5  真田丸、四天王寺、動物園
真田丸跡
 前々日、大阪城へ行った際、冬の陣で真田幸村が陣地にした真田丸が気になり、加えて歴史博物館で新清水寺があることも知り、行ってみたくなった。あわせて、未訪問の四天王寺と天王寺動物園も行くことにした。

 出発直前、NHKの近畿ローカルニュースで、大阪城で見た秀吉時代の石垣跡の展示施設の完成後、天守と同じ入城券で入ることになり、入城料は今の600円から1200円になるってことでびっくり。日本最高の入城料になるという。(前々日は、天守と歴史博物館の共通券を買い、1000円だった。)

 この日のスタートはJR玉造駅。

 
 玉造駅の西500mほどの小高い丘に真田丸が築かれた。

 丘の一角に三光神社がある。由来書きを見ると、冬の陣よりはるかに古い時代が起源なので、真田丸が築かれて、その中に含まれたのだろう。

 石の鳥居の左前に短い円柱がたっている。昭和20年の大阪空襲で鳥居が破壊され、残った部分を保存しているのだそうだ。
 
 社殿の前に幸村のパネルがあったが、真田丸の想像図が描かれている。

 横に猿飛佐助も描かれているが、実在の忍者ではなかったようだ。ただし、幸村を助けた真田十勇士は実在。
 
 幸村の像もあった。

 真田幸村の本名は信繁。幸村は死後に使われるようになったようだ。

 信繁は関ケ原では西軍につくが、東軍についた兄の信之は妻が家康家臣の本多忠勝の娘であったため、死罪はまぬかれ、高野山近くの九度山に配流となった。

 信繁は、冬の陣の前に豊臣方から請われて脱出。冬の陣では、真田丸を根拠地にして、夏の陣では、徳川本陣への突入も試みたが失敗。安居神社で討ち取られた。

 

 
 さらに西へ500mほど歩く。いったん谷に下りて、また上って「真田丸顕彰碑」に到着。真田丸の戦いのことが記してある。

 背後の建物は、明星中学高校。大阪の私立中高の有名校で、ここにあったのかって感じ。
 
 道路を挟んで、明星中高の反対側には寺が3つ並んでいた。由来書がなかったので、想像だが、これらも真田丸がつくられる以前からあったのだろう。

 真田丸は結構広い砦であったと思った。
 
 南へ30分ほど歩くこの間、徐々に高度を下げていった。

 やがて近鉄・上本町駅の東側に出た。右の建物が上本町駅の駅舎。線路をアンダーパスで通る。
四天王寺
 さらに30分ほど歩いて四天王寺の東大門に到着。

 四天王寺は。聖徳太子によって創建された古寺だが、古くは信長の石山本願寺攻めと大阪冬の陣、新しくは大阪空襲で破壊されて今の建物の多くは戦後の再建ということもあり、いままで訪問していなかった。今回、行ってみることにした。

 
 
 まずは、伽藍の見学。写真は、五重塔、金堂、講堂が一直線上に並んでいる。五重塔の左には中門があり、これも一直線上にある。

 主要な建物が一直線上にあり、それらを回廊で取り囲むのが、四天王寺式といわれる最も古い伽藍配置。
 
 伽藍内では、五重塔に上がることができたのがよかった。今まで、五重塔はいくつか見たが、上階に上れたいうのは初めて。

 昭和38年の再建で、上るのが可能なように設計されたのだろう。内部は撮影禁止。位牌が多数並んでいた。最上階からは、小さな窓こしに大阪市街が見えた。

 金堂、講堂も中に入ったが、撮影禁止。
 
 聖徳太子を祀る聖霊殿(太子殿)。こちらは昭和29年の創建で、割と新しい。
 
 続いて宝物館に行ったが、何と閉館。2月5日から閉館で、模様替えして3月9日からの開館らしい。
 
 本坊庭園(極楽浄土の庭)へ。

 江戸時代につくられ、明治時代に補修されたもので、明治らしい趣の八角殿が印象的。

 四天王寺の建物の多くは昭和の再建だが、庭園の近くには江戸時代のものが少しあった。
 
 元三大師は、比叡山延暦寺の座主で、おみくじの祖といわれる。どんなところか気になったのだが工事中だった。
新清水寺と真田幸村戦死の地
 四天王寺を西大門から出て、前々日の歴史博物館の展示で知った新清水寺へ。"新"をつけたのは江戸時代の話で、現在は単に"清水寺"だ。

