後半1、2日目

 

ソウル近郊ぶらり旅(8)

【2週間ぶりのソウル】

 タシケントからのアシアナ航空OZ574便は、順調に飛行。中国・
モンゴル国境付近で夜が明け、さらに北京、大連の上空を飛んでい
るのだが、残念ながら、雲の上を飛行しているため、大地をのぞく
ことはできなかった。

 韓国の入国カードと税関申告書を配って回られる。入国カードはハングルと英語で書かれていたが、自分を韓国人と思ったのか、自分に配られた税関申告書は、ハングルだけのものだった。税関申告書は、日本の場合は申告の必要のある人だけが提出するが、韓国の場合は全員が提出しなければならない。すぐに英語の用紙に取り替えてもらって記入。

 アシアナ航空では、夜行便の場合には、朝の機内食にキムチライ
スが出され、これがこの会社の名物になっている。ご飯の上に、キ
ムチがどっさりと盛ってあるだけというごく単純な機内食であるが、
お国柄が強く出ている機内食として、日系の会社で出るうなぎ弁当
みたいな存在なのであろう。キムチはごく普通に見かける白菜のキ
ムチであった。

 オムレツとの選択であったが、乗客の大半を占める韓国人は、ほ
とんどがキムチライスを選んだので、機内はキムチの匂いが充満。
韓国の飛行機はどことなくキムチの匂いがするとか言われることが
あるが、これはまったく根拠のない話ではないのだ。今回搭乗した
飛行機に限れば、朝の機内食がだされてから、機外に出るまで、機
内はキムチの匂いにつつまれていた。

 これまた、アシアナ航空名物である客室乗務員たちが客席の最前
部に立っての体操。背中を伸ばしたり、手をあげたりして、夜行便
の疲れをとるものである。なんだか恥ずかしかったので、見ていた
だけだったのだが、回りの韓国人たちはほとんどの人が体操をして
いた。

 金浦空港到着の定刻時刻は9時10分であるが、8時30分ころには
すでにソウル近郊に林立する高層住宅群が眼下に見えてきて、結
局20分近く早く到着した。毎度のことであるが、旅行時の荷物はで
きるだけ少なくし、今回も機内持ちこみ荷物だけにしているので、タ
ーンテーブルで時間をロスすることなく、入国審査と税関を早々と
通過することができた。

 2週間ぶりの韓国。空港の雰囲気を見て、日本からやってきたと
きは、日本と違うなあとか思うのであろうが、今回は遠くはウズベ
キスタンからの到着とあって、日本に帰ってきたような錯覚を感じ
た。行き交う人々の服装や持物、売店やカウンターの造りや並べら
れているもの、ターミナルの外側の自動車の多さと、空港の感じは
日本と共通するものが多い。ただ、文字が違っているということを
除いて。

 まずは、アシアナ航空のカウンターで帰国便のリコンファームを
済ませる。金浦空港の入国ロビーは1階、出国ロビーは2階になっ
ていて、航空会社のカウンターは2階にある。いったん出国ロビー
へ行って、リコンファームを申し出る。これも一瞬にして終わり、
ホテルに向かうため地下鉄駅に降りる。

 地下鉄金浦空港駅で回数券を求める。正確には回数券ではない。
10000ウォン(約1000円)で11000ウォンだけ乗れるプリペイドカー
ドなのだ。金額的に得をするということに加えて、いちいち切符を
買う手間が省けるということが、時間の余裕があまりない旅行者に
とってはありがたい。ただし、日本のJRや私鉄、地下鉄のプリペ
イドカードは、定期券の大きさに合わせてあるようなのだが、ソウ
ル地下鉄のは、ふつうの切符と同じ大きさだ。だから無くしてしま
いやすいのではないだろうか。

 ソウル地下鉄の自動改札機の切符投入口は、ふつうの切符が入
るだけの大きさであるので、プリペイドカードもこの大きさになって
いるようだ。韓国では、日本の定期券にあたるものはないのだろう
か。


*****************************************************


ソウル近郊ぶらり旅(9)

【地下鉄にて】

 金浦空港駅からの地下鉄は5号線、このままソウルの中心部に直
通している。ソウル地下鉄のなかでは新しい路線で、3年前の訪韓
時には、一部開通していた状態で、金浦空港からソウルの中心部に
向かうには、最低2回の乗換えが必要であった。その頃の面倒さを
思えば、ずいぶんと便利になったものである。

 地下鉄の車両のエアコンはよく効いている。この2週間、一部の
ホテルなどを除いてエアコンとは無縁の旅を続けてきただけあって、
エアコンの有難さをしみじみと感じる。一車両に乗っている客の数
も多くなく、快適な地下鉄である。

 地下鉄に乗ると、日本に帰ってきたような錯覚に再び陥る。まず、
車両が日本の地下鉄にそっくり。日本のステンレス車体の地下鉄車
両を思いうかべてもらえればよい。おそらく、日本製の車両なので
あろう。

 それに、車内や駅構内が明るいのだ。これは安心感を与えてくれ
る。さらに、車内がきれいだ。ゴミが少なくて気持ちがいい。日本
では、終点で乗務員や清掃員がジュースの缶や新聞紙をとってまわ
るので、ゴミが少ないが、ここの地下鉄でも、同じような仕組みを
取り入れているのだろう。海外では、地下鉄に乗ると不安感や不快
感を感じることもあるが、ソウルの地下鉄に限って言えば、日本の
感覚で地下鉄を利用することができる。

 ソウルの中心部が近づいてくるにしたがって客がだんだんと増え
てきた。いつしか、座席が全部埋まってしまい、立ち客も目立つよ
うになってきた。

 ソウルの地下鉄に乗っていつも目にするのが軍服をきた兵隊の姿
である。しかも兵隊が女友達と一緒に乗っていたりする。地下鉄に
限らず、地上の繁華街でもよく目にする光景である。ソウルの場合、
兵隊の姿が一般市民の中に溶け込んでいて、兵隊が女友達と歩い
ていても違和感がない。韓国兵だけではなく、アメリカ兵の姿もよく
見かける。

 これが日本だったらどうであろうか。自衛隊員が制服姿で公共の
乗り物に乗ったり、町を歩くということ自体、ほとんどない。たま
に制服姿に出会っても、ひとりである。自衛隊員の世界は一般市民
とは別にあるというような感じなのだ。

