2  エ ッ セ ン

エッセンへ

 上左  7時ではまだ真っ暗。8時すぎにホテルを出発したが、まだうす暗い。夏のドイツは朝早くから明るかったのを覚えているが、10月中旬になると、もうこんなに朝が遅くなるのか。

 上右  ホテルは朝食がついておらず、別料金だったので、駅構内で食べることにした。ところが、サンドイッチなどを売る店は何軒もあったが、店内で食べられる店はわずか。その1軒に入った。

 左  ハンバーグサンドとコーヒー。

 エッセンまでの切符を自動券売機で購入。ICEだと16ユーロ、REだと10.5ユーロだった。すぐにICEがあったが、REを利用する。距離は50km前後なので、JRより割高だ。(RE=レギオナルエクスプレス、JRの快速にあたる)

 高架駅のホーム下には自由通路があり、その両側には店が並び、店の合間にホームにあがる階段があるって感じだ。朝食を食べた店も、ホーム下の店のひとつだ。

 8時54分発のREに乗車。デュッセルドルフ空港、デュイスブルクHbf、ミュルハイムHbfと止まりエッセンHbf。
 乗車したのは2階建て列車。
 2階席へ。眺望を楽しんだが、予想外の景色に目が離せなかった。

 エッセンまで緑が多く、森や草原の中にポツポツと集落が時々現れる。工業地帯という思い込みからもっと工業地帯らしい風景が見られると思っていたが、意外にも大都市郊外の住宅地、それも緑の少ない日本の近郊住宅地からは想像できない景色だ。

 エッセンHbf。デュッセルドルフHbfと同じく、高架駅で1階部分の通路には店が並んでいる。この駅の地下にはUバーンと路面電車の駅がある。
 エッセンHbfの地下にあるUバーン・路面電車の駅。ブルーの照明で統一されていた。

 Uバーンは路面電車が地下化されているものをさし、少し郊外に行くと地上を走る路面電車と区別はしていたが、そんなに違いはない。これに対して、以前乗ったベルリンやミュンヘンのUバーンは大型車両を使った本格的な地下鉄だった。

 107系統の路面電車。これに15分ほど乗車して、ツォルフェライン炭鉱跡に向かう。

ツォルフェライン炭鉱跡

 ツォルフェラインの停留所につき下車する。徒歩1分で入口に到着。目の前にはドカンとメインの建物が建っている。この炭鉱跡は世界遺産になっている。

 あとでガイドツアーで回ってわかったのだが、この建物の中にはエレベーターがあって、地下数百mから掘り出した石炭を引き上げている。そして、建物の中では石炭を種類ごとに分けたり、洗浄したりしている。建物の外観は美しく、中が工場になっていることは想像しがたい。

 さらに進むと、別の大きな建物があり、長いエスカレータがついている。このエスカレータを上がったところに受付がある。

 下左  長いエスカレータ。

 下右  上がったところにある受付。到着したのは10時すぎで、11時20分のガイドツアーを予約した。それまでの間に、受付のある建物の中にあるルール博物館を見学する。ガイドツアーが9ユーロ、博物館が6ユーロ。

 炭鉱の機械や配管が残されている中にさまざまな展示がなされている。

 展示内容はルール地方の自然や歴史を紹介したもので、炭鉱とは直接の関係のないものである。

 上の階を見て下の階に移って行ったのだが、一番下の階まで下がったあと、受付のあった階へ戻るエレベータがわからず、階段を上った。

 一番興味を持てたのはナチス時代のポスターなどの展示。近くには、ヒットラーがこの炭鉱を訪問した写真もあった。ここはヨーロッパ最大の炭鉱であり、軍需産業の拠点として重要な炭鉱であったのだろう。

 メインの第12坑の建物は1932年にできたので、ヒットラーはそのしばらく後に訪問したのだろう。

 11時20分に玄関近くのガイドツアーの出発点に集合。第12坑のメインの建物に入った。この建物の内部にはガイドツアーでないと入れない。

 ここはエレベータで石炭を引き上げたあと、分別して、種類ごとに別の場所に運搬する施設だと思う。なにしろ、ガイドツアーはドイツ語で99%意味不明なので、正確にはわからない。

