3日目  結婚式参列とレモ、ケテ・ケス 

 

 

ガイド探しに一苦労し、レモの岩窟墓へ
 
 上左  3日目の朝を迎える。窓からの風景。郊外側を見ているので、建物がほとんど写っていない。

 上右  小さいがバルコニーがついている。

 左  7時半にレストランへ。7時から朝食時間だが、まだ客はわずかだった。
 
 朝食付きのホテルで、ビュッフェ式ではなく、メニューから注文する仕組みだった。

 ウェスタンスタイルの定食では、ジュースかフルーツか選ぶのだがジュースを、コーヒーか紅茶を選ぶのだがコーヒーを選んだ。ジュースは種類を選べるのだが、前夜にウェルカムドリンクで飲んだタマリンドのジュースが美味しかったのでタマリンドにした。トラジャコーヒーは、バリ島などと同じで、コーヒー粉に直接、湯を注ぐ方式だ。ただ、湯をそそいだポットではなく、それをカップに入れて運ばれてきた。それでもコーヒー粉が多少混じっていた。

 下左  オムレツ、スクランブルエッグ、目玉焼きからは、オムレツを選んだ。

 下右  パンケーキかトーストではパンケーキを選んだ。パンケーキは何種類かあってはちみつにした。
 
 
  朝食後、さっそく行動開始。前夜にホテルに着いたときや夕食から戻ってきたときには、暗くて気づかなかったのだが、ホテルの敷地にもミニュチュアのトンコナンが置いてあった。

 ランテパオの中心部へと向かうのだが、中心部までの間にインフォメーションがあるはずなのだ。インフォメーションでガイドの手配をしてもらうためだ。

 インフォメーションが見当たらない。何度か引き返したりしてもダメだった。実は、後日、インフォメーションに行ったのだが、通りからは見つけにくかった。
 
 インフォメーションを見つけられないまま、ランテパオの中心の交差点までやってきた。中心部とはいっても、3階以上の建物はほとんどなく、田舎町っていう感じだ。

 交差点のど真ん中にはトンコナンがあるのだが、なぜか工事中であった。
 
 さらに歩くと、マンガラ・トランス社のオフィスがあったので、4日後の切符を確保しておいた。夜行便だが、8時にこの場所へくる必要があるようだ。バスはいろいろな種類があって、行きに乗ったバスと同じタイプのものにした。

 切符売場でもインフォメーションのことを聞いた。すると、ウィスマ・マリアというゲストハウスがインフォメーションだという。
 
 そこで、ウィスマ・マリアに行ってみた。フロントで、ここにインフォメーションがあるのかと聞いたが、ここにはインフォメーションはないと言われた。どうしようもなく、最初に通った道路沿いにあるのを見落としいるのかもしれないと思い、もう一度探してみることにした。
  大通りへ戻ってインフォメーションを探そうと思っていた矢先、ウィスマ・マリアのすぐ近くで、TOURIST INFORMATIONと書かれた店を発見。どうみても、公的なインフォメーションではなく、個人経営の旅行店のようだ。渡りに船という感じで、話を聞いてみて、極端に条件が悪くなければ、この店でガイドと車を頼もうと思って、中に入ってみた。

 やはり、個人経営のようで、店主がガイドを兼ねていた。聞けば、ガイド料は8時間で40ドル(4500円)、交通費はバイクだとガソリン代入れて15ドル(1700円)、車だとドライバーを別に雇いガソリン代入れて55ドル(6100円)だという。ランテパオ滞在の最終日に公的なインフォメーションで、車のみチャーターしたが、ガソリン代入れて6時間で50万ルピア(4300円)だったので、どこで頼んでもほぼ同一の料金になるようだ。最初に提示された値段から少し安くなったが、わずかだったことと合わせ、協定料金のようになっているのだと思う。

   はじめに葬儀のさいのガイドだけを頼んだのだが、葬儀は翌日に行われる村があるので、翌日に行き、それとは別に、この日、このあとマカレで地元有力者の結婚式があるので、それも見ないか勧められた。また、葬儀、結婚式とも、1日がかりではないので、この日は結婚式以外に、レモ、イエスキリスト像の丘、タンパガロ、ケテ・ケス、翌日は葬儀以外に水牛市場、ロンダへ行くというメニューを提示された。自分の計画では、ガイドを雇うのは、葬儀だけのつもりだったのだが、結婚式も面白そうだし、参加するならガイドがいないと困るので、店主兼ガイドの提案を受け入れることにした。乗り物はバイクの場合と車の場合で倍近く違い、2日で190ドルは予定外だったのだが、1年前にバリ島でバイタクの事故を直近で目撃した自分は、値段にかかわらず車を選んだ。 
    
 
 