 いよいよ市内中心部にさしかかってくると、突然、演説が始まっ
た。何を言っているのかよくわからなかったが、物売りがその品物
の効能を説明しているのだった。ソウルの地下鉄では、乗れば物売
りに出くわす可能性がかなりある。

 この日は、靴べらを売りこんでいた。ほとんどの人は無視してい
るのだが、意外と買う人もいる。自分の前の方に座っている人が買
い求めていた。確かに、地下鉄の物売りが売る品物のなかには、一
般の商店では、どの店に行けば売っているのだろうか、と一瞬考え
てしまうような品物が結構ある。

 一車両でひとり買ってくれるだけでも、路上でにシートを敷いて、
同じような商売をするのに比べてみれば、効率よく売りこみができ
るのだろう。

 物売りの中には、品物を持って車内を巡回するだけでなく、ひと
りひとりの膝の上に品物を置いて行く者もいるのだ。これは、逃げ
道のない客に、無理やり買わされているみたいでたいへん不快だ。
もっとも、この場合も品物を無視し続けていれば、あとで回収して
回るのであるが、初めてこれを経験する日本人はびっくりするであ
ろう。

 しばらくすると、再度、演説が始まった。今度は、演説のあと、
新聞を配って回っていた。これは新聞を売っているのかと思って新
聞には手をつけずにいた。回りの人のなかにはその新聞を手にとっ
て読んでいる人もいる。どうも、これは新聞を売っているのではな
く、特別な主張を書いた宣伝紙を配っていたというのが真相みたい
だ。



*****************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(10)
00/02/18 05:28


【ホテルで一休み】

 地下鉄5号線でソウル中心部の鍾路3街(チョンノサムガ)まで
行き、1号線に乗換えて一駅だけ乗り、鍾閣(チョンガク)で下車。
5号線は、ソウル地下鉄のなかでも新しい路線である。だから、車
両や駅構内はきれいで気持ちがいいのだが、反面、既設の地下鉄
線とのホーム間の距離がかなりある場合が多いように思う。鍾路3
街で、1号線に乗換える場合などは、歩かされる距離の長い乗換で
あろう。

 今回、ソウルで泊まるのはYMCAホテル。出発前に、日本から
予約しておいた。ソウルでは、宿泊費はほかの物価と比較するとか
なり割高な感じがするのだが、そんななかで、格安のホテルである。
それに、ソウル市街のど真中にあって、交通至便なホテルでもある。
なにしろ、鍾閣(チョンガク)駅から地上に出る階段を上がったと
ころから10mほど離れている個所にホテルの玄関があるのだ。玄関
といっても、YMCAのビルの玄関であって、ホテルの客扱いはビ
ルの7階以上のフロアである。宿泊客専用のエレベーターでフロン
トへ。

 実はまだ10時30分ごろであったので、部屋に入れてもらえず、荷
物をいったん預ける形になっるかなと思っていたが、鍵を渡された。
ちょうど館内は掃除の真っ最中だったのが、すでに掃除の終わって
いる部屋が割り当てられたようだ。前夜は、機中泊ということもあ
って、かなり疲れている。外出する前に少しだけ、ベッドに横たわ
って一休みする。

 かなり古い建物であるため、中の設備はかなり老朽化しているし、
もともと部屋自体が小さく窮屈である。しかし、うれしいことに丁
寧に清掃がなされているので清潔感はある。こういうところの気配
りの見られるホテルはまた泊まってみたいものだ。それに、韓国で
は当たり前だろうが、何日か前まで、ホテル内でも暑さを戦う日々
が連続していたので、エアコンが使えるというのはたいへんいい。
かなり、使いこんである韓国製で、下手に調節用のつまみをいらう
と、つまみがとれるか壊れそうな感じなので慎重に取り扱わなけれ
ばいけない。

 横になると、頭上にオレンジ色のマスクがかけてあるのが目につ
いた。防煙マスクである。ソウルでの火災のニュースが時々あるが、
マスクの常備が義務付けられているくらい、火災が多いのだろうか。
万が一のとき、こんなもので果たして役に立つのかとか、かなり古
くなっているマスクなので、たとえ火事になっても、これをかぶる
のは嫌だなとか思う。

 横になりながら、ソウルでのスケジュールを検討する。3年前の
訪韓のさいに、ソウル市内の主だったみどころはほとんど見て回っ
ている。それで、今回の訪韓では、実質3日間で、ソウル近郊のみ
どころを中心にして回ることにしている。

 旅行前には、日本から板門店ツアーの予約を入れたほか、仁川、
水原、民俗村、江華島へ行くスケジュールをたてていた。だが、す
でにその全部を回ることは無理であることが決定している。どこを
省くかということで思い悩む。

 実は、タシケントからソウルに着いたその足で、金浦空港から江
華島へ直接行く計画をしていたのだ。ところが、2週間前にソウル
に立ち寄ったさいに、金浦空港のどこから江華島行きのバスがでて
いるか探してみたのが、結局、乗り場がわからなかった。実質3日
間の滞在期間中に、行きたいところ全部を回るという計画は無理に
なったのだ。

 結局、この日は仁川(インチョン)へ行き、次の日に水原(スー
ウォン)と民俗村、その次の日に予約を入れてあるツアーで板門店
(パンムンジョム)へ、そしてその次の日には帰国するということ
にした。そのため、江華島(カンファド)はあきらめ、次回の訪韓
のさいに回る。

 ただ、板門店ツアーは、前回の訪韓のさい、予約してあったのに、
前日に中止と言われて、その日が手持ち無沙汰になったという苦い
経験を持っている。もし、またもや板門店ツアーが中止になれば、
江華島へ行くことにする。



*******************************************************


ソウル近郊ぶらり旅(11)

【仁川へ】

 ホテルで休憩もそこそこに出発。まずは、明後日、予約してある
板門店ツアーのリコンファーム。街角の公衆電話から、大韓旅行社
に電話。日本語OKである。明後日のツアーは予定通りおこなわれ
るとのこと。

 実は、3年前の訪韓のさい、予約してあった板門店ツアーが水害
のため中止になったのだ。訪韓前から、北朝鮮の水害が深刻である
ことは知っていたのだが、韓国で水害があったという報道は知らな
かったし、ソウル到着時は快晴であったので、中止とは予想外だっ
た。