 1932年にできた当時の第12坑のメインの建物の写真。いま自分はその中にいるのだが、当時と外観がそのままなのだ。

 とても美しく、現代的な建築なので、ナチス時代からあったことに驚かされた。その後、1986年まで稼動していたという。

 ガイドが音を聞かせるところもあった。炭鉱の稼動時の音だ。かなり騒がしい現場であったようだ。また、想像できないが独特の臭いもあったのだろう。
 この炭鉱の立体地図。地上の地図から縦穴が数もあって、さらに数百m下に横穴がたくさんつくられている。

 下左  炭鉱夫の休憩所か。

 下右  第12坑の建物内の見学を1時間ほどで終え、いったん外に出た。

 このあと、先ほど上った長いエレベータを再び上がり、ルール博物館とは別の入口から、ガイドツアーだけで見学できるエリアに入る。

 最初に屋上に上がった。石炭を引き上げるエレベータのある建物の上部を同じ目線で見ることができた。

 別の方向に目を移すと、別の縦坑のエレベータが見える。そして、炭鉱跡の敷地内も敷地の外も緑が多いのが印象的だ。

 再び、炭鉱施設の見学。ガイドツアーが終わったのは13時10分。2時間弱のコースであった。
 ガイドツアーのあとは、散策コースを歩いた。散策コースといっても順路はなく、その方向と思われるほうに歩くだけだが。

 炭鉱跡は3つのエリアに分かれていて、第12坑のエリア、第1/2/6坑のエリア、コークス工場のエリアだ。

 第12坑のエリアはガイドツアーで歩いたので、次にコークス工場のエリアに向かった。コークスは石炭から硫黄やコールタールを抜いた炭素の純度を石炭より高めたものだ。鉄鋼業では高炉の燃料としてコークスが使われる。

 コークス工場はとても細長い建物で、長さ500mくらいあった。建物に沿ってプールがあるのも特徴であった。写真は建物の端から見たプールとコークス工場の建物。

 下左  コークス工場のエリアにあった特徴的な施設。化学薬品の処理をおこなっていたのだろうか。

 下右  コークス工場を見たあと、第1/2/6坑のエリアへ。ここにも石炭を引き上げるエレベータがあったが、第12坑のものよりは小規模だった。

 最後に入口近くにあるレッド・ドット・デザイン博物館にも行こうと思っていた。建物は第12坑のメインの建物と同じく、1930年代に建てられたとは思えない現代的な建築である。ネット情報では炭鉱施設の中に現代デザインが展示されているようだ。

 しかしすでに14時30分を回っていた。このあとエッセンでほかにも行きたいところもあるので現代デザインには興味をもっていないこともあり、パスすることにした。 これで約4時間の炭鉱見学を終えた。

クルップのヴィラ・ヒューゲル

 ツォルフェライン炭鉱跡からエッセンHbfに戻る。路面電車107系統の車内。

 写真の中の黄色いボックスが改札機。チケットを購入したら、必ず改札機で日付などを刻印しなければならない。実は、デュッセルドルフからエッセンに向かったときには完璧に刻印を忘れていて、路面電車でツォルフェラインに向かうときに初めて気づいた。DBでは車内改札があったのだが、何も注意されなかったのだが、危ない、危ない。

 15分ほどでHbfに戻り、駅前を繁華街を歩いた。まだ買えていないSIMの購入と昼食をとる積もりだったっが、閉まっている店舗があまりにも多い。そうだ、この日は日曜日なのだ。

 閑散とした繁華街を歩いたが、携帯ショップは見つからなかった。あっても、閉店していただろう。この時点で、この旅行ではSIMを買って、i-phoneを使うのはあきらめた。

 上左  営業していたカフェやレストランはほんのわずかしかなく、その中のひとつ、カフェ・ソロに入店。

 上右  メニューを見ると、メルツビールというビールに印がついていて、おすすめ?なのかなとか思って注文した。印はノンアルコールビールの意味だったのだ。ノンアルコールといっても味はビールと変わらない。

