|
2025.2 中之島・北浜 |
| 中之島散策 |
中之島、北浜周辺を散策しようと、京阪・淀屋橋で下車。淀屋橋というと駅としての認識しかなくて、淀屋橋という橋をじっくり見たことはなかった。 よく見ると、レトロな街灯がついていることに初めて気づいた。 |
淀屋橋から西へ100mほどのところに「淀屋の碑」があった。淀屋とは、江戸時代に中之島で繁栄した豪商で、屋敷そばの橋が淀屋橋と呼ばれたのが、今も続いている。 淀屋家は、幕府に財産を没収され、その後、再び繁栄するが、幕末に財産のほとんどを朝廷に献上して、歴史から消えた。 |
さらに西へ向かうと三井住友銀行の大阪本社があった。2001年に住友銀行と三井系のさくら銀行が合併して三井住友銀行ができたが、そのときに、三井住友銀行の本店は旧さくら銀行本店になった。そして、旧住友銀行の本店は大阪本社となった。 |
玄関は現在は使われていない。西側から出入りするようになっていた。玄関の上の英語表示は「SUMITOMO MITSUI」だ。英語では、住友が先にくるとは初めて知った。 |
さらに西に歩くと、肥後橋の南東角に大同生命の本社ビルがあった。1階部分より、上階が大きく、変わった形状をしている。 |
「大同生命の源流 “加島屋と広岡浅子"」という展示が公開されていたので見学。 |
大同生命ビルのある場所には、江戸時代には「加島屋」の屋敷があった。「加島屋」は、鴻池と並ぶ両替商で、財をなした。写真は、「加島屋」屋敷の模型。下 「加島屋」の広岡家に三井家から嫁いだのが広岡浅子で、大同生命の創始者。 浅子の娘は、一柳家に嫁いだ。一柳家の娘は建築家のヴォ―リズと結婚した。 |
![]() |
ヴォーリズの建築は近江八幡の学校や病院を見学したことがあり、関西各地に教会や学校はじめ、大丸心斎橋店などがあると知っていた。今回、大同生命の旧本社ビルもヴォ―リス設計だと知った。すでに壊され、現在の本社ビルに建て替えられたが、特徴的な雰囲気を残しているという。 |
展示室内。「加島屋」が両替商として、幕府や諸藩と関係をもっていたことがわかった。長州藩と関係を持つ一方で、新選組とも関係があって驚いた。 広岡浅子は、渋沢栄一や津田梅子とも関係があったことなど興味深い展示だった。 |
肥後橋。橋の北東側にフェスティバルホールがあるからだろうか、橋は音符やト音記号をデザインしたような感じだ。 |
フェスティバルホールの外壁には、「牧神、音楽を楽しむ」というレリーフがある。 |
中之島を東へ。日銀大阪支店の出入口を通ったが、保安上のためだろうか、撮影禁止だった。淀屋橋まで戻ってきた。土色のポストがあった。「郵便は世界を結ぶ」と書かれている。 下 日銀大阪支店。本来の玄関は今は使われていない。 |
![]() |
大阪市役所。日銀大阪支店と御堂筋を挟んで向かい合っている。 |
大阪市中央図書館。 |
玄関を入ったところのホール。ここだけ撮影可。 |
大阪市中央公民館。玄関からはホールの催事の関係者だけが入場できたので、中には入らなかった。 |
| 東洋陶磁美術館 |
![]() |
上 東洋陶磁美術館。前年の途中まで、長く休館していたので、行く機会がなく、今回が初めての訪問。左 特別展「中国陶磁・至宝の競艶」をしていた。 下左 ポスターに使われているカラフルな瓶。清朝の宮廷で使われていた。景徳鎮窯。上海博物館蔵。 下右 赤っぽい柄の陶磁は珍しい。明の洪武帝が好んだという。景徳鎮窯。上海博物館蔵。 |
![]() ![]() |
明代の大壺。幅1mほどあった。龍の顔が面白く描かれている。景徳鎮窯。上海博物館蔵。下 明の洪武帝のときの宮廷用の梅瓶。景徳鎮窯。 左は、東洋陶磁美術館蔵。右は上海博物館蔵。左だけ蓋がある。同様のものは、訪問したスコットランドのバレルコレクションにもあるというが、行ったとき気づかなかった。 |
![]() |
これは日本の陶磁。江戸時代、有田窯。菱形とひょうたんの柄がユニーク。東洋陶磁美術館蔵。陶磁は今まであまり関心がなかったのだが、今回、時間をかけて見学した。陶磁の美しさを感じることができた。 陶磁を回転させて見せるのはよかった。順路がわからず、反対向きに回ったので、その点は難あり。 |
