2023.12 京都 双ヶ岡 妙心寺 龍安寺
花園大学歴史博物館、双ヶ岡、オムロン発祥の地、生ゆば丼
 発作的に大根炊きに行った日、最後に仁和寺に行ったのだが、本当は妙心寺と龍安寺にも行きたかった。でも、そんな時間はなく、あきらめた。それで、この日は、ほかの行先も加えて出直し。

 スタートは京都地下鉄「西大路御池」駅。駅の出入口の背後は西京高校。
 この日の最初の訪問地は花園大学の歴史博物館。写真は花園大学の正門。

 前日に、旧友とのLineグループで、ここで「若狭の古墳」という企画展をしていることを知り、妙心寺などに行く前に立寄れるぞって思い、訪問したのだ。花園大学は妙心寺が母体の学校だ。
 
 この棟の3階に歴史博物館がある。建物に入るといきなり図書館で、どう行けばいいんだろうって思ったが、エレベータを発見し、3階へ。
 
 企画展は「若狭の古墳」。

 今年は奈良県の高松塚古墳や石舞台古墳などを見に行ったし、昨年末には福岡県の王塚古墳などに行き、古墳に関心が高まっていた。でも、若狭に大きな古墳があることは知らなかった。
 エレベータを下りると、歴史博物館の入口だった。
 
 通常時は、考古学関係だけじゃなく、民俗関係や仏教関係の展示もしているようだが、企画展の期間は、若狭の古墳に特化した展示。
 
 家型の埴輪。奈良・橿原の博物館でも見ているが、若狭の古墳でも出土していてびっくりした。

 相当、大きな古墳と思ったが、長さ100m以上の前方後円墳から出土。

 下   須恵器。土器だが、青銅器のような色合いで、見た目、金属のように硬そう。朝鮮からの渡来人の技術だということで、位置的に朝鮮の影響というのはわかりやすい。
 
 
 丸山塚古墳。左の方がかなり破損しているようだが、昭和28年の水害の復旧用土に使われ、それがきっかけで副葬品などが発見されたようだ。

 当初は朝鮮の影響を受けた古墳がしだいに畿内の古墳に類似していくとのこと。大和と独立していた勢力だったが、しだいに大和を支える勢力になっていくことと関連しているようだ。
 
 副葬品の耳飾り。

 若狭の古墳のことを初めて知り、現地へも行ってみたく思いながら、博物館をあとにした。
 
 
 上   続いて双ヶ岡(ならびがおか)のトレッキングに向かうため、丸太町通りを西へ。法金剛院そばの空地から撮影した双ヶ岡。2つのピークがみてとれる。

 左   ついでだから法金剛院も参拝しようと思ったが、12月3日まで秋の特別拝観で公開されていたが、以後は毎月15日だけが公開日で入れなかった。
 
 双ヶ岡の縦走路の南の上り口。しばらく、この階段の傾斜程度の山道が続き、予想以上に急傾斜だった。
 
 いったん「三の丘」という低いピークに至り、その後少し下ったあと、再び上りが続き「二の丘」(標高102m)に到着。ここは余り眺望はよくなかった。
 
 「二の丘」から少し下った「とおみのひろば」から東の眺望がよかった。正面の山が比叡山。手前に寺の屋根がいくつか見えるところが妙心寺。
 
 いったん谷に下り、そこから再び上り道。谷の道は両側に下っていき、谷道は峠になっている箇所である。
 「一の丘」(標高116m)に到着。西北側がよく見える。右上の山は愛宕山。
 
 東側へ下ったところの公園では紅葉がきれいだった。
 
 さらに住宅地の中を東にすすんだ公園に「オムロン発祥の地」の碑があった。ここを知ったのはネット仲間のshojiさんのおかげ。
 
 下   碑の右側には社名の説明が書かれていた。現在の「オムロン」が「立石電機」とよばれていたころ、ここを拠点にしていた。「オムロン」は、ここのエリアの地名「御室」から名づけられたという。
 
 
 碑のそばの土堂公園。公園や周辺の住宅地がかつての立石電機の敷地だったのだろう。
 
 このあと妙心寺を参拝するが、その前に昼食をとる。
 
 妙心寺の山門を通り過ぎ、妙心寺の運営するホテルである「花園会館」へ。撮影していたら、偶然、ホテルに関係しているお坊さんなのか、お坊さんが通りかかった。
 
 会館内のレストラン「花ごころ」店内。

 下   「生ゆば丼」と小うどんのセットを注文。
 
 
 生ゆば丼にたれをかけたところ。

 生ゆばは、とろろのような色、食感で、最初はとろろ丼かと思ったくらいだ。固形のゆばをイメージしていたので、出てきたものが予想外だった。

 生ゆばは、豆乳を熱してできる薄い膜を串で引き上げていただいたことがあるし、固まった状態の生ゆばの刺身をいただいたこともあるので、そういった感じだと思っていたのだ。
妙心寺,龍安寺,立命館大学国際平和ミュージアム,胡椒餅店は休業
 妙心寺の南門。