 上左  手配終了後、車がやってくるのを10分ほど待つ。ランテパオの南に車を走らせること40分ほど。岩窟墓のあるレモに到着。村の入口で2万ルピアの入場料を払う。

 上右  しばらく歩くと岩窟墓が見えてきた。

 左  近づくと岸壁の上の方に墓穴がたくさん開いている。
 
 さらに近づくと、墓穴には扉があって閉じられていることがわかる。

 墓穴とは別に岩壁を少し掘ったところに人形が並べられている。タウタウといい、死者の生前の姿を現した人形で、死者の魂が宿っているという。かなり写実的であるのが、なまなましくちょっと気持ち悪い。

 下左  タウタウを拡大。

 下右  墓の下にトンコナン型をしたものがあった。棺桶をこれにのせて運んできたのだ。
 
 
 
 上左  さらに小道を上がっていくと、新しい岩窟墓が掘られていた。岩窟墓は遺跡ではない。今も新たに作られ、埋葬があ粉われているのだ。

 上右  小道沿いに岩窟墓が続く。上部の方ほど裕福層の墓が多く、下部の方は庶民の墓が多いという。

 左  売店ではタウタウのミニチュアが売られていた。
結婚式に参列
 レモからタナトラジャ地方で最大の街であるマカレへは20分ほど。結婚式が行われるのは、マカレで一番大きいというホテル。地元有力者の子弟の結婚式で誰でも参列できるのだという。

 式場へは赤いカーペットが敷かれ、参列客はここから式場に入る。建物の中に入ると、両側に新郎新婦両家族らが並んでいて、握手をしながら、お祝いの言葉を述べていく。もちろん、無言で握手だけして中に進んだ。記帳台がおかれていて、名前を書いた。祝儀も準備したが、ここで渡すのではなく、式の最後に新郎新婦に直接渡すそうだ。
 
 記帳を終えたあと、ドーム型の屋根の下の一般参列者の席に座る。ドームの下は普段は駐車場になっているようだが、この日は椅子が多数置かれ、式場の一部になっていた。

 下左  自分の席から、新郎新婦の家族が握手しているところを望む。赤い服を着て建っている男女が新郎新婦の家族だ。

 下右  記帳場所。通路の両側にあって、どちらかで名前を書く。
 
 
 
 上左  式の中心になる舞台に向って左が、ドーム型天井の一般参列者席。

 上右  舞台の正面は来賓席だ。

 左  新郎新婦が会場に到着し、舞台では踊りが始まり、舞台に新郎新婦が上がるのを待っていた。
 
 式場入口から赤いカーペットの通路を通って、新郎新婦が建物内に入ってきた。来賓席の真中を歩いている新郎新婦。
 
 舞台上にあるステージに新郎新婦が着席、その両側には、新郎の両親、新婦の両親が座っている。しばらく舞台では踊りが続いた。
 
 ステージ上の新郎新婦。

 踊りのあとは、スピーチが続いた。来賓を代表しての祝辞を述べたのは、マカレの市長だという。
 
 
 
 上左・上右  いよいよ待ちに待った食事タイム。ビュッフェ式だ。

 左  ホテルのビュッフェなので、なんだかホテルの朝食のような感じの食事だ。伝統的な結婚式を見ることができたうえ、昼食も食べることができてよかった。
 
 食事後は、新郎新婦と両方の両親と握手をし、お祝いを述べる。このとき、新郎か新婦に祝儀を渡すのだ。

 多数の人たちが集まり、大混雑。このあとステージの上の新郎新婦のところに行くのだが、10分ほどかかった。
 
 新郎新婦と両方の両親と握手をして、お祝いの言葉を述べる。言葉の代わりに握手で気持ちを伝えた。このとき新郎に直接に祝儀を渡した。10万ルピア(830円)を包んだ封筒を渡しておいた。伝統的な結婚式をみることができ、昼食もいただくことができてとてもラッキーだった。

 これで結婚式は終了。参加者が三々五々、式場を後にした。自分とガイドも待たせてある車へ向かった。

イエスキリストの丘、ダンパガロ、ケテ・クス
 結婚式のあと、マカレの東へ車を走らせる。やがて山の上に何やら見えてきた。イエスキリストの像だ。これから、ここへ上っていく。

 下左  やがて山上に到着。像の裏手。像の下部は展望台のように見えたが、中には入れなかった。

 下右  マカレの方向を眺める。
 
 
 
 上左  マカレの中心部を拡大。これでもタナトラジャでは最大の街だ。

 上右  イエスキリスト像を真下から眺める。
 
  タナトラジャはイスラムが優勢なインドネシアにあってキリスト教地域だ。しかもオランダの影響もあって、プロテスタントが優勢だ。プロテスタントの教会はよく見かける。ただ、カトリック教会やイスラムのモスクも少しあった。
 左  続いて、ダンパガロに向った。小川のそばの洞窟に入ると、不気味な空気が流れていた。そこには船形の墓があった。ここは洞窟墳墓なのだ。
 