 そのさい、ひょっとして中止では、と不安になったのは、ソウル
に着いてから、ホテルのテレビでソウルの北方で水害があったとい
うニュースを見たとき。その後、新聞の一面に、流される家屋の屋
根に豚が避難している写真がのっているのを見て、ひょっとして中
止かも、と思った。そして、実際、リコンフォームしたら中止を告
げられたのだ。このツアーが、訪韓のメインイベントであっただけ
にショックであった。しかも、その日は他にすることを考えていな
かったので、ソウルの街をぶらぶらしただけの日になってしまった
のだ。

 焼きたてパンの店で昼食。店の半分がカフェ風になっていて、買
ったパンをその場で食べることができるようになっている。いろい
ろな菓子パンや調理パン、サンドイッチを売っていて、どれにする
か迷う。ケーキも売っている。品揃えは、日本のパン屋とそう違い
はないが、キムチを上にのせた調理パンやキムチのサンドイッチが
韓国らしい。日本で売っている同じようなパンと比べてみると、値
段はほぼ半額といったところだ。

 パン3つと飲み物を求めて、あいている席にすわって、すぐに食
べる。かなりにぎわっている店であるが、ほとんどの人は持ちかえ
り客で、店内で食べているのは、それほど多くなく、若い女性が大
半を占めている。

 この日の午後は、地下鉄で仁川(インチョン)へ向かう。地下鉄
1号線は、国鉄と相互乗り入れをしていて、事実上は国鉄の一部分
になっているようである。うまい具合に、仁川行きの電車がやって
きて、その電車に乗車。

 国鉄ソウル駅の地下に、地下鉄ソウル駅があるが、ここが一応、
地下鉄と国鉄の境界駅になっている。ソウルの中心部からソウル駅
についた電車は、ソウル駅からは国鉄に入るのである。しかも、ソ
ウル駅では折り返し運転はおこなわれておらず、すべての電車が、
ソウル駅を通って、国鉄へ直通運転している。

 国鉄に入った電車の行先は、ほとんどの電車が、仁川(インチョ
ン)と水原(スーウォン)である。日本でも、東京の地下鉄で、J
Rと地下鉄が相互乗り入れしているところがあるが、それと同じ形
態だと思えばよい。

 ソウル駅を出ると、電車は間もなく地上に出る。このあたりの国
鉄の線路は、長距離列車が走る線路と、地下鉄乗り入れ電車が走る
線路とは完全に分けられている。また、地下鉄乗り入れ電車の線路
の部分にだけホームがあって、長距離列車の線路の部分にはホーム
がない駅もある。こういったことも、東京近郊の場合とよく似てい
る。

 やがて、九老(クロ)。ここからは、仁川行きは西へ、水原行き
は南へ向かう。しばらくの間、仁川へ向かう電車の車窓からは、住
宅が続いて見えていたが、次第に水田が多くなっていく。この電車
は、ドア部分についている窓の位置がやや高く、しかも窓が小さい
ので、座席に座って風景を見るのは、日本の電車に比べて見にくい
感じだ。しかも、単調な風景であるので、徐々に眠くなっていって、
結局、気がついたのは、下車する東仁川駅の直前であった。



*******************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(12)

【仁川上陸作戦記念館】

 仁川の中心部に近いのは、国鉄電車の終点の仁川ではなくて、そ
のひとつ手前の駅、東仁川である。東仁川の駅前がこの町で最も賑
やかな繁華街になっているようである。

 まずは、ここからバスで仁川上陸作戦記念館をめざす。バスの番
号はガイドブックで調べてあるが、その番号のバスにどこでのれる
のかわからず、しばらくうろうろした。ようやく乗り場がわかると、
たくさんの子どもたち。自分が降りる予定のバス停のすぐそばに遊
園地があり、そこのプールに遊びに行く子どもたちが大勢いて、な
んとか座れたものの満員。

 駅前の通りをまっすぐ行くと港があり、国際フェリーターミナル
がある。どんな港か見てみたかったのだが、港にいたる前に別の道
にはいってしまい、港はわからずじまいであった。その後も、海岸
べりの道路を通るものとばかり思っていた期待ははずれ、海岸から
かなり離れた道路を通って、降りる予定のバス停に到着。15分程度
の乗車であった。

 バスを降りたところが松島(ソンド)遊園地。この敷地内に仁川
上陸作戦記念塔があるようだったが、入場料がいるのでパス。すぐ
に山の中腹にある仁川上陸作戦記念館をめざす。

 坂道をあがること約5分。たいした距離ではないが、猛暑の中だ
けにかなりこたえる。坂道の突き当たりに、高い壁がたちはだかり
その上に十数ヶ国の国旗がはためいている。めざす記念館にやって
きたのだ。十数ヶ国というのは、朝鮮戦争のさいに国連軍に参加し
た国々である。

 壁についている階段を上がりきると、海岸までが見渡せる展望台
のようになっていて、昔の戦車が置いてある。建物がふたつあって、
ひとつが記念館、もうひとつがシアターと管理棟であった。シアタ
ーは休館だったので、記念館のほうだけを見てまわる。入場料は無
料である。

 仁川上陸作戦とは何か。1950年に始まった朝鮮戦争は、当初は
北朝鮮が38度線を越えての奇襲攻撃をおこない。あっという間にソ
ウルを占領。そのあとどんどん南へと進撃し、半年後には、韓国側
がついに釜山の周辺に追い詰められた。ちょうどその頃に、韓国を
支援して国連軍を派遣することを決定した。国連軍の主力は、アメ
リカ軍でその多くが当時、日本に駐留していた部隊であった。だが、
アメリカ軍以外にも、国連軍に参加した国があった。

 国連軍が参戦するさい、北朝鮮の占領下にあった仁川から上陸を
することにした。これが仁川上陸作戦である。仁川の付近の3つの
地点から国連軍が上陸した。その3つの地点のひとつが、この付近
の海岸なのだ。この作戦に成功した国連軍の力によって、一気に形
勢が逆転し、国連軍はソウルを奪回し、38度線を越えて、どんどん
北上を続け、ついには北朝鮮軍を中国との国境付近にめで追い詰
めた。このときに、中国が北朝鮮を支援して参戦し、再び形勢が変
わり、国連軍は38度線付近にまで押し戻された。その後、38度線付
近で戦線が膠着し、やがて休戦協定が結ばれたのだ。

