5 日 目 ポ ン ペ イ
ポンペイ遺跡に着くまで |
![]() ほぼ変わらぬ朝食。パンは甘い系。 |
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8時に宿を出て、8時12分発のナポリ地下鉄直通の普通電車に乗るつもりだった。ナポリ中央駅地下のガリバルディ駅まで80分と、ノンストップ列車の40分と大違い。ポンペイまで40分。 列車は「3Tr」というホームから出発するとの表示。でも「Tr」って? よくわからないまま3番ホームへ行ったものの電車は見当たらない。とうとう8時12分になった。別のホームから電車が出ていった。あれだったんだ。 電車が出発していったホームへ。事情が判明。写真で「1」が見えるが、その右の線路をはさんだホームが2、3番ホーム。「1」と同じホームの左側は、ホームが切り込まれていて「3Tr」だった。さらにその左の櫛型ホームが、2Tr、1Trであった。写真に写っている8時42分発の電車に乗車。 前日にポンペイから乗ったサレルノ行き電車が、この櫛型ホームに入ってくれれば、そのときに事情がわかったのだが。前日は、一般のホームに入ったのだ。だからTrのついたホームに気づかなかったのだ。 |
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![]() ポンペイ遺跡は26年ぶり。前回は2、3時間で主なところだけを駆け抜けた感じなので、今回はじっくり、1日かけて見学しようと思う。 |
ポンペイ遺跡 |
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![]() 左 通路。展示場になっていた。 下 闘技場のフィールドから客席を見る。客席には上れなかった。 |
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![]() 左 水をためた容器だろうか。右が発掘されたもの。左が色がよくわかるようい復元されたもの。 |
![]() 下 前回はなかったトイレが高台にあり、遺跡を広範囲に見ることができた。 |
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![]() 左 ところどころに壁画が残されていた。 |
![]() 下 最上部まで上って一休み。暖かく、でも暑いわけじゃないこともあり、30分ほど動けなかった。 |
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![]() 左 バジリカ。裁判や商取引の場。以前は入れなかったようだが、中に入れた。 |
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![]() 下 ジュピター神殿。一番重要な神殿であったという。 |
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![]() 西暦79年に大爆発し、火山灰が1日降り続き、翌日の火砕流で完全に埋まった。2万人の市民のうち、逃げ遅れた2000人が埋まったという。 |
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![]() 下 極彩色がそのまま残っている壁画。秘密の儀式をあらわす絵なので秘儀荘。 |
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サレルノに戻る |
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![]() 10時すぐに入場し、17時過ぎまで、7時間、遺跡に滞在した。 左 ポンペイ駅からサレルノ行きに乗車。この日はサレルノの1つ手前のドゥオーモ駅で下車。 |
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![]() カルパッチョといえば冷製と思っていたが、出されたのは焼きたての熱いタコだった。味つけはカルパッチョだったが。 パンもついていたが、写真は省略。 |
![]() パッケリはカンパーニャ州の名物パスタだという。 タコ12ユーロ、パッケリ13ユーロ、ワイン5ユーロで計30ユーロ。 |