2 日 目 後 編

(旧暦1月1日)

  昼食後、散策を再開。レストランのすぐ近くにカテドラル(12)があった。澳門で一番大きな教会で、1850年にできたが、その後、台風で壊れ、1937年に再建されたものである。 手前の広場は、カテドラル広場(13)

  内部は光がよく差込み、明るい感じであった。 カトリック教会にしては、心なしか、装飾の少ない質素な感じの教会に思える。

  セナド広場に戻る途中にあったのが、盧家屋敷(14)。19世紀末に建てられた、澳門の商人、盧九の屋敷。中国風の 奥行きのある細長い構造の中に、西洋風の装飾がミックスされていて、ステンドグラスもが使われている。ここはガイドブックには掲載されておらず、外にも 表示がされていなかったので、大体の場所はわかっていたものの、最初は見つけられずうろうろした。

  セナド広場(15)。澳門の中心である広場。前日の夜には、露店がたくさんでていて正月用品を売っていたが、露店はきれいになくなっていた。波の模様のカルサーダスと、広場を取り囲むポルトガル風の建物が美しい。 建物はポルトガル風のレトロな建物が時代の波を乗り越えて保存されているのだが、その中には、現代風の店舗がテナントとして入っている。

  セナド広場に面した仁慈堂(16)。16世紀に 慈善事業のために建てられたもので、現在は、2階が博物館になっている。残念ながら、この日は休館だったので、またの機会に入場することにする。

  こちらもセナド広場に面した民政総署(17)。18世紀に建てられた役所で、現在でも、使われ続けている。

  中に入るとアズレージョが美しい。階段を上がったところに中庭があり、正月の装飾がしてあった。

  アズレージョの絵柄は、青で描かれているのが一般的なようだ。こうなってくると、本場のポルトガルのものも見たくなってきた。

  セナド広場から一筋離れたところにある三街会館(18)。もともとは商人の会合の場であったのだが、現在では関帝廟になっている。正月でお参りにきていた人が多かった。 関羽を祀る廟は中国各地にあるが、澳門にもあったのだ。

  民政総署の裏手の小高い一帯に教会がたくさん集まっているエリアがある。坂をあがりきったところにある広場が、聖オーガスティン広場(19)。 息をきらしていたので一服すると、赤色も使った花模様の美しいカルサーダスが 目に入る。この広場の周りの建物は、黄色く塗られた建物が多く、ポルトガルの雰囲気がかなり残っている。

  広場そばにある聖オーガスティン教会(20)は扉が固く閉められていて、中に入ることができなかった。

  ロバート・ホー・トン図書館(21)も入場できなかった。 ここは今でも現役の図書館として活躍しているらしい。それにしても図書館が世界遺産とはなかなか面白い。

  聖ジョセフ修道院(22)も同じく閉ざされていた。 黄色いカラーの建物や塀が多い中で、水色はとても目立つ。ここは聖ジョセフ教会とあわせて1箇所の遺産として扱われているようだが、聖ショセフ教会の祭壇には、フランシスコ・ザビエルの右腕の骨が安置されているという。

  ドン・ペドロ5世劇場(23は 前庭に入ることはできた。ここは普段から一般公開はしていないので、中に入ることはできない。現在、公演に利用されているのかどうか定かではないが、もしここで公演があるのなら見てみたいものだ。

  聖ローレンス教会(24)も閉ざされていた。このエリアの教会などは、示し合わせたかのようにどこも入場できなかったので、みな外から写真を撮るだけに終わった。このエリアは、機会をあらためて再度、訪問しようと思う。

  教会群のある丘を降りたところにあるのが、旧ポルトガル総督府。現在は、澳門特別行政区政府になっている。

  リラオ広場(25)には泉があった。ここの水を飲むと澳門から離れなくなるという伝説があるらしい。だが、水の出ている脇には、この水は飲用には適さないという注意書がぶらさげてあった。

  リラオ広場の脇の小道。

  鄭家屋敷(26)は修復工事中だった。

  港務局大楼(27は現在でも本来の役割で使われているようだった。外側の回廊はとても美しかった。

  媽閣廟(28)は参拝者でとてもにぎわっていた。バラ広場(29)から廟を見たところ。左手の岩山の上のほうまで、廟の建物があることがわかる。結局、この日、世界遺産に指定された30箇所のうち、一応29箇所を訪問したことになる。だが、本来、入場できるのに、入れなかったところが、6箇所あったので、また訪問しようと思う。残り1箇所は、ギア要塞でこれは3日目に行く。

  とてもたくさんの人たちが参拝にきていた。 媽閣廟(マーコックミュー)は、マカオという名前のもとになったところである。

  ここでは頻繁に爆竹が鳴らされていた。爆竹を買った人は、爆竹を扱う係員に爆竹を渡すと、係員が、吊り下げて火をつけるようである。他の場所では、爆竹は地面で火をつけていたが、ここでは吊り下げて火をつけるし、爆竹の数もとても多い。そのため、大音響が鳴り響き、あたり一面、何も見えないような状態になる。

  爆竹が鳴っているときの様子。そばにいるのが怖いので、撮影後、すぐに避難した。

  バラ広場に面して、海事博物館があったので入場。澳門が中国の玄関となって、欧州との交易が行われていたことがよくわかる。中には、日本の南蛮屏風も展示されていた。

  このあと、海岸通りを歩いてセナド広場に近い繁華街に歩いて向かった。途中、新馬路に入ってすぐのところで、変わった建物を見かけた。すでに廃業しているようだが、広州大酒店と書いてあった。

  新馬路の歩道では、足元を見ると、カルサーダスにいろいろと楽しい絵柄があることに気付いた。

  扉が赤い家が並んでいる一角があった。福隆新街である。

  福隆新街の一部はみやげ物屋がたくさん集まっている一角になっている。客の大半は中国本土からやってきた客のようだ。

  夕食には、みやげ物屋に混じって、福隆新街の一角にあった仏笑楼大餐庁というレストランに入った。ガイドブックによると中国風のマカオ料理の店らしい。

  まず蝦や貝の料理を頼んだのだがこの日はもうネタがないということなので、アフリカンチキンを注文。とてもスパイシーなグリルチキンだ。

  少々物足らなかったので、レストランのオリジナル料理である、蝦、イカ、貝などのトマトソースあえをライスの上に乗せたようなものを注文。この分量が多く、具は大体食べられたが、ライスは半分くらい残した。

  レストランを出て、セナド広場へ。下は中央郵便局。

  こちらは、仁慈堂の横の路地。とてもきれいだ。

  このあと、しばらく、セナド広場をうろうろしたあと、ホテルに戻った。

 

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