 この記念館は、朝鮮戦争の戦局の転換に重要な意味をもった仁川
上陸作戦の成功をたたえる内容になっている。上陸作戦に関する資
料が詳しく展示されていて、戦争当時のこの地域の両軍配置とか、
戦闘開始から国連軍がこの地域をおさえるまでの時間的な経過など
がよくわかる。相当な激戦があって、仁川の町が壊滅したこともわ
かる。

 また、この戦争当時の両軍の武器や装備、一般民衆の生活状況に
ついての実物の展示もおこなわれていた。この当時の国連軍総司令
官マッカーサーについての展示もある。

 小さな記念館ではあるが、詳しく見ていると結構見学には時間を
要する。ソウルにある戦争記念館でも、朝鮮戦争関係の展示にスペ
ースがかなりとられているが、ここの記念館では、朝鮮戦争のなか
でも、仁川上陸作戦のことを調べようと思えば、たいへん役にたつ
展示をしている。



*****************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(13)

【「815」コーラ】

 仁川上陸作戦記念館を見たあと、仁川市立博物館へ。ここは上陸
作戦記念館のすぐ隣に位置している。ソウルの国立中央博物館を小
ぶりにしたような展示で、各時代にわたり、いろいろな文化財を網
羅的に展示していた。夏休み中で子どもが多いが、メモを熱心にと
っている子どもが多いのも中央博物館と同じだった。

 いったん、上陸作戦記念館の敷地内に戻って、バス停に向かう。
韓国は日本以外では、飲み物の自動販売機が一番多くみかける国じ
ゃないだろうか。暑さでまいっていたので、冷たいものが簡単に手
にはいるのはうれしい。

 バス停近くで、「815」という名のコーラを見つけて、さっそ
く購入した。缶の外側のデザインや文字は赤い色で書かれていて、
コカコーラの缶にたいへん似ているのだが、韓国独自のブランド
「815」である。販売機の中をよく見ると、緑色のデザインの
「815」サイダーもあることがわかった。こちらの缶は、三ツ矢
サイダーを連想させる。

 中身は、コカコーラと変わらない。もっともコカコーラは成分を
公開していないので、多少は違うのかもしれないが、特段、コカコ
ーラや他のコーラとの違いは感じない。韓国でも、コカコーラはよ
く見かけるが、「815」というのは初めてだ。

 さて、「815」とは何か。もちろん、8月15日のことであろ
う。1945年8月15日。日本にとっては第二次世界大戦の敗戦の日で
あるが、韓国にとっては、19世紀末から進んでいった日本による支
配の終了の日である。今もなお、韓国では8月15日は、「光復節」
という祝祭日になっている。「光が復活する」とは「独立が復活す
る」ということだろう。

 したがって「815」というブランドには、強烈な民族意識が感
じとられるのだ。一般の韓国の人々が「光復節」とその意味を強く
意識しているかどうかはよくわからない。だが、この飲料会社の経
営者は、強烈な民族意識の持ち主であるということ、そして、一般
の人々がもつ民族意識をうまく商売に利用しようとしていることは
間違いないであろう。

 だが、自分の見た限りにおいては、この飲料会社のねらいはほと
んど達せられていないように思える。というのは、この旅行中、注
意して見ていたのだが、「815」ブランドは何度か目撃したもの
の、コカコーラに比べると見かける頻度はずっと小さく、それほど
売れてはいないように思われるからだ。

 とはいえ、自分にとっては、「815」というブランドの製品が
売られていて、それほどは売れていないとはいっても、一般の韓国
の人々が目にし、そしてたまには買う、ということ自体に関心をも
った。

 日韓の市民が、相互にそれぞれの国に親しみを感じるという割合
が増えているというアンケート結果を目にしたことがある。だが、
ある程度まで親しみを感じる割合が増えたあとは、増えにくいよう
に思う。こういうブランドの商品が販売されているという状況から
考えて、韓国では、日本人にどうしても親しみを持てないという層
が一定の割合存在するであろうし、日本では、こうした状況である
限り韓国人には親しみを持てないという層がやはり一定の割合存在
するであろうと思われる。

 この日は、8月14日であったのだが、仁川からホテルに帰ったあ
とテレビをかけていたら、オペラ風の劇の録画を上映していた。劇
の細かい内容はよくわからなかったが、三・一独立運動や日本の支
配下の状況、独立といったことが描かれていた。「815」という
ブランドが出現する土壌が存在することを感じた。

 さて、「815」コーラを飲み終えたら、ちょうどバスがやって
きた。再び、仁川の中心部に戻り、ほかのみどころを見て回ること
にした。



*****************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(14)

【仁川の町いろいろ】

 バスで東仁川の駅前に戻る。本当は、途中で降りて、月尾島(ウ
ォルミド)へ歩くつもりであいたが、バスを降りそこなってしまっ
て、出発点にもどってきたのだ。先に、東仁川で降りたさいには気
づかなかったが、東仁川の駅はかなり大きな駅ビルになっていて、
駅はその中にある。まさに、仁川の中心は東仁川であるということ
を物語っている。

 ここから徒歩で町歩き。まずは自由公園へ。ちょっとした丘の上
にある公園だが、緑に覆われていてそれほど見晴らしはよくない。
朝鮮戦争のさいに上陸作戦を指揮したマッカーサー将軍の銅像がた
っている。

 あちこちの道端にトウガラシが干してある。歩道の3分の2くら
い占めていて歩きにくいところもある。トウガラシが何百、何千と
縦横きちんと並べてある様子は壮観である。夕方であったので、ト
ウガラシを片付けている人もいる。翌日、また並べるのであろうか。
たくさんのトウガラシを並べるだけでもたいへんな手間がかかるだ
ろう。

 やがて、仁川駅。ここが国鉄の終点であるのだが、さびれた感じ
のそれほど大きくはない駅である。町の中心は、東仁川のほうであ
ることが一目でわかる。

 さらに足を伸ばして、月尾島へ向かう。その途中の様子は、工場
や港湾地帯で風情はないのであるが、20分ほど歩くと月尾島に到着。
ここはもともとは、本土とは離れた島であったのだが、今は埋め立
てが進んで本土と一体化している。小さな丘があることが、かつて
は島であったことを連想させるだけだ。