| 北浜レトロでアフタヌーンティー |
北浜のビル街には10階建て程度のビルが連続しているが、その谷間に2階建てのかわいらしい古いビル「北浜レトロ」がある。1912(明治45)年、「株友会倶楽部」として建設された。当時は、日本の商工業の中心は大阪で、その中心、北浜は日本一地価が高かったらしい。大阪のレンガ造りの建物の中では最古の部類で、登録有形文化財。 平成6年まで会社社屋として使われ、その後、改修され、平成9年に「北浜レトロビルヂング」としてよみがえったということだ。 |
1階は洋菓子店だが、食器なども売っている。2階がカフェで、そちらでアフタヌーンティーをいただく予定。玄関上のティーポットには「1912」とある。 |
入店。人気店で、ネット情報で1時間以上待つ場合が多そうだったので、行列を覚悟していた。13時前に来店したのだが、幸い待たなくてよかった。 |
店内。壁にアンティークなものがたくさんある。レトロ感を出しているとみるか、ごちゃごちゃしているとみるか、意見のわかれるところだろう。 |
紅茶は多くの種類から選ぶのだが、「大大阪クラシック」にした。ダージリンとアッサムをブレンドしたもの。"大大阪"という名前にひかれた。 |
3段式のティ−スタンドが到着。ボリューム感満点。 |
まず、下段のサンドイッチをいただく。ハムとキュウリだ。 |
つぎに上段のケーキ。何種類かの中から、ミックスフルーツジュースショートケーキを選んだ。黄桃、いちご、パイン、バナナを多く使っていて、見た目も味もよかった。 |
最後に、中段のスコーン。シナモンとレーズンを選んだ。スコーンはお持ち帰りもできると聞いたので、お持ち帰りを申し出たのだが、ジャムとクリームは持ち帰れないとのことで、この場でいただいた。そのため満腹に。1時間少々滞在して、退店。 |
| 北浜散策 |
大阪取引所へ。2014年に東京証券取引所と経営統合し、証券取引を東京で行うようになり、「大阪証券取引所」から「大阪取引所」になった。現在では、東京、大阪で行っていたデリバティブなどの業務を大阪取引所で行っている。 |
明治初期に大阪経済に功績のあった五大友厚の像が建つ。 |
玄関を入ったところ。 |
5階の展示コーナーを見学。 |
新井ビル。1922年建造の旧報徳銀行で登録有形文化財。中は入れないが、一番左の入口は洋菓子店「五感」の入口で、そこは入れる。 |
鴻池家の本宅跡。碑があるだけだ。 |
大阪慶應義塾跡。慶應のマークに「独立自尊」とある。大阪に慶應があったのは初めて知った。1873年から75年にあった。 |
適塾。緒方洪庵が幕末に開いた蘭学の私塾。 福沢諭吉を筆頭に、佐野常民、大村益次郎などを送り出した。 |
適塾は大阪大学の源流だとされる。現在も大阪大学の管理になっていて、写真のパンフレットの下部にも大阪大学と書かれている。 |
1階の部屋。 |
とても急で怖い階段を上って、2階の部屋へ。ここで塾生が寝泊まりしたようだ。 |
銅座の跡。今は、大阪市立愛珠幼稚園になっている。下 お寺のような幼稚園だ。大阪で最古の幼稚園。 |
![]() |
除痘館跡。緒方洪庵が行った天然痘の種痘の中心になった施設。 |
除痘館跡は、緒方洪庵記念財団が医院を集めたビルをつくっているのだが、一室が記念資料室になっていた。撮影禁止だった。 |
高麗橋野村ビル。角のところが丸くなっている。 |
玄関部分。三日月のデザインなどがユニーク。 |
野村ビルと堺筋を挟んで向かい合う銀行らしき建物。 |
三井住友銀行の大阪中央支店・天満橋支店だったようだが、すでに、この日午前に見てきた大阪本社営業部に移転されたようだ。天満橋支店は、もとは天満橋にあったのだろうが、この大阪中央支店に統合されて、さらに大阪本社営業部に統合されたようだ。 |
![]() |
上 堺筋を南へ歩くと日本建築があった。左 「コニシ」は接着剤の「ボンド」などをつくる化学メーカー。 |
このあたりまで歩くと、製薬会社や薬局が目立つようになってきた。すでに16時30分、北浜散策もこのくらいで終わりにしよう。京阪・淀屋橋まで歩いて、帰宅した。 |
全体のトップページ |