4 大阪城 梅林と天守、難波宮 |
大阪城 梅林 |
![]() 京阪・京橋で下車。京橋では西側の片町口から外に出た。このとき10時前。 |
![]() このとき、別の思いが出てきて、急きょ別のルートを歩くことにした。 |
![]() 学研都市線は昔は片町線と呼ばれ、ここにあった片町駅が起終点だった。今は、線路跡の地下には東西線が通り、駅はない。 |
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![]() 下 観梅の期間だけ営業のコンビニがあり、試飲販売もしていた。 左は「梅ゆかり」、右は「梅抹茶」という2種類の昆布茶。 |
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大阪城 天守など |
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![]() 秀吉時代の天守は夏の陣で焼け、徳川時代に再建されたが、さほど年月をたたずに焼け、天守なしの時代が長く続いたが、昭和9年に再建されたのが今の天守。 徳川の天守は石垣の上にあるのが秀吉の天守との違い。昭和の天守も石垣の上に建てられたが、様式は秀吉天守に似せてあるという。 |
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![]() ここから5階までエレベーターであがり、下車後、8階の展望台まで歩いて上るが、途中、5階と7階に展示がある。自分は展望台から下りる時に見た。下りるのはすべて階段で、そのさい、4階と3階の展示を見るようになっている。 |
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![]() 秀吉時代の石垣の発掘が行われ、その展示施設をつくる工事が行われていた。 |
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難波宮跡と大阪歴史博物館 |
![]() 難波京は、前期と後期があり、前期は.孝徳天皇のときで、大化の改新直後の650〜654年。 後期は聖武天皇のときで、744年のうち9ヶ月。聖武天皇は、平城京から恭仁京、難波京、紫香楽京、平城京と遷都を6年のうちに繰り返したが、その途中での遷都。 |
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![]() 博物館とNHKの前には広場があるが、その一帯が法円坂遺跡。 5世紀の古墳時代のものだという。古墳時代には古市古墳群がつくられているが、そのときの都との関連も考えられている。 |
![]() 下の階に下ると、江戸時代。その下は近現代。 |
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![]() この写真のすぐ左は大阪城の外堀。難波宮と大阪城は近接していて、上町台地上にあり、防御や排水を考えてつくられたので、近くになったんだと 理解できる。、 |
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