2 日 目 サ レ ル ノ
フランクフルトからナポリへ |
![]() ルフトハンザもノンステータスの普通席の客は自分で荷物を機械で預ける仕組みになっていた。スタアラゴールドのおかげで、ビジネスクラスの有人カウンターで荷物を預けられた。 保安検査後、ルフトハンザのセネターラウンジへ。 |
![]() 下左 飲物はビール。 下右 コーヒーとデザート。 搭乗時刻近くまでラウンジで休む。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() 下左 以前、ルフトハンザの欧州内路線で、飲物サービスでビールをいただいたことがあるので期待していたら、今は水だけになっていた。 下右 アルプス越え。 |
![]() ![]() |
![]() 雨が降っていて、しかもかなり寒くてびっくりした。すぐにダウンを着た。 |
![]() |
![]() |
ナポリからサレルノへ |
![]() 下 行先や列車種別がごちゃまぜで表示される電光掲示板。欧州ではこれば普通だとわかってはいるが、見にくい。13時50分発のサプリ行きのR(レジオナーレで急行のようなものだろう)でサレルノに行けることを確認。 |
![]() |
![]() 忘れずに、入鋏用の機械に差し込んでパンチ。以前はそれだけですんだが、今はホームに入るときに切符を駅員がチェックする。 乗車した電車。 |
![]() 「fs」のマーク。前回のイタリア本土の旅のときは国鉄だったが、今は民営化され「fs」となっている。 |
![]() イタリアも、電化区間はほぼ電車列車になり、電気機関車けん引の客車列車は少なかった。(日本のようにほぼ絶滅というわけではなく、乗車もした。)残った客車も、寝台車をのぞいて開放型。26年前に乗ったコンパートメント型は見かけなかった。 |
![]() ポンペイ遺跡はヴェスヴィオの南側にあり、fsのポンペイ駅も南側にある。どうやら、高速線がヴェスヴィオの北側につくられたようだ。この線路は駅がなかった。サレルノまでとまらないので、駅がなくてもかまわないのだ。 |
![]() |
![]() この写真を撮影している自分の背後10mほどのところに、サレルノで泊るホテルがある。 |
サレルノ散策 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() 特徴的なのは、右端近くの真中に見えるスチーム暖房。自分で調整できず、イマイチだったが、ないよりはよかった。なにしろ思っていたよりも寒かったので。エアコンは冷房専用で使わなかった。 |
![]() 海岸沿いの道。翌日にはアマルフィ行きの船に乗るので、乗場を確認。 サレルノは、世界史教科書で、世界最古の大学の1つがあり、医学で有名だったとう記述があったことを覚えていた。大学は街の郊外に移転し、古い校舎も残っていなさそうなので、訪問はとりやめた。 |
![]() 下左 見どころがあわわけじゃないが、旧市街の狭い路地をぶらぶら歩く。 下右 路地になかには飾りがしてあるところもあった。翌日がイースター(復活祭)だからだ。でも、イースターならではのイベントに遭遇はしなかった。少し期待はしていたのだが。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() 「MOMI」という店が開いていて、23ユーロで海産物のセットメニューがあったので、ここに入店。(安上がりにするには、15ユーロで海産物ではないセットメニューもあった。) |
![]() |
![]() 「PERONI GRAN PISERVA」で、PERONIはこの後も何度か飲んだ有名なビール会社のもの。その会社のビ―ルのプレミアムビール的な位置づけのもののようだ。色はなかり濃い色をしていた。 |
![]() リゾットというと、白ワインで炊いたおじやみたいなもので、チーズも入った白いものを連想するのだ。 確かに、料理法はパエリアと同じなんだろう。あえて言えば、ご飯に芯が残っているのだ。パスタは芯が残る茹で方が美味しいと言われるのと同じで、芯が残るような炊き方にしているのだろう。 |
![]() |
![]() |
![]() 23ユーロにビール5ユーロで28ユーロ。4200円ほどで、美味しかったけど、毎日、この金額の食事はつらいなって感じた。 ホテルに戻り、1日を終了。 |