13日目  北 京 その5

 

  ホテルから前門まで歩いて、初めて地下鉄に乗った。旅行当時は、旧城壁の下を通る環状線と西単から西に伸びる路線の2系統しかなかった。最近は、路線が次第に増えているが、、

  駅のつくりや車両はかなり古いものだった。乗車券も手売りで、改札口ではそれを渡すだけ。

  左は、軍事博物館の地下鉄乗車口。

 

  駅を出るとすぐに巨大な建物が目に入った。これが、中国人民革命軍事博物館。スターリン形式と呼ばれる旧ソ連流の巨大建築なのだろうか。

  展示品はとても多く、武器マニアなどにとってはとても興味深いだろう。古代からの武器が展示され、いろいろな戦争の説明もされているのだが、いちいち見ている時間がないので、大半は順路に沿って歩きながら、眺めていた。それでも、かなりの時間を要した。

  建物の外でも、旧ソ連製の戦車や飛行機が展示されていて、それに乗って遊ぶこともできる。

  革命をという名はついているが、抗日、反日ということに重きを置いている博物館ではないように思った。

 

 

  博物館に入ってすぐにレーニンとスターリンが出迎えてくれる。

  レーニンの右には、スターリンの肖像画もあるのだが、柱に隠れてほとんど写っていない。

  今や、中国でも、本家ロシアでも、このような肖像画は珍しいであろう。この博物館でも、現在はどうなっているのか興味がある。知っている人がいたら教えてほしい。

  続いて、地下鉄で鼓楼大街で下車。宋慶齢故居に向かった。

  慶齢は、宋家の三姉妹のニ女。孫文夫人であり、革命後は、共産党員ではなかったが、要職についていた。最後は、名誉主席で死去した。ほかのニ姉妹とは決別して、自身の主張を押し通した。

  付近は、北京でも昔の風情が残っている地区なのだが、当時は関心がなく、ただ通り過ぎてしまった。

  地下鉄で、雍和宮へ。下車後、すぐに雍和宮の門前の土産物屋が並ぶ。

  北京最大のチベット仏教の寺院である。17世紀に清朝の雍正帝がここに住んでいたためこの名がついた。乾隆帝のときに、チベット仏教の寺院になった。

 

 

 

  雍和宮のすぐ近くにある孔廟。曲阜の孔廟についで大きいものらしいが、今は孔廟の役割は果たしておらず、首都博物館になっている。どのような博物館であったのか印象は何も残っていない。

  この近くに、国子監もあって、今は首都図書館になっている。当初は官吏養成の学校であったが、のちに科挙を実施する機関になった。こちらも行ったが、印象が残っていないのは同じ。

 

  続いて、地下鉄で建国門へ。そして、すぐ近くの古観象台へ。ここは、清代の天文台で、屋上にはそれらしきものが並べられていた。

  屋上からは、高層ビルがどんどん増えている北京の様子がよくわかった。

  環状線の地下鉄を使って旧城壁をほぼ一周したことになる。

 

  古観象台から、歩いて北京駅に向かった。駅が近づくと、ものすごい群集に圧倒された。

 

 

 

 

 

 

  中国の駅では、乗車券を持っていないと構内に入れないことになっているのだが、なぜか駅構内の写真があった。どうやって、構内に入ったのだろうか。

  このあと前門付近で夕食をとってホテルに戻り、北京の5日間を終了。

  この翌日、早朝にタクシーで空港に向かい、帰国した。

 

 

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