1  おおさか東線、天六
おおさか東線
 
 スタートはJR京橋駅。

 天王寺、久宝寺、大阪、天満と大回り乗車をして、まだ乗ったことがない「おおさか東線」に乗車する。

 下   天王寺から大和路快速・奈良行きに乗車し、次の停車駅の久宝寺へ。
 
 
 
 上   久宝寺で乗換。案内を見ると、乗換駅の多い路線だ。

 線路自体は貨物線としては古くからあった路線を旅客線としても活用したものだ。

 左   出発は天王寺方面へのホームから。本数の多い天王寺方面への電車の合間を使っての出発で、神業のような感じ。

 車窓は、ずっと住宅地と工場が混在するエリアが続いた。
 
 難読駅の「放出(はなてん)」。放出〜鴫野間は学研都市線と並行し、複々線である。
 
 大阪着。もともとは「梅北新駅」と呼ばれていた地下ホームに到着。

 先日、「くろしお」に乗車し、このホームに停車したので、下りてみたくなり、おおさか東線乗車とあわせておこなった。

 おおさか東線は、放出以南が2008年、放出〜新大阪が2019年、新大阪〜大阪が2023年の営業開始だが、今まで乗る機会がなかった。

 
 
 上   地下ホームの出発案内。大阪駅で久宝寺というのが新鮮。

 左   地下ホームそばには、うめきた出口があり、長い通路を歩くと西出口がある。旧来のホームに上るところも、はじめてやってきた。
 
 大阪駅の環状線ホーム。
 
 天満駅で下車。

 京橋〜天満、140円区間の大回り乗車終了。

 1984年に当時の国鉄を全線乗車。以後廃止線は多かったが、新設路線は少なかったものの、あえてタイトル維持はしてなかった。それでも、折に触れて乗車し、残るは北陸新幹線、八戸以北の東北・北海道新幹線、それに2023年開業の羽沢横浜国大関連の路線。

 1984年には私鉄も含めて、いったん日本の鉄道の全線乗車したが、こちらは、その後、大都市圏の路線が多数新設された。この日は3月22日だったが、23日には、北大阪急行が千里中央から箕面萱野まで延長されるなど、タイトル奪還は遠い。
"まきの"で天ぷら
 天満駅周辺で昼食をとろうと、駅近辺を歩き回った。一杯飲み屋風の店がたくさんあるが、昼間はほとんど営業していない。

 結局、天神橋筋商店街で天満駅から少し北にある「まきの」で昼食にした。
 
 店頭の掲示でみた「春らんまん天ぷら定食 玉子天付き」を注文。
 店内。
 ゆず大根、いかの塩辛は自由に食べられる。
 上列、てんつゆ、ゆず大根、いかの塩辛。下列、みそ汁、ご飯、春らんまん定食につく明太クリームソース。
 
 えび、たけのこ、イトヨリダイ。
 
 新玉ねぎ、舌平目、白えびと菜の花のかき揚げ。

 下左   玉子天。

 下右   温泉玉子だったので、ご飯においていただいた。

 美味しかった。福岡の「ひらお」に匹敵する旨さだ。身体にはよくないけど、無料のご飯お代わりをいただいた。
 
 
天六周辺
 天神橋筋商店街を北へ歩く。
 アーケードを抜けると、かつて阪急・天神橋駅のターミナルがあった場所には、タワーマンションなどがたっていた。

 昔の駅の痕跡が残っていないか、タワマンの回りをみてまわったが、何も見つからなかった。さらに北側は病院になっていて、痕跡はなかった。

 その代わり、関係ないことで、新たなことがわかった。この付近を「天七(てんひち)」と呼ぶってこと。天一から天六までって思っていたが、天七があってびっくり。
 
 1970年、万博の開催中に、天六の地下鉄谷町線工事現場でガス爆発事故があり、死者79名を出している。

 印象に残っているのだが、天六についてネット検索していて、慰霊碑があると知り、行ってみた。碑の横に小さく車が写っているところが地下鉄の通る通り。天六から東へ5分ほどのところ。
 
 慰霊碑のある公園にあった自販機を見ると「ミルクセーキ」を販売していた。この商品ははじめて見た。

 商品名やパレードという銘柄は何となく記憶がある。味は忘れているが、なんだか懐かしい感じのする甘い味だ。しかも寒い日だったので、ホットというのもよかった。
 
 天六に戻る。商店街のアーケード入口横のビルには大阪市関連の施設が入っている。8〜10階が「大阪くらしの今昔館」になっていて、入館してみる。
 入館券。

 時間つぶしのために入館したら、意外と面白くて、ビデオを見たりしていて、2時間近く滞在した。入館者の半分以上は外国人という感じだった。
 
 最上階で江戸時代後期の商店街が再現され、上から展望。説明の音声が、桂米朝さんの読みで引き入れられた。

 この下の階で、民家に入ったりできるようになっている。
 
 薬屋。「ウルユス」は薬の名のようだが、この時代にカタカナの薬があったのは驚き。
 
 1912年、初代の通天閣とルナパークが開業した。こんなのがあったんだ。1923年には閉園と、営業期間は短かかった。通天閣も戦時の金属供出で解体された。現在の通天閣は1956年開業。

 下   自分の生きた時代のものも展示されていて、これらもいよいよ博物館行きになったんだと思った。
 
 
 商店街を南へ向かう。
 
 タイ焼店「鳴門鯛焼本舗」。割と各地に出店している店だ。

 ここはキャッシュとAUペイかでの支払いだったが、AUペイは利用していないのでキャッシュ払い。QRコード決済は、ペイペイを、クレカが使えない場合などに利用するが、あまり好みじゃない。
 
 タイ焼のほかに、アイスもあることがわかり、抹茶あずきアイスをいただく。
 
 いったん天満駅をすぎ、大阪天満宮近くの川端康成生誕の地を見に行った。

 「伊豆の踊子」や「雪国」などの作品から何となく関東の人かなと思っていたので、ネット検索でわかったときは意外感があった。

 天満駅から帰宅。



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