6 茶臼山と一心寺、新世界 |
茶臼山 |
3日前に行ったばかりの真田幸村が戦死した安居神社のすぐそばにある茶臼山と一心寺が目的地。 すぐそばにありながら調査不足で、3日前には行けず、ブログ読者のmkさんのコメントで初めて知った。 スタートは、3日前のコース終点になったJR天王寺駅。 |
上 10分ほどで茶臼山の麓に到着。麓から10m少々の山だ。標高は26m。 左 山を上っていく。ここは、大坂冬の陣では徳川家康、夏の陣では真田幸村の陣地になったところ。 |
頂上。かつては古墳だったという。円墳とみられ、頂上は円形をしている。 下 頂上には三角点の標識がある。 |
南側の麓には池がある。あとで、夏の陣のさいに両軍の境に谷筋があったことを知り、見に行ったのだが、この池もその谷筋の延長にある。 池の右端のほうは天王寺動物園になっている。 下 麓にあった夏の陣の陣地配置図。真中の白い部分が茶臼山。 |
一心寺 |
茶臼山の北側の出口を出たところに一心寺の存牟堂があり、夏の陣のガイド施設になっている。 下 7分間のビデオを見て、見学ルートを決める助けになり、パンフレットをいただいた。 写真で、赤が豊臣軍、青が徳川軍。真中の青いところが茶臼山南側の池、徳川軍が谷町筋を通り、豊臣軍の中へ突入している様子がわかる。 |
一心寺の三千仏堂。 この寺に限らず、大阪の寺は、コンクリート造りの寺が多く、一見しただけでは寺とわからないことが多々ある。大阪空襲で焼けた影響だろう。 |
三千仏堂の中には、多数の仏像があるが、まだ仏像のたてられていないスペースもある。 寄進者の名前が書かれているのを見ると、十数年間、寄進者が続き、仏像が次第に増えているんだなってわかる。 |
一心寺の仁王門。これはびっくりした。本堂の山門なのだが、およそ寺のイメージからほど遠い現代アートのような門だ。 仁王様も普通よく見る仁王様じゃなく、西洋美術の男性像のような感じがする。 昔は、大阪城の玉造門を移築した山門があったが、大阪空襲で焼け、その後50年を経て、平成になって再建された山門だそうだ。 |
上 本堂。この寺では、遺骨によって仏像が10年に一体づつ作られている。昔のものは空襲で焼けたのだが、戦後のものは、本堂の左側の建物で見ることができた。 左 徳川軍の本多忠朝の墓。彼は不満をもらしたことで、家康の逆鱗にふれ、それを挽回するため、大名でありながら、豊臣軍の中に突入したものの討たれたという。 |
きりふりの松の切り株。 この松のところで、幸村が家康を討とうとしたが、霧が立ち込めて、気づくと家康がいなくなっていたという伝説のある松だが、枯れたので切株が残されている。 |
新世界まで散歩 |
一心寺を北門から出ると、道を隔てて、3日前に行ったばかりの、幸村が戦死した地である安居神社があった。 |
道路は谷町筋。南へ坂を少し下るが、下りきったところに谷筋があり、そこからは再び坂を上る。 撮影している付近には豊臣軍の陣地があり、あべのハルカスあたりに徳川軍の陣地があった。 |
50円の飲料の自販機があった。 最近は80〜120円程度の安い価格の飲料の自販機をよく見るようになったが、50円というのは珍しい。 |
50円の飲料を飲む。 |
谷筋にあたる道。 |
谷筋から四天王寺の南大門が見えた。南大門の南側にも豊臣軍の陣地があった。 |
谷筋にあった井戸。 |
天王寺駅、「てんしば」、動物園のゲートなど通り、新世界に向かった。 |
新世界で寿司 |
新世界のじゃんじゃん横丁へ。 |
すでに14時近かった。昼食を「大興寿司」でとっていくことにした。 |
上 かにみそ、タラ白子、かき、赤貝。 左 玉子の吸物。 合計1350円だった。ネタの内容を考えれば安い。 |
閉店からかなりたつ「づぼらや」もふぐの提灯がないこと以外、昔の姿のまま。 夕方から強い雨との天気予報だったが、じゃんじゃん横丁から出ると、早くも本降りになっていた。 |
OMO7星野リゾート。とても大きい。 |
15時ごろで、他に行くところも考えていたが、雨足が強く、ここで切り上げ。地下鉄・動物園前から帰宅。 |
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