 ここには、海岸べりの道路にそってレストランや屋台が並んでい
るところがある。かなりの人出があって、途中歩いてきた工場や港
湾地帯がすぐ近くにあるとは思えない。

 屋台で魚フライやおでんを食べて腹ごしらえをする。新鮮な刺身
を食べさせる店もたくさんあって、食べようかなとも思ったが、結
局、次の機会にまわすことにした。

 島の回りや港をめぐる遊覧船も出ていて、乗ろうかなとも思った
のであるが、早くホテルに戻って休みたいという思いがあって、遊
覧船には乗らずじまい。

 バスで仁川駅へ向かう。さきほど確認した駅の位置を注意深く窓
から見ていて下車する。そうしないとまた東仁川駅まで運ばれてし
まう。

 仁川駅はひとつのホームがあるだけの駅だが、構内はかなり広く
て、周辺の工場に関係する貨物輸送はかなりさかんなのではないか
と思われた。

 わずかの乗客を乗せただけで仁川駅を出発した電車は、すぐに東
仁川駅に到着。同時にたくさんの乗客が乗ってきて、たちまち座席
は埋まってしまい、立ち客も出る。

 疲れがたまっていたのか、知らぬ間に熟睡していた。気がつくと
電車が止まっている。時計を見ると、もうソウル駅に着いていても
よい時間である。事故でもあったのだろうか。

 止まっていたのは、ほかの地下鉄との連絡駅だったので、家路を
急ぐ人の中には、乗りかえる人もかなりいる。自分も乗換えようか
とか思って、地下鉄路線図を見て、行きかたを考えていたら発車。
ゆっくりとしたスピードだが動き出したのでこのまま乗って行くこ
とにした。このまま乗っていたら、ホテルに戻るのに一番便利な駅
にも止まるのだから。

 結局、その後ものろのろ運転が続き、1時間遅れでホテルに戻っ
てきた。この日は、前夜が機中泊だったので、入浴だけしてすぐに
寝てしまった。



***************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(15)

【やってこない水原行き】

 8月15日は光復節。この日には毎年、何らかの記念イベントがお
こなわれているのであろうが、日本ではそうした情報は手に入れら
れない。ソウルにきてからも、韓国語がわからないので、テレビや
新聞を見て情報を得るということはできない。

 それで、この日は水原(スーウォン)とその郊外にある韓国民俗
村(ハンククミンソクチョン)へ行ってみることにした。水原へ行
くには、ホテルのそばにある鍾路(チョンノ)から地下鉄1号線に
乗ればよい。地下鉄1号線がそのまま国鉄に直通していて、水原ま
で1時間ほどで行ける。

 地下鉄をソウル市内だけで乗れば、たいていはW500(約50円)
だが、水原や仁川まで行くとW950(約95円)である。でも、水原
や仁川はソウルの中心部から40kmくらい離れているので、この金額
で行けるとは、日本の鉄道のことを思えばたいへん安い。しかも、
自分の場合は、プリペイドカードを購入しているため、1割引で乗
っているようなものである。

 ホテルのある一帯はソウルの中心部であって、普段の日の朝にホ
テルの前を歩けば、通勤の人たちがたくさん目につくのであるが、
この日は祝日のため、歩いている人は少ない。地下鉄のホームに下
りてみても、電車を待っている人が、普段の日に比べてずっと少な
い。

 しばらく待ってやってきた電車は仁川行き。昨日は、この電車に
乗って仁川を往復したのであるが、この日は水原行きを待つ。地下
鉄1号線を南西方面に向かって走る電車の行先の大部分は、仁川行
きと水原行きであって、それぞれの行先の電車が交互に運転されて
いる。従って、今見送ったのが仁川行きであったので、次にやって
くるのは水原行きのはずである。

 ところが、次にやってきたのも仁川行きであった。したがって、
また見送った。時刻表を確かめて見ると、時刻表のとおりには運転
されていない。本数から考えて、かなり間引き運転がされているよ
うである。

 そして、次にやってきたのも仁川行き。これも見送ったのだが、
このときになって、やっと異変に気づいたのだ。この日は、水原行
きは運転されていないのだ。

 じゃ、なぜ。そういえば昨日、仁川からソウルに戻るときのダイ
ヤが乱れていて、ソウル市内に入るあたりからのろのろ運転になり、
結局2時間くらいもかけて仁川からもどってきた。原因はよくわか
らなかったが、きっと仁川行きと水原行きが分岐する九老駅から先
で事故か何かが起こっていたのであろう。それが昨日の間に復旧し
なかったので、この日も水原行きは運転されていない、と考えられ
るのであった。

 さて、どうすれば水原に行けるか。水原方面に行くには、地下鉄
1号線からの直通電車のほかに、地下鉄4号線を利用する方法があ
る。4号線の終点は、ソウル南方のソンバウイであるが、4号線の
電車はほとんど国鉄線に直通して、ネ今井(クムジョン)、または
その先の安山(アンサン)まで運転されている。(「ネ今」で一字)

 ネ今井は、1号線から水原に直通している電車の駅でもある。つ
まり、ネ今井で1号線から直通の水原行きの路線と、4号線から直
通の安山行きの路線が交差しているのである。

 従って、ネ今井と水原の間が運転されていたら、ネ今井で乗換えて
水原に行けるのだ。しかし運転されているという保障はない。ひょ
っとしたら、ネ今井までは行けても、その先は国鉄では行けないか
もしれない。そのさいはタクシーを利用することにしよう。

 で、4号線に乗るにはどうすればよいか。とりあえずは、次にや
ってくる仁川行きに乗って、ソウル駅で4号線に乗りかえるのがよ
さそうだ。やがて、仁川行きがやてきたので乗車。こんなことなら、
最初にやってきた仁川行きに乗れば良かったのに、と思ったのであ
った。



****************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(16)

【水原まで】

 地下鉄1号線をソウル駅で降りて、4号線に乗換える。この乗換
てのために歩かされる距離がまた長いのだ。1号線のホームの端の
ほうの階段から連絡通路に出て、連絡通路を歩かされたあとに着く
のが4号線のホームの端に下りる階段。