 左  料理はガルテン・シュニッツエル。トンカツの上にブロッコリーとマヨネーズがどっかりのっている。そして大量のポテト。

 カフェのすぐ近くのエッセン大聖堂。9世紀に建築されたものの火災にあい14世紀に再建。そして第2次大戦中には戦災で破壊され、戦後再建された。この地方のカトリックの拠点になっている。
 上左  エッセンHbfからS6(Sバーン6号線)でエッセンの南郊外のヒューゲルをめざす。S6はエッセンとデュッセルドルフを短絡する路線であるが、各駅停車なので、より遠回りしているREよりも時間がかかる。この路線はルール川に沿って走り、自然の中を走る感じだ。

 上右  S6の車内。

 左  10分少々でヒューゲル着。緑に囲まれた小駅である。

 駅を出て2、3分歩くとヴィラ・ヒューゲルのゲートがあった。しかし、ゲートから丘を上がって建物にたどり着くには10分くらいかかった。ここは鉄鋼財閥であったクルップ一家の大きな邸宅だった。

 クルップは鉄鋼業からはじまり、鉄道車両や兵器などをつくっていた。ナチス時代などでは特に軍需産業の比重が高かった。戦後も大企業であったが、近年同じ鉄鋼業中心のティッセンと合併し、ティッセンクルップとなっている。

 大広間。とても大きく屋敷というよりは、城という感じだ。壁にはクルップ一家の肖像画などがかけられている。

 下左  クルップ一族の団らんの場だったのだろうか。欄干や天井の装飾もとても細かく作ってある。

 下右  2階のホール。太陽光をとりいれられるようになっている。いまもコンサートの会場としても使われているようだ。

 小さな建物はクルップの博物館になっていた。

 ヴィラ・ヒューゲルを出るともう17時。丘の下にはルール川が流れ、川沿いの景色もよさそうなのだが、もう一箇所、訪問したくてパスした。

アルトビールを飲みウィンナーとザワークラウトを食す

  上左  S6で再び10分ほど乗車し、ケトヴィヒで下車。古い街並みが残っている。これは駅舎。

 上右  ケトヴィヒ旧市街地にて。

 左  こちらも旧市街地にて。昔の建物がそのまま残っているところと、昔風に復元しているところがあるが、見た目は古い街並みだ。

 上  ケト ヴィヒの街は山の中腹にあって、どんどん下るとルール川にたどりつく。橋をわたると、とても川幅が広い。

 左  反対側を見ると、水位がとても高い。そうか、橋だと思っていたのは、小さなダムだったのだ。こちらは上流側のダム湖になっている側。歩く途中に水門らしきものもあった。

 

 

 

 

 

 左  ダム湖の反対側にある無人駅。ケトヴィヒの次の駅だ。線路が少し高いところにある。

 上 Kettwig Stauseeという駅だが、Stauseeは「ダム湖」だ。

 上左  ケト ヴィヒ・シュタウゼーからS6に乗ると、やがて暗くなった。25分ほどでデュッセルドルフHbfに戻ってきた。Hbfの1階部分の通路から、地下に下りるとUバーンと路面電車の駅がある。

 上右  路面電車に乗車。ハインリヒ・ハイネ・アレーで下車。

 左 すぐに旧市街が広がる。飲食店が多く、一軒のビアホールに入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

   左  アルトビールを飲んだ。デュッセルドルフはアルトビールの名産地だ。温度管理が難しい時代に多かった上面発酵で醸造しているのでAlt(=old)ということらしい。2杯いただいた。

 上  コースターには黒い線が入っているが、これは1杯目の印。2杯目を頼むと線が追加された。

 料理は、ウィンナーとザワークラウト。

 ザワークラウトはキャベツの漬物で、これが大量に盛られている。ウィンナーなど肉料理と相性がよいと思う、大量にあったが、最後まで美味しくいただけた。

 地下を走る路面電車でHbfに戻り、ホテルへ。長い1日が終了。

 

 

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