 妙心寺には塔頭(たっちゅう)が多くある。塔頭は、大きな寺の中にある小さな寺。妙心寺には塔頭が四十数ヶ寺あるが、公開しているのは3寺。(境外の龍安寺は別にして)

 今回は、紅葉で有名な庭園がある塔頭の退蔵院と妙心寺本体を訪問する予定だ。
 
 門には拝観中止の掲示がしてあった。

 この日は11日。すでに拝観できない時間に入っている。これは妙心寺の本堂などに入れないということで、塔頭は別のようだ。
 
 まずは、退蔵院へ。入ることができるようだ。

 妙心寺は本体の寺より、塔頭の退蔵院のほうが観光的には有名だ。
 
 中に入るといきなり紅葉が目に入った。やや色あせてはいるけれども。本堂の手前の拝観券売場で、券を買い、まずは本堂へ。
 
 本堂を参拝。
 
 本堂の一角に国宝「瓢鮎図」(ひょうねんず)のレプリカがかかっていた。

 
 
 15世紀初めの如拙の作。ひょうたんでなまずを捕らえようとする男を描いている。水墨画の初期のもの。
 
 本堂の縁側から見た「元信の庭」。狩野元信の作の枯山水庭園。
 
 余香苑(よこうえん)。

 昭和41年にできたもので新しい。一部に紅葉がまだ見ごろの木もあった。
 
 水琴窟の音色も楽しめた。
 妙心寺の本堂である法堂。開山忌の行事をやっていて、撮影禁止だが、見ることができた。

 開山忌は、妙心寺を開いた慧玄禅師の命日。法堂内では、いろいろな色の法衣をまとった多数のお坊さんが歩き回る儀式が行われていた、

 中に入れなかった代わり、年に一度の行事を見られてよかった。
 
 法堂から北門まで300mほどあり、その間、石畳の道の両側は塔頭が並んでいる。

 この道は妙心寺境内の中の道だが、近隣住民が歩いたり、自転車で通ったりしている生活道路の役割も持っていた。
 北門から嵐電・龍安寺前までは商店街を歩き、そのあと住宅地を歩いて龍安寺に向かった。
 
 龍安寺の山門の手前付近。

 人がたくさんいるのは修学旅行生が多かった。最近は、タクシーでグループごとに回るケースが多く、ドライバーがガイドを兼ねているようだ。拝観券は団体ではなく、その都度、個人で買うので、売場が混雑していた。
 
 石庭までの間には大きな池があった。

 下   石庭に到着。石庭に面した縁側は、外国人や修学旅行生が多くて、腰かけて庭を見ることはできなかった。
 
 
 
 上   方丈の障壁画40枚は2022、23年、細川護熙元総理が描いて寄進されたもの。

 龍安寺は、妙心寺の境内ではないが塔頭。創建者は室町時代の守護大名であった細川勝元。応仁の乱で東軍の大将。その末裔が細川護熙氏。

 左   境内に残る紅葉を見ながら散策。
 
 「きぬかけの道」。

 仁和寺から龍安寺、堂本印象美術館を経て、金閣寺に至る散策路。
 
 立命館大学国際平和ミュージアム。

 2021年に立寄ったが、2023年まで閉館ということで、2023年9月、新装なったあとまもなくの訪問。
 
 太平洋戦争時の庶民の暮らしの展示。
 19世紀から21世紀までの戦争についての展示。これが展示全体のなかで中心だった。
 
 「わら天神前」から市バス205系統に乗車。西大路四条へ。
 
 夕食を胡椒餅の店「福丸」でいただいて帰ろうとやってきた。ネット仲間のshojiさんに教えていただいた店だ。

 店内の明かりはついていたが、カーテンがしてあり、嫌な予感。
 
 この日は11日で月曜。月火と休みが基本のようだ。年末は特別だが。また出直して、やってこよう。

 「福丸」がだめなときは、かわりに「京極かねよ」に行くつもりだった。ところが、きつめの雨が降り出してきたので、この日は帰宅することにした。



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