 四天王寺方面からは坂を下るか、下りきると、清水の舞台に上るのが大変なので、先に舞台に行くようにした。舞台の上に続く寺の敷地は墓地。
 
 舞台からは大阪市街がよく見えた。
 
 舞台は京都の清水寺ほど広くなく、寺の建物はここにはなく、舞台から下りたところにある。
 階段を下りて、舞台の下へ。

 歴史博物館で見た江戸時代の絵では木製の舞台だったが、今はコンクリート。昔ほど本物の清水の舞台には似ていない。
 
 京都の清水寺には音羽の滝があるように、こちらには玉出の滝がある。

 石垣の上から3つ突き出ているところから水が流れ落ちている。写真では一番左から水が出ているのが何とかわかる。ほかの2つからも出ているのだが、写真ではわからない。
 
 清水寺を出て、安居神社の裏口へ。安居神社は坂の上にあるので、また丘の上に上らねばならない。
 
 「真田幸村戦死跡之碑」。夏の陣のさい、ここで休憩中に討ち取られたという。
 碑の横には真田幸村の座像があった。背後には安居神社の建物がある。
 
 表口から外に出た。ここから坂を下り、新世界に向かう。
新世界で串カツ
 通天閣の直下の新世界にやってきた。すでに14時を回っている。昼食で串カツを食べていくことにした。
 
 多くある串カツ店の中には列のできているところもあり、どうせなら人気店に行きたかったが、このあと動物園に行く予定なので、空いていた「いっとく」へ。
 
 店内。

 ガラガラだったので、テーブルに座ろうとしたら、調理場にいた人(たぶん店長)がアルバイト店員に向かって、こっち(カウンター)に座ってもらえというのが聞こえてきた。感じ悪う。

 どうせなら、客に直接言ってもらうほうがいい。あるいは、混んできたら、カウンターにうつってほしいというのでもいい。
 
 
 
 上左   生ビール。泡が多い。店員はアルバイトだろうが、店長がうまく伝えていないようで、またまた感じ悪い思い。テーブルの座り方をいうくらいなら、生ビールのつぎ方をしっかりさせよといいたい。

 上右   以前は、ソースの容器に串カツをドボンとつけるのが主流だったが、ソース入れにソースが入っていた。

 コロナ禍の影響や"二度つけ"防止のためだろう。

 左   串カツがくるまで、キャベツを食べて待つ。

 キャベツも昔は大きな容器から自由に取り出して食べられたのだが、皿に入ったものが運ばれてきた。これだけじゃ足りないのでお代わりをした。やはり、コロナ禍の影響と迷惑行為の防止のためだろう。
 
 10本セットを注文。時間が気になっていたので、1本づつの注文だと時間がかりそうだったので。

 左上から右へ、もち、かぼちゃ、じゃがいも、れんこん。左下から右へ、きす、豚、ウインナー、ベーコン、ししゃも、えび。

 油がよく落ちていて、食べやすかった。値段を計算すると1割少々、1本づつ注文するより安かった。接客がいまいちだったが、料理そのものはよかった。
天王寺動物園
 食べ終わると15時を回っていた。新世界をざっと歩いて、天王寺動物園に向かった。

 下   新世界の繁華街に繋がる形で天王寺動物園の「新世界ゲート」があった。
 
 
 レッサーパンダ舎へ直行。飼育員さんからエサをもらうために立っているレッサーパンダを見られた。 
 
 散歩中。
 
 3頭がいて、撮影がしやすかった。NZのウェリントン動物園で、苦労したので雲泥の差。

 とはいえ、狭い遊び場なので、ストレスがたまるのじゃないだろうか。

 日曜ということもあり、見学者がとても多かった。また、見学者の半分ほどは外国人らしかった。旅行者のほか、日本在住の外国人がベビーカーに子供をのせてやってくるケースも多い。
 
 ほかの動物を見ながら天王寺駅側の「てんしばゲート」から退出。

 「てんしば」とは、天王寺公園の芝生広場から名付けられたようだ。

 ゲートからは、あべのハルカスがそびえているのがよく見える。
 
 JR天王寺駅から帰宅。



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