 同じ路線間の乗換えが複数の駅で可能な場合は、どの駅で乗り換
えるか作戦をたてていくことが必要なことを以前の訪韓のさいに実
感していたのだが、メモなどを残さないので、どの駅が要注意なの
か忘れてしまっていて、この日も歩き始めて以前のことを思い出し
たのであった。この日は、無駄な時間をホームでとてしまっただけ
に、この距離がうらめしい。

 同じ地下鉄ソウル駅でも、1号線に比べて4号線のホームは広々
としているうえ、新しいだけあって見た目もきれいである。やがて
やってきた電車はネ今井(クムジョン)行き。これに乗って終点ま
で行って、水原行きに乗りかえるか、不通だったらタクシーを使う
ことにしよう。

 この日は光復節の祝日であったので、郊外へ遊びに行くような感
じの家族連れが多く乗っていた。いくつかの家族がグループで連れ
立っているところも見られる。子ども同士がふざけて、賑やかすぎ
るのは日本と同じだ。ソウル地下鉄で名物の物売りもこの電車には
乗ってこない。家族連れが多いのでは、あまり商売にならないと判
断したのであろう。

 ソウルの南方に、ソウル大公園という名の駅がある。ソウルの地
下鉄のアルファベット表示は、韓国語の発音をアルファベットに表
しているのだが、この駅は英語式にSeoul Grand Park と表示さ
れている。この駅で降りて公園に向かう客が多いのだろうと思って
いたが、寝てしまっている間に、その駅は過ぎてしまっていた。目
がさめてときには家族連れがほとんどいない静かな車内になってい
た。

 4号線とその延長部に当たる国鉄線は郊外に出てからもずっと地
下を走っている。だから、地上が丘陵地帯なのか、農地が広がって
いるのか、あるいは高層住宅が立ち並んでいるのかよくわからない。
しかし、郊外なら地上を走らせたほうが建設費も安くのに、どうし
てずっと地下を走らせるのだろうと思った。地上に姿をあらわすの
は、国鉄京釜線との乗換え駅であるネ今井のすぐ手前になってから
である。

 ここで降りて水原行きが運転されていることを確認して一安心。
ホームのキヨスクでは日本と同じように飲物、菓子、雑誌などを売
っている。やがてやってきた水原行きに乗車。少し混雑してはいた
が、何とか座ることができた。こちらも家族連れが多い。民俗村へ
行くのだろうか。

 やがて水原に到着。ここから民俗村に向かうのだが、駅前で民俗
村の入場券を売っていて、そこから民俗村に向かうシャトルバスに
無料で乗れるとのことである。

 駅前は広くて、いろいろなところからバスが出ている。少し探し
てみたが、どこで入場券を売っているのかよくわからなかった。そ
れで、観光案内所に入ってみる。案内所の窓口に、「日本人の方は
中におはいり下さい」なんて書いてあるので、中に入って、どこで
入場券を売っているのか尋ねた。丁寧に教えてもらって場所は良く
分かった。ひとりで探していたのでは気づかなかったかもしれない。

 教えてもらった場所には漢字で韓国民俗村と書かれていて、そこ
で入場券を購入。W8500(約850円)。一緒にシャトルバスの無料
チケットも渡される。行きかえりのバスの時刻を鉛筆で書きこんで
くれた。

 シャトルバスという名はついているが、1時間に1本程度の運転
で、あと30分以上待たなければならない。一方、バスを待つ人はた
いへん多くいて、今から並んだのでは座れないのは明白だ。乗れる
だけでも良かったということにしておこう。



****************************************************


ソウル近郊ぶらり旅(17)

【韓国民俗村】

 水原駅前、民俗村入場券売場前のシャトルバス乗り場で待つこと
30分。やってきたシャトルバスは超満員で出発。あと少しというと
ころで、座席にはありつけず、通勤ラッシュ並みのバスに揺られて
行く。もともと暑い上に、乗客の熱気でむんむんしているが、窓が
開くのは幸いだ。数日前まで滞在していたウズベキスタンの窓が開
かない灼熱バスのことを思うとまだましというものだ。

 立っていると景色が見にくいのだが、数分だけ水原の市街地を走
行したあとは、郊外を飛ばして走っていたことはわかった。窓の外
には、農地が広がるが、ところどころで宅地開発が進んでいる。や
がて高速道路と交差。京釜高速であろう。

 約20分で韓国民俗村の駐車場に到着。多くの車が並んでいて、無
料シャトルバスでくる人は、入場者全体の中ではごく一部を占めて
いるだけだろうと思われる。やれやれといった雰囲気だ。シャトル
バスのチケットを運転手に見せてバスを降りる。帰りにもチケット
を使うので、ここでは見せるだけだ。降りた後、まずは帰りのバス
の乗り場を確認しておく。なんのことはない、降りた場所が乗車場
所だ。

 民俗村の入口や入場券売場は、日本の寺の門や建物と似ている。
村の中に入ってみると、韓国古来の家屋を復元したものがあちこち
に建ててある。両班(ヤンパン)と呼ばれる有力者の屋敷もあるし、
一般の農民が住む農家もある。村役場にあたる建物があれば、薬屋
とか鍛冶屋などの建物もある。

 建物が韓国古来の建てかたに忠実に復元されているだけではなく、
建物の中のセットも古来のものをまねて造ってある。農家のなかの
台所にあるかまどや鍋、寝室にあるたんすやふとん、とあらゆるも
のが韓国古来のものになっている。農家の建て方は地方によって微
妙に異なっていて、地方ごとの農家が建てられていた。北部の農家
だとか、南部の農家だとか、済州島の農家だとか。でも、違いはよ
くわからない。木造の平屋建てで、茅葺きになっていて、土間に大
きなかまどがあるという点など似ていることが多い。

 これらの建物は韓国古来のものなのであるが、日本古来のものと
いってもよいのではないかと思われた。日本の古い農家もよく似た
ものであって、日韓の文化の共通性を感じさせられる。日本古来の
民家を復元したテーマパークがあれば、ここの民俗村とよく似たも
のになるのではないだろうか。もっとも、農家の土間にキムチをつ
ける大きな壷が置かれているということは、やはり韓国の農家であ
ることを印象づける。

 個々のいろいろな文化について日韓を比較すると違いが多々みら
れるが、民家の建築ということに関しては、この両国はたいへん類
似している。したがって、ここを訪問する日本人は、日本の古い民
家を見にきたようなものなので、あまり面白くないといった感想を
もつのではないだろうかと思う。

