2025.3 奈良 お水取り |
昼食と土産 |
![]() 東向(ひがしむき)商店街を南下。奈良で最もにぎやかな商店街。 |
![]() 前回訪問時と同じく、1時間ほど待つ覚悟だった。この日はゆったりした計画なので、大丈夫だ。 ところが閉店していた。 |
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![]() 東向商店街の続きのような餅飯殿(もちいどの)センター街を南下。東向商店街よりずっと客が少ない。 |
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![]() 下左 わらび餅、製造中。 下右 できたてでとても柔らかかった。 |
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奈良国立博物館と東大寺ミュージアム |
![]() 鹿に注意する看板があちこちにある。何もしなくて襲う鹿はほとんどいないだろうし、鹿せんべいを鹿にあげるふりをして、あげない客が襲われている話は聞いた。客のほうがひどいことをして、襲われる場合が多いのではないだろうか。 |
![]() 下 「お水取り」関連の特別陳列をしているので、見学する。 |
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![]() 「お水取り」は、「修二会(しゅにえ)」が正式名で、二月堂で本尊に対して、2週間を祈る法要。 752年に始まり、一年も絶えることなく続いた。戦国時代や太平洋戦争、コロナ禍でも続いたのがすごい。2025年は、1274回目だという。 |
![]() 華厳経(二月堂焼経)。奈良時代のもので、紺紙に銀字で書いた、唯一現存するもの。焼けた部分があり、焼経(やけぎょう)と呼ばれる。 1667年、二月堂がお水取りの時に焼け、焼け跡から発見された。お水取りで、二月堂において読経されたもの。 |
![]() 二月堂の本尊である十一面観音の光背の頭部。1667年の二月堂の火災で、本尊の光背は断片が残るだけになった。身部の光背は、なら仏像館で展示されていた。 |
![]() これを東大寺ミュージアムで見せると、紙製の散華(さんげ)がもらえる。 散華は、仏さまを讃えて天から降りそそぐ花。と書かれている。 |
![]() 下 吉野の金峯山寺の「金剛力士立像」。 なら仏像館は、一部の館所蔵品などが撮影可能。金峯山寺の仁王門は修復工事中で、この力士像も長く、この館に置かれていて、撮影可。 |
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![]() 50年に一度しか公開されないという秘仏で、見ることができてよかった。江戸時代以降初めての修復が、奈良博にある文化財保存修理所で、3年かかりで行われ、それが完成しての公開だという。 |
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お水取り |
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![]() 「お水取り」は3月1日から14日までだが、12日には、井戸から水をくみ上げる儀式(見学はできない)など中心的な日であり、お松明も大きいものが使われる。 また14日は最終日で、お松明10本が一斉に舞台に上るということで、12日か14日に見学予定だった。 でも、行った方の旅行記を見ていると、12日と14日は、大混雑で十分に見学できないと感じた。それで、急きょ、13日に見学とした。 |
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![]() 左 17時になると、列が移動し、竹柵の中へ移動。この日は17時ごろまでに並べば、竹柵の中に入れたようだ。 17時以降に来ると、竹柵の外の少し離れた場所からの見学だ。また、自分は2段目で見られたが、自分より遅い人は、もっと下の段になった。 |
![]() 諸注意の中で、一番強調されたのは、トイレに行く場合の注意で、写真の「再入場」の紙を受取り、戻ればそれを渡すということだった。 売店へ行ったり、参拝するのは、ごく短時間ならOKということで、17時50分ごろ、トイレと参拝のために、紙を受取り、柵外に出た。 |
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![]() 待つ間、舞台を見ていたら。予め階段や舞台に水をまいて、防火対策をしていた。舞台下には防火服を着た職員も配置されていた。 |
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![]() 階段を上るお松明の火の勢いがものすごく、天井に炎が達していることがあった。このときは、観客は舞台から突き出されたお松明よりも階段を注目した。 |
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![]() 竹柵外の客が退場してから、竹柵内の客が退場だが、下の段から退場。2段目だった自分はかなり待ったが、これば仕方ない。 最後のお松明は19時20分ごろ、退場は30分ごろ。近鉄奈良駅までの道も混雑していて、駅には20時5分ごろ到着。近鉄奈良駅より帰宅。 |
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