 
 上左  船型の墓。洞窟の中に無造作に置かれてるように見える。

 上右  洞窟の一角には、頭蓋骨と手足の骨が並べられていた。

 左  洞窟内の高い位置の横穴に墓が入っていて、横穴の入口にはタウタウが置かれていた。
 
 タウタウが頭蓋骨を持っているのもあった。どういう意味なのだろうか。
 
 次はケテ・ケスに向うのだが、途中でカフェに寄った。ガイドのすすめだったので、ガイドにも少しお金の一部が入るのかもしれない。トンコナンを模した形をしている。

 下左  壁のないオープンなカフェ。外にはトンコナンが並んでいる。小さな村の中にある観光客向けカフェなのだろう。

 下右  オレンジジュースを注文。
 
  ガイドが席にやってきて、白い飲物を飲み始め、自分にもすすめられた。アブラヤシからつくられた酒でアラックという。インドネシアでは各地で飲まれているとのことだが、これまでは知らなかった。

 ペットボトルに入っているのを見るとカルピスに似ていた。酸味のきつい酒で、甘味もあり、アルコールに気づきにくい。
 
 ケテ・ケスに到着。村の入口で入場料2万ルピアを払って入ると、まず大きな広場があった。数年前にここで大規模な葬儀が行われたという。広場の向うにトンコナンが並ぶ村が見える。
 
 トンコナンが並ぶケテ・ケスの村。トンコナンは厳密には2種類あって、左側には住居として使われているトンコナンが並んでいる。右側に並んでいるのは、米の貯蔵庫として使われているもので、アランとも呼ばれている。

 下左  住居として使われているトンコナン。2階への階段がついているのと、正面に水牛の頭が飾られているのが特徴。

 下右  米の貯蔵庫であるアラン。住居用のトンコナンより小さく、2階への階段がなく、必ず高床式になっている。
 
 
 
 上左  トンコナンの正面に飾られている水牛の角。葬儀のさいに生贄にされた水牛の角が残されているもので、この角の数が多いと、お金持ちという評価になるようだ。角が飾られている柱は、トンコナンのせり出している屋根を支える働きもしているようだ。

  下右  水牛の歯も飾られていた。

 左  小道を歩いて、村の奥のほうへ行ってみた、さまざまな墓があった。トンコナン型の下にあるのは棺桶。左の建物も墓。
 
 
 
 
 上左  ガラスケースの中にあったタウタウ。生きているかのリアリティがある。

 上右  洞窟墳墓もあった。洞窟の中に頭蓋骨がころがっていたりした。洞窟の中にもタウタウがあった。

 左  崖に棺桶がつりさげられていた。写真は階段のすぐそばにあった棺桶を撮影したもの。階段から遠く離れたところで、上からつりさげられている棺桶もあった。
伝統料理パピオンを食べる
  ケテ・ケスを出るころにはうす暗くなり、30分後にホテルに戻ったころには真っ暗になっていた。前日にホテルの真向かいにあるレストランの予約を19時に入れていたので、ホテルでは30分も休憩することなく、夕食に外出。

 予約は座席をとるためというより、食べたかったタナトラジャを代表する名物料理である「パピオン」が3時間以上前に予約が必要だったからだ。竹筒に鶏肉、豚肉、魚、野菜などを香辛料とともに混ぜたものを入れて、蒸し焼きにする料理だ。現地人でも食べるのは儀式のときぐらいなものだそうで、ぜひ食べてみたいと思っていたのだ。

 予約時間ちょうどにレストランに行くと、もう少し待ってほしいということで、ビンタンビールを飲みながら待った。

 
 
 
 上左  運ばれきたご飯は、半分が黒米。黒といっても、真っ黒ではなく、濃い紫色だ。濃い紫色をしている食べ物には、ぶどうやなすがあるが、ぶどうやなすと同じくアントシアニンが含まれている。アントシアニンのおかげで健康にいい。

 上右  大きな皿に野菜がパラパラと置かれている。かためておかないのはどうしてだろう。ここに出来上がったパピオンを移して食べるので、混ぜやすいからか。

 左  パピオンが出来上がった。竹筒のままテーブルまで運ばれてきて、器の上に筒の中の中身を出してくれる。
 
 竹筒から出されたパピオン。鶏肉のものを注文したが、豚肉のもの、魚のものもある。鶏肉は細かくほぐされており、野菜も混じっている。香辛料がきいていて、そのまま食べることができる。

 90000ルピア(750円)。あとビールが35000ルピア(300円)。

 
 
 ホテルに戻って前日に買った果物や菓子を食べてみた。

 前日にバスの休憩時に買ったサラック。まだ食べていなかったので、食べてみた。量が多いので少しづつ食べていく。

 下左  皮をむいたところ。

 下右  梨に似た味がするが、梨よりは固い。熟していない柿のような感じだ。種も柿の種のくらいのものだ。
 
 
 これもバスの休憩時に買ったサラックから作った菓子。

 下左  1個1個、葉できっちり包んである。

 下右  意外にも中からでてきたのは黒い塊。一口食べて、激甘でびっくり。あまりに甘いので一度に1個食べるのがやっと。