 一部の建物は売店を兼ねていて、食べ物屋では実際に食事をつく
って食べさせている。つまり食堂として機能しているのだ。ここで
冷麺を食べたのだが、やはり観光地価格で高いうえに、味のほうも
見劣りがした。

 居酒屋では酒もだされている。筆とか刃物を造っているところを
見せているそのすぐ近くで筆や刃物の販売も行われている。紙すき
の工房もあって、実演がおこなわれるともに、できた製品はそこで
販売されている。薬屋では、薬草を煮出した飲物を売っている。こ
うした売店の売り子たちは、それぞれの職人の格好をしていて、建
物にとけこんでいる。

 いろいろなイベントも行われている。訪れた時間帯には、ちょう
ど韓国古来の農村における結婚式が行われていた。婚礼の式次第が
古来のやり方に忠実に行われ、そのあと村の中を婚礼の行列が練り
歩くというものであった。このほか伝統的な舞踊や楽器演奏もおこ
なわれるとのことだが、時間が決まっていて、1回目の公演が終わ
った直後だったため見ることはできなかった。



****************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(18)

【水原の城壁】

 民俗村を一通り見たあと、シャトルバスの発車時間にあわせて出
口へ。帰りのバスは席がほぼ埋まる程度。約20分で水原駅前の民俗
村入場券売場前へ戻る。

 このあと、城壁を見に水原の中心部へ向かう。駅から城壁には2
kmくらいあり、市内バスを利用する。ガイドブックに、ほとんどの
バスが八達門(南門)に行く、との記述があり、やってきたバスに
乗る。

 駅前から八達門の近くへ大通りが延びていて、道はわかりやすい
のだが、乗ったバスはいきなりこの大通りは走らず、別の細い道に
入り込んでしまった。たちまちバスがどこを通っているのかわから
なくなってしまう。しばらくしてから、八達門のあたりとは別のと
ころを走っていることを知る。

 バスはどんどん八達門付近から離れて行き、民俗村のほうへ逆戻
りしている。それで、いったんバスを降りる。走ってきた大通りを
横断して、逆方向のバス乗り場から反対方向の市内バスに乗り、八
達門のところで下車。

 八達門のあたりは水原の一番の繁華街になっていて、大規模な商
店街である。行き交う買物客がごったがえす中を歩くと、すぐに八
達門である。この門は大通りのど真中にあって、門そのものの前に
城壁があって要塞のようになっている。ソウルの南大門も大通りの
ど真中にあるが、城壁つきであるという点が違う。

 この門の西側には丘があって、この丘の上を通って城壁が形作ら
れている。最初は、丘へあがって城壁を一周するつもりであったの
だが、暑さのためあきらめる。丘の上からの水原のながめはすばら
しいそうであるが、そこまで上る気力がなかった。

 それで、八達門は別名、南門と呼ばれているのであるが、この門
と対になっている、長安門、別名北門に向かう。1kmほど大通りを
歩くと長安門である。

 こちらの門も大通りのど真中にあるのだが、門の上に上ることが
できるように工夫されている。道路の両側で、城壁がふたつの方向
に延びているのだが、その城壁にいったん上って、そこから門へ渡
る連絡橋がつけられているのだ。

 連絡橋には、水原がワールドカップの開催地のひとつであること
をアピールする横断幕がかかげられている。門の上に上がってみる
と、ワールドカップの試合がおこなわれるであろうスタジアムも見
える。比較的、町の中心に近いところにスタジアムがある。丘にの
ぼって城壁づたいに一周するのはあきらめたが、長安門の上からな
がめるだけでも水原の町を見渡すことができるのだ。

 長安門から東のほうへは城壁の上を歩いて華虹門まで行けるよう
に整備されている。この区間だけでも歩いて見ることにした。城壁
のところどころには砲台や見張り台が設けられていて、その中も見
ることができた。城壁沿いに一周するのができない場合でも、この
区間だけ歩けば、水原城がどのようなものであるかだいたいのこと
はわかる。

 500mほど城壁の上を歩くと、水上楼閣として有名な華虹門である。
あまり水の流れていない川には、石造りの7つのアーチが造られて
いて、その上に華紅門が建てられているのだ。川の上の門はほかで
は、なかなか見ることのできない珍しいものである。門自体は大き
くはない。華紅門の上にもあがることができる。門の上では、たく
さんの人たちが休んでいた。水の流れる上にあるので、多少は涼し
いのであろうか。

 しっかりと華紅門を見たあと、川沿いに歩いて八達門のほうへ戻
る。途中、小さな店が軒を連ねているようなところもあり、ゆっく
りと歩く。八達門の近くまでやってくると、人々の往来が激しくな
り、町の中心部にやってきたことをうかがわせた。



****************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(19)

【サムゲタン】

 昼頃から韓国民俗村と水原城を一通り回ると意外と時間がかかっ
て、もう夕方だ。早くソウルに戻って夕食にしたい。市内バスで水
原駅に戻る。水原は、電鉄区間と呼ばれる区域の南端である。日本
のJRの近郊区間(かつては「国電区間」といっていた)と同じよ
うなものだ。

 水原駅は、電鉄区間の列車、つまりソウル地下鉄1号線に直通す
る列車が発着するホームと、長距離列車が発着するホームが別にあ
って、それらのホームを相互に行き来することはできないようにな
っている。電鉄区間は、国鉄が運営している鉄道ではあるのだが、
運転面においても、営業面においても、国鉄の長距離列車とは完全
に隔離されていて、ソウル地下鉄の一部のような形になっているの
だ。

 日本のJRの通勤電車とほとんど同じような電車でネ今井(クム
ジョン)へ。水原へ来たときもここで乗換えたが、帰りもここで乗
りかえることにした。夕食をソウル一の繁華街である明洞(ミョン
ドン)でとりたいので、明洞の南端に駅がある地下鉄4号線に直通
する電鉄に乗換るためである。4号線には、ソウル駅で乗換ること
もできるのだが、午前中にかなり歩かされているので、同一ホーム
の反対側で乗換が可能なネ今井で乗換えるほうが良いことがわかっ
ていた。

 しばらくして安山(アンサン)からやってきた電車はすいていて
楽々と座れた。すぐに睡魔が襲ってきて、眠りについた。目がさめ
たときには、下車する駅の数駅手前までやってきていた。そして明
洞で下車。

