4   大阪城 梅林と天守、難波宮
大阪城 梅林
 大阪城の梅林を見、あわせて天守など城も見て、難波宮跡と大阪歴史博物館にも行こうという計画で出発。

 京阪・京橋で下車。京橋では西側の片町口から外に出た。このとき10時前。
 改札を出るとすぐに高架の歩道があり、普通は大阪城方面はこのルートが便利なので、歩きかけた。

 このとき、別の思いが出てきて、急きょ別のルートを歩くことにした。
 
 向かったのは、廃駅になった片町駅の跡。工事中であった。

 学研都市線は昔は片町線と呼ばれ、ここにあった片町駅が起終点だった。今は、線路跡の地下には東西線が通り、駅はない。
 
 案内板があった。なるほど、国有化前に私鉄で開業したので片町が起点だったと知った。
 片町駅跡に近い橋を渡り、大阪城公園に入る。
 
 青屋門から城内へ。
 
 青屋門を入って左へ行けば梅林。右へ行けば本丸。まず、梅林へ。
 
 白梅。
 
 薄いピンク色の梅。
 
 濃いピンク色の梅。
 
 紅梅。
 
 黄梅。これは珍しい。梅林の中でもわずかにあっただけ。
 
 梅林越しに見る天守。

 下   観梅の期間だけ営業のコンビニがあり、試飲販売もしていた。

 左は「梅ゆかり」、右は「梅抹茶」という2種類の昆布茶。
 
大阪城 天守など
 内堀にかかる極楽橋を渡り、本丸に上る前にある山里丸に入る。そこに「豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地」の碑があった。
 
 山里丸から本丸に上るとそこに天守があった。

 秀吉時代の天守は夏の陣で焼け、徳川時代に再建されたが、さほど年月をたたずに焼け、天守なしの時代が長く続いたが、昭和9年に再建されたのが今の天守。

 徳川の天守は石垣の上にあるのが秀吉の天守との違い。昭和の天守も石垣の上に建てられたが、様式は秀吉天守に似せてあるという。

 
 
 天守に上る途中にあった屋根付きの井戸。徳川時代にできたものだという。
 天守の入口。

 ここから5階までエレベーターであがり、下車後、8階の展望台まで歩いて上るが、途中、5階と7階に展示がある。自分は展望台から下りる時に見た。下りるのはすべて階段で、そのさい、4階と3階の展示を見るようになっている。
 
 展望台からみた本丸。今は広場だが、徳川時代には本丸御殿があった。ただし、ごく初期以外は天守は焼けて、御殿だけがあった。
 
 展望台からみた梅林。
 
 展示。5,7階の常設展示は撮影可、3、4階の特別展示は撮影不可だった。
 金蔵。これは徳川時代から残る建物。
 秀吉時代の石垣は徳川時代に埋められ、その上に新たな石垣がつくられた。

 秀吉時代の石垣の発掘が行われ、その展示施設をつくる工事が行われていた。
 
  本丸にレトロ建築がある。天守と同じ昭和9年につくられた第4師団司令部。戦後は警察や博物館として使われたが、現在は1階は土産物屋やカフェ、2、3階はレストランや結婚式場。
 
 豪華な階段。踊り場から上は利用者以外は立入禁止だった.。
 
 石山本願寺があったところに秀吉が築城したようだ。大阪城が難攻不落といわれたのと同様、石山本願寺を信長が攻めきれなかったのは、台地上という地形的なことがおおきいのだろう。
 
 桜門から本丸を出るが、その直前であった巨大な石。
 桜門から二の丸に出る。
 二の丸には秀吉を祀る豊国神社があった。
 西の丸では、夜間に「大阪城イルミナージュ」というライトアップが行われていた。
 
 大手門から外に出た。
 
 外堀の外側から雁行する石垣を見る.。あらためて高い石垣だと思う。
難波宮跡と大阪歴史博物館
 難波宮跡へ。

 難波京は、前期と後期があり、前期は.孝徳天皇のときで、大化の改新直後の650〜654年。

 後期は聖武天皇のときで、744年のうち9ヶ月。聖武天皇は、平城京から恭仁京、難波京、紫香楽京、平城京と遷都を6年のうちに繰り返したが、その途中での遷都。
 復元建物としては、八角形の柱と屋根の骨組みだけのものがつくられていた。
 
 太極殿跡。柱の位置が示されている。
 
 ここには回廊があったのだろうか。
 ほかは特に目立つものはなかった。
 
 左がNHK大阪放送局。右が大阪歴史博物館。2つの建物は1階に連絡スペースがあって繋がっている。
 
 博物館の玄関前には、大型の高床の復元建物がある。

 博物館とNHKの前には広場があるが、その一帯が法円坂遺跡。

 5世紀の古墳時代のものだという。古墳時代には古市古墳群がつくられているが、そのときの都との関連も考えられている。
 
 歴史博物館の最上階にあがり、下っていく。最上階が古代で難波宮関係が中心。

 下の階に下ると、江戸時代。その下は近現代。
 
 大阪城の全体がよく見えた。
 難波宮跡の全体もよく見えた。真中の白いのが太極殿跡。道路の左は工事中で入れなかったが、内裏があった。

 この写真のすぐ左は大阪城の外堀。難波宮と大阪城は近接していて、上町台地上にあり、防御や排水を考えてつくられたので、近くになったんだと
理解できる。、
 
 下の階の江戸期の展示。天下の台所として繫栄した様子が展示されていたが、新清水寺なんてあったんだとびっくり。今も、清水寺として四天王寺の近くに存在しているという。行ってみたくなった。
 
 NHKとつながっている1階でNHKの展示も見た。大阪局では、近畿ローカルの番組だけでなく、全国向け番組もいろいろつくっているのだと知った。よく見る番組では、「歴史探偵」が大阪制作番組だと知って驚いた。
 
 京阪天満橋駅から帰宅。このとき17時前で、大阪城付近で7時間うろうろしていたことになる。



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