3 日 目 前 半  

 

 

 

 

 

 7時すぎに出発。朝食をとって、そのまま、見学に行くことにする。

  まず、お好み焼き風のものを食べてみた。中身は、野菜、卵、香辛料など。1元5角(約22円)。

 

  次に、樽を置いて何か売っていた。小籠包かなとか思いながら、買う人がやってくるのを5分ばかり待った。中に入っていたのはもち米。もち米の上に油條を置いて、ぎゅっと固めるようだ。

  塩をまぜるか聞いていうようなので、混ぜてもらって、できあがり。おにぎり2個分ほどの量があって、腹持ちもよさそうだ。1元(約15円)。

 

 

   この日、最初に行く予定の虐殺紀念館は、ホテル近くから直通のバスがなく、地下鉄で三山街まで乗り、そこでバスに乗換えとした。

  バス停でバスを待っていると、バス停は寺のまん前にあることに気付いた。浄覚寺というその寺は、何とイスラム教のモスクであった。外から見た目には、仏教寺院と変わらない。どうしてわかったかというと、入口に、南京市イスラム(漢字で)協会と書いてあっり、境内にある店の看板だと思うが、清真食品と書いてあったりしたからだ。中に入ってみたかったが、朝早いためか、まだ入れなかった。

                                                               

【 9 虐殺記念館 】

   記念館に到着。8時30分に開館というので、ちょうど到着するように行ったら、何と長蛇の列。ただ、この施設は無料なので、入場券を買う手間はないので、列はどんどん進んだ。それでも、10分ほど並んだ。今回、入場するのに並んだ唯一の場所である。

  さて、並んでいたら、自分の少し前のところで、20人ほどがグループごと割り込んだのにはびっくり。仲間が並んでいたところに入ったか、何か事情があるのだろうが、参ったものだ。

 

  入場すると、「和平大鐘」という大きな鐘があり、記念撮影している人が多い。鐘の高さは3m、口径は1.937m、重さはは6.6トン、鐘の上には5つの輪がある。

  この鐘は、2003年に造られたものだが、高さ3mと上の5つの輪で、中国の主張する犠牲者数300000人を表している。1.937mは1937年、6.6トンは2003年が1937年から66周年であることを表している。

  記念館の正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。虐殺のことを屠殺というのだろうか。遇難は遭難だろう。日本語では「侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館」となる。屠殺というのが、そのイメージから胸が痛む。

  展示館に入る手前にあった証言者の足跡。南京事件の証言者の足跡の形をとったもの。事件の体験者はかなりの高齢者であるので、証言した人が実際に生きていたということを後世に残すために造られたのだろう。

  展示館の入口には、犠牲者数30万とここにも大書きされている。

 

 

  中国で公式な定説にされている30万という犠牲者数には疑問を持っている。日本の研究者の間でも、さまざまな説があるが、有力なのは、20万人以上というものである。しかし、もっと少なめの説もあり、自分では判断のしようがない。釈然としない思いがあるのだが、ここでは深入りしない。

 

  30万の表示のところから入ると、大きな広場がある。事件の現場なのだろう。そして、周囲を回る通路に沿って、南京各地で起こった事件の記念碑がたくさんならんでいる。たとえば、下のようなものだ。

 

 

  こうした記念碑ひとつひとつを見ていったら、とても時間がかかった。南京事件といっても、1箇所で発生したわけではない。市内の各地で断続的に起こっていたようだ。

 

 展示施設に入る。まずは、遭難同胞遺骨陳列室。この地で発掘された遺骨であるらしい。ここは撮影しようと思えばできたのであるが、とても撮影する気分にはなれなかった。

 

  

 

  続いて、ガラスで覆われた万人坑遺址。事件現場を発掘したものである。ここは1998年に発掘されたもので、今でも、発掘がおこなわれているところもあった。

  そして、メインの展示棟。ここは撮影禁止であった。展示はいくつかのコーナーに別れていた。日本語の説明もついていて、丁寧に見ていると、結構、時間がかかった。

  犠牲者の遺品が少なめで、写真や文書が中心であったからか、残酷なものが多かったわりには、訪問前に予想していたような、息苦しさはなかった。アウシュヴィッツや広島、沖縄の記念館で実物展示を見慣れていたからかもしれない。

  展示を見終わり、犠牲になった人々に対しての哀悼の思い、二度とこのようなことが起こってはならないという思いを深めたのは、アウシュヴィッツ、広島、沖縄と同じだ。

  

【 10 渡江勝利記念館 】

  虐殺記念館近くの広東門からバスで下関地区へ向かった。左の渡江勝利記念塔を目印にしてバスを下車。そこから歩いて、挹江門へ。この門の上の楼閣が、渡江勝利記念館である。1949年4月23日に、長江を渡り、人民解放軍が南京に入るが、このときの作戦についての記念館だ。

  毛沢東の作戦命令書や当時の武器などが展示されていた。ただ、中国語だけなので、意味はあまりつかめなかった。

 

  

  門の付近の城壁の上は歩けるようなので、少し歩いてみた。城壁の幅は、この付近では10mくらいあって、かなり頑丈なものだと思った。

 

 

【 11 長江渡船 】

   バスで中山埠頭へ。この付近も南京事件のひとつの現場であったという。ここから長江を渡るフェリーが出ている。2元の乗船券を買い、入場口でそれを渡す。でも、大部分の人たちはカードを利用していた。

 

 

  対岸まで10分。長江の幅は2kmくらいか。川を行きかう船はかなり多い。

 

 対岸の浦口に到着。現在は、南京市浦口区となっている。

 

  埠頭の建物を出るとバイクの後ろに人が乗れるような車をくっつけた乗り物が待機していた。何というのだろうか。この埠頭の近くの道路は狭くて、バスがやってこないようなので、その代わりだろう。

  埠頭の建物に正対して、南京北駅があったが、一瞬、廃駅のように思った。少し歩くと、そこが貨物駅であることがわかった。

 

  浦口の街を歩いてみた。路地裏のような感じの道路が続き、人通りも少ない。一昔前に戻ったような雰囲気だ。

 

 

 

 右は、フェリーの内部。二輪車は乗ったまま乗船する。

 

【 12 閲江楼 】 

  中山埠頭に戻った後、バスで閲江楼に向かった。左は、先ほど行った渡江勝利記念館付近から撮影したもの。

  現地に着いてみると、長い階段が待っていた。途中、休み休みしながら、丘を上った。上にある楼閣からの長江の眺めは良かった。

 

  長江大橋がはっきりと眺められた。長江を行きかう貨物船も多い。楼閣の内側は、明代についての展示。洪武帝もここを訪問したらしいということだ。

  隣接する、静海寺、天 妃宮との連票を購入。40元(約600円)。

 

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