 この日はサムゲタンを食べることに決めていた。入る店も決めて
いた。百済参鶏湯(ペクチェサムゲタン)。前回の訪韓のさいにも
利用したように記憶している。いろいろなガイドブックにも紹介さ
れている店なので場所はすぐにわかった。しかし、どうも様子が違
う。前回来たときは、確か、店内が二階建てになっていて、一階の
店内を通って、二階にあがったのだ。しかし、今回は、店の外の階
段を二階にあがってから店の入口を入る。前回と同じ店なのか、よ
くわからない。ひょっとしたら、前回来たときは、百済参鶏湯では
なく別の店に入っていたのかもしれない。

 サムゲタンとビールを注文。すぐに、ビールとともにキムチがの
った小皿が四皿運ばれてきた。よく見る白菜のキムチ以外に、キュ
ウリのキムチ、ニンニクのキムチ、ダイコンのキムチとさまざまな
キムチが並ぶ。それだけでも食べごたえがありそうな分量である。

 前回の訪韓のさいには、食堂に入って、注文もしていないキムチ
がずらりと並んだのを見て、どうしてだろうとか、食べてもいいの
かなとかと思った。今回は、韓国ではどこへ行っても、何を注文し
ても、キムチが何皿かはついてくるということを知っているので驚
かない。

 各種のキムチをつまみながらビールを飲んでいたら、茎の塊がど
かんと入ったスープが運ばれてきた。サムゲタンは、鶏の内臓を取
り除いた中に、もち米、栗、高麗人参、ニンニクなどを詰めて煮込
んだスープである。味付けは塩味だ。

 サムゲタンのなかでも、黒い鶏のものはオゴルゲタンといって、
値段がサムゲタンの倍近くする。サムゲタンを注文してから、オゴ
ルゲタンにすれば良かったと思ったが後の祭り。次回の訪韓のさい
の楽しみにしておこう。

 大きな鉢には鶏の塊が入っていて、小さな骨を処理しながら食べ
ていると結構時間がかかる。誰が食べても時間がかかるであろうか
ら、サムゲタンの専門店の客の回転はあまりよくないのではないだ
ろうかと思う。

 もともとボリュームがある料理であるうえに、ゆっくりと食べる
ためからか、サムゲタン、キムチ、ビールを残さずたいらげると満
腹となった。これだけ食べて15000ウォン(約1500円)とはたいへ
ん安い。



****************************************************



ソウル近郊ぶらり旅(20)

【アイスピンズ】

 サムゲタンで満腹になったあとは、明洞を歩きまわる。3年前の
訪韓のさいと比べて、屋台とか道端に商品を並べて売るのは規制
が厳しくなったのか、少なくなっている感じがする。韓国一の繁華街
とはいえ、他のアジアの繁華街と似た喧騒があったのだが、そうし
た感じがかなり薄れているようだ。

 また、一般の商店の場合、前回は高級ブランド品を販売する店が
たいへん目についたのだが、そうした商店のなかには閉店して、他
のものを扱う店になっているものもある。数年前のガイドブックの
地図を切りとって持参したのだが、かなり変わっていることがわか
る。高級品を売る店の客の入りも、街を歩く人の数のわりには少な
いように感じる。

 その代りに目だったのが、若者向けにアクセサリーなどを売る店
である。商品の単価は安いが、数でかせごうと思っているのだろう。
街を歩くのも若者が目立つ。客層が経済危機によってかなり変わっ
たのだろうか。

 明洞のメインストリートを往復してみると、さきほどのサムゲタ
ンの消化が進んできたみたいだ。それに、夜といっても、かなり暑
くて、何か冷たい飲物を飲みたくなってきた。飲食店も数え切れな
いくらいあるが、カフェだけを探していくと、結構探すのに苦労す
る。

 ガラス張りで、若者がたくさん入っている明るい店があった。さ
いわい、道路に面したテーブルが開いていることもあって、その店
にはいって見た。メニューは英語つき。それを見ていると、かき氷
と思われるものがあったので、それを注文。

 商品ができあがるまでの間、メニューを丹念に見る。たいていの
商品は、英語の音を、そのまま韓国語にあてはめて、それをハング
ルで表記してある。コーヒーがコピ、コーラがコルラといった具合
である。

 そうした中で、かき氷らしきものは、英語では ice with siroop
and fruit だったのだが、韓国名は「アイスピンズ」で、これが
ハングルで書かれてあった。さて「アイスピンズ」の「アイス」は
英語をそのまま韓国語に取り入れているのだが、「ピンズ」とはど
ういうことか。ちょっと調べてみたら、これも氷という意味だった
のだ。日本語に直訳すると、「氷氷」である。なぜ、氷を意味する
英語と韓国語を重ねて使うのだろう。

 名前を不思議がっていたら間もなく、かき氷ができあがってきた。
見てびっくり、たいへんなボリュームなのだ。容器の大きさや、全
体としてのかき氷の大きさは、日本で普通に見かけるかき氷と大差
ない。

 びっくりしたのは、かき氷の中に、フルーツをはじめ白玉団子、
アイスクリーム、チョコレートなどがたくさん入っているというこ
とだ。中に混じっているものだけをより分ければ、かなりの分量に
なる。かき氷というよりは、チョコレートパフェのような感じだ。
しかし、かき氷の中にいろいろなものが混ぜてあるし、容器はチョ
コレートパフェのような縦に長い容器ではなくて、かき氷用の容器
である。

 たいへんなボリュームがあったので、これを一気に食べるのは難
しい。ところが、ゆっくりと食べていたら、氷が溶けはじめてきて
あわてもした。容器から溶けてきた氷水があふれだしそうだったか
らである。

 それにしても、「アイスピンズ」は食べ応えがあった。それに、
味のほうも申し分なしだ。これだけ賞味できて、いくらかというと
3000ウォン(約300円)。コーヒーやコーラでも2000ウォン程度だ
ったことを思えば、たいへんお買い得である。日本では食べられな
いものだが、あったとして1000円は覚悟しなければならないであろ
う。

 サムゲタンと「アイスピンズ」で膨れた腹を減らしに歩いてホテ
ルまで戻り、この日を終えた。

 

前半1,2日目へ  1999年ソウルのトップへ  後半3,4日目へ