エリアになったのだが、その直後から大津祭が始ったようだ。 |
百町館。この建物の奥に町家があり、唯一の内部見学ができる町家になっている。でも、外から見ただけでは、一般の商店と変わらず、わかりにくい。 |
このドアの向うが町家だとは思えない。 |
座敷。明治32年の建築だという。 下左 座敷と庭の間の縁側と呼ばれる板の間。 下右 "おくどさん"といわれた昭和初期のかまど。 |
1658年創業の「平井酒造所」。現役の酒造メーカー、酒屋である。 |
文化財に指定されている町家のひとつ。 |
天孫神社。大津祭の曳山巡行の出発点である。 |
料理店として利用されている町家。 |
ロシア皇太子(のちに皇帝ニコライ2世)が警備の警官に切りつけられた大津事件の現場。 |
「坂本屋鮒寿司店」。建物は文化財になっている。 |
店内。鮒寿司や鮎寿司を購入。 |
うなぎ店「逢坂山かねよ」で「きんし重」 |
左上から右下への道路は京阪が路面電車で走る。右上から左下への道路は大津事件があったり、阪本屋はじめ町家がいくつか残っている。 旧東海道は、右上(大津事件現場方面)からきて、ここで90度曲がって右下(上栄町駅方面)に向かっていた。ここにはお触れなどを記した木札があった。それで、この交差点を「札の辻」という。 |
ここには「大津市道路元標」がたっていた。近代になってからも、ここが大津市の中心地とみなされていたのだろう。ただし、現在では大津市の中心は「びわ湖浜大津駅」付近だろうし、市役所は浜大津駅から2kmほど北にある。 下 上栄町駅まで歩いた。途中、大津宿の本陣があった場所を通った。案内板があり、写真の付近だとわかった。石碑が見えるが、大津宿の碑ではなく、明治天皇が泊った地という碑であった。 |
びわ湖浜大津から上栄町の手前まで路面を走った京阪は上栄町から専用軌道を走る。 かつては、京都側でも三条から蹴上あたりまで路面を走ったが、地下鉄東西線ができて、それに伴い路線が廃止され、路面区間はなくなった。 |
6両編成のうち、両端の車両がクロスシート。 わずか1駅だが、くつろいで乗れる。上栄町・大谷は駅間距離が長く、少し時間がかかる。 |
大谷駅着。 歩いて2、3分の「逢坂山かねよ」があるはずだ。 |
ところが、本日休業。でも、向かいの店で食べられるらしい。 |
こちらの2階がレストラン部のようだ。先ほど休業だったのが本店。 |
店内。 |
特きんし重。 |
卵焼きの下にうなぎがもう1枚隠れている。 |
外に出て発見した看板と標識。 かねよは、のれん分けした京都の「京極かねよ」があり、そちらは行ったことがあるのだが、本家に当たる「逢坂山かねよ」も行けて満足。 |
2、3分歩いたところに逢坂の関跡があった。 |
駅に向かう途中、蝉丸神社があったので、石段を上がってみた。 |
本殿。百人一首に選ばれている蝉丸を祀っているのだろうか。詳しいことはわからなかった。 |
大谷駅に戻る。ホームと駅名標からかなり傾斜のあるところに駅があるとわかる。 |
坂を上がってきた「びわ湖浜大津」行きに乗車。 |
三井寺と近江神宮 |
上 びわ湖浜大津で下車。大津港を散策。 左 大津城跡の碑。ここが大津城の本丸の端あたり。 大津城は本丸がびわ湖に面した湖城だった。海に面した高松城みたいなものだったようだ。 |
びわこ浜大津駅や曳山展示館は大津城内にあたる。 家康時代に廃城になったので、家康以降に町家エリアになったようだ。 旧東海道は城の外堀の外を通っていた。 |
びわ湖浜大津駅近くから三井寺駅近くまでの遊歩道は、かつての江若鉄道の線路敷を利用している。 旧線路敷を歩いて三井寺駅方面へ向かった。 江若鉄道は1969年に廃止され、線路敷きの一部は1974年開業の湖西線の敷地に使われた。 |
三井寺駅近くからは、琵琶湖疎水に沿って歩いた。疎水は京都側ではその沿線を各地で歩いたが、大津側では初めて歩いた。 |
琵琶湖疎水がトンネルに入るところ。 |
三井寺への道順がよくわからす、到着したのが、本来なら出口に当たるところだった。 通常とは逆向けに境内を散策。まずは、長い階段を上がった。本来のコースなら下りになったのだが。 |
観音堂。ここが三井寺の中では一番高い場所のようだ。西国33ヶ所巡礼の札所になっている。 |
本堂などがあるエリアへ散策。紅葉はかなり色があせてきているが、まだまだきれいだ。 |
唐院の灌頂堂。 唐院は三井寺の開祖、智証大師円珍の廟。その中にある大師堂が廟だが、灌頂堂の奥にあり、立入禁止エリアになり、近づけない。 灌頂堂は、密教の道場で、大師堂の拝殿の役割もある。 |
一切経蔵。 建物は山口県の寺のもので毛利輝元が寄進した。中には、一切経の経典を納める八角形の蔵があるが、回転する。 |
奈良時代の鐘。 天台宗の中で、三井寺と比叡山は激しく対立し、武闘もおこった。弁慶は義経に仕える前は比叡山の僧であった、そのころ、弁慶が三井寺から奪った鐘の音が、帰りたいといっているように聞こえ、怒って鐘を谷に落としたといわれる鐘。 手前は江戸時代に使われていたという大鍋。 |
霊泉とされる泉で、天智、天武、持統天皇の産湯に使われたという。 1600年に覆屋がつくられ、湧き出ているところの確認ができなかったが、湧き出る音は聞こえた。 |
本殿である金堂。国宝である。 撮影禁止ではなかったが、仕切りの向うにある仏像の撮影は遠慮した。 |
三井の晩鐘。近江八景の1つ。また、宇治の平等院、高雄の神護寺の鐘とともに日本三銘鐘とされる。 |
本堂のエリアから本来の入口である仁王門にかけては、今回の大津旅で紅葉が一番見ごろだった。 |
仁王門を出て、大津市役所前駅まで10分ほど。途中、訪問予定だった大津市歴史博物館は時間の関係でパス。 大津市役所から道路を挟んで真ん前に大津市役所前駅があった。 やってきた電車は、「響け!ユーフォニアム」のラッピング電車だった。 |
近江神宮前駅着。 |
駅の近辺には数ヶ所、大津京跡の遺跡があった。復元建物はなく、見た目はただの空地。 |
近江神宮へは15分ほど歩いた。参道はうす暗く、参拝者もおらず、心細かったが、階段の上に赤の山門が見えてほっとした。、 |
本殿。参拝者は自分だけで、厳粛な気分になった。 |
さらに5分ほど歩き勧学館という研修施設へ、 このとき16時53分。入口の掲示には17時までとあり、大急ぎで見学。 ここは、女流かるたクイーン決定戦や高校かるた選手権の会場だ。「ちはやふる」でも登場した。原作は知らないが、映画は飛行機の機内で見て知っている。 |
さまざまな競技かるた大会の会場になる「浦安の間」。ここで、かるたの大会が行われているんだと感慨。 |
17時に勧学館を出て、近江神宮前駅へ。京阪大津京駅で下車し、JR大津京駅に向かった。 琵琶湖線に比べて湖西線は電車本数が少なく、少し待たされ、帰宅。 |
全体のトップページ |