3日目  ソ   ウ  ル  

 

 

  朝食におにぎりを1個食べただけで、8時前に出動。おにぎりだけにしたのは、屋台のトーストを食べるため。

  以下、番号はソウルで回ったところの順番を示す。

(1)清渓川(チョンゲチョン)

  清渓川は、ソウル中心部を流れる川だが、下水の悪臭や洪水のために、1970年代に川が暗渠になった。その後は高架道路が川の上に建設され、清渓川はソウルから消えさってしまった。

  しかし、2002年のソウル市長選挙で清渓川復元を主張するイ・ミョンバク氏が当選。一挙に清渓川復元事業が開始された。

  大都市でいったん暗渠になった川を元に戻す工事は世界でもはじめて。そして、2005年、清渓川が甦った。

  自然の姿にできるだけ近づける工夫がされている。人工的な飛び石が設置され、石伝いに反対側の岸に行けるようにしてある箇所が何箇所かある。

  清渓川は、西から東に流れる。中心部の西には、暗渠になっているところも残されていて、暗渠から、噴水の形で外に出た水が東に流れていく。

  そこの広場は、清渓広場と呼ばれる。

 

(2)圜丘壇(ウォングダン)

  ソウル市庁の前を通りかかると、大きなルミナリエがあった。訪問した、数日後から夜に点灯するようだ。

  そして、市庁前広場に特設のスケートリンクをつくる工事も進んでいた。こちらも数日後から営業開始のようだった。

  この広場から、東のほうを眺めると圜丘壇が見えたので、行ってみることにした。当初は予定していなかったが。

  圜丘壇は、1897年に高宗が大韓帝国皇帝に即位するにあたって、天子が天に対して祭祀を行うためにつくられた。

  右の写真は、その一部である八角堂だ。当初は、円形の祀殿があり、そこで即位式が行われた。しかし、韓国併合後、総督府は、鉄道ホテルを建設するために、祀殿を破壊してしまった。

  鉄道ホテルは、今はウェスティン朝鮮ホテルになっている。

  1996年に初めてソウルを訪問した際、ここも見学しようとしたが、ホテルの中庭のようになっているので、入るのをあきらめた。その後、外部から、見学できるように改められたようで、今回は、ソウル市庁の側から、圜丘壇のエリアに入れた。

  右は、1902年に、高宗の王としての即位から40周年であるのを記念してつくられた石の太鼓。

  

  そのあと、屋台でトーストを買ってほおばった。鉄板で野菜いりの玉子焼きをつくり、食パンも鉄板で焼いて、サンドイッチをつくる。それがトーストだ。だから、トーストとは、焼いた食パンを使ったサンドイッチなのだ。

  玉子焼きだけをはさんだ普通のものなら、1000ウォン(約120円)なのだが、ハムとチーズの入った特製なら1500ウォン(約180円)で、そちらにしてもらった。

  10時すぎに店じまいする。だから、食べたけりゃ、朝に探さねばならないのだが、どこにでもあるわけでじゃないのでちょっと不便だ。

(3)南大門 (ナンデムン)

  南大門(正式には崇礼門)は朝鮮王朝の成立まもなく建てられた。南大門の両側にも城壁があったが、1907年すでに支配を強めていた日本の意向で撤去された。

  ここは以前は、大通りの真中にあり、歩いて渡れなかった。今回、南大門の周辺が公園になり、そばまで行けるようになっていることを知り、行ってみたのだ。ただし、門の真下へは、開門の9時の前だったので行けなかった。

(4)ソウル駅

  ソウル駅の赤レンガの旧駅舎は、1925年につくられたものだ。戦後もずっと使われてきたが、2004年KTX開業にともない新駅舎がつくられ、旧駅舎は使われなくなり、保存されている。

  新駅舎を見るのははじめてだ。一面ガラス張りの現代的なデザインである。中ものぞいてみた。

  「タルトンネ」の「タル」とは「月」、「トンネ」とは「村」で「月の村」という意味。貧困層の人たちが、山の斜面に沿って、びっしり軒を連ねたような住宅をつくったのだが、月に近いということから、「タルトンネ」と呼ばれるようになった。また、「サントンネ」(山の村)と呼ばれることもある 。

  タルトンネは、大都市の周辺のいろいろなところにあったのだが、再開発によりどんどん減っているという。本来、観光とは縁のない場所だが、ドラマの舞台になることもあり、訪問する人も多い 。

  今回は、恵化(ヘファ)で地下鉄を降り、梨花洞(イファドン)のタルトンネを訪れた。このエリアでは、壁や階段のいろんなところに絵が描かれていた。 

  山の斜面にへばりついている家は長屋が多い。路地は複雑に入り組んでいて、道がわからなくなったりもしたが、坂や階段を下っていくと、大きな通りに出られた。

  

 

 

 

 

  上の写真、右の写真ともに右手が石垣になっているが、の上にも長屋が建っている。右手が高い側なのだ。

  左は、坂や階段を上がりきったあたりの 風景。このあたりからは、市街地が一望でき、上がってきた斜面に建っている住宅群もよく見える。 

 

  

 

 

  

  かつての城壁の一部とみられるものを発見できたのも収穫だった。

(6)ソウル大学付属病院

  地下鉄の恵化駅まで戻る。その付近は大学路(テハンノ)と呼ばれるエリアだ。かつてソウル大学があったため、大学路というようだ。

  駅の周辺の道路にはアートが満ちあふれ、この街の特色になっている。

  ソウル大学の医学部と付属病院はいまもこのエリアに残っている。

  右上の建物は、京城帝国大学時代のもののようだ。この建物の向かって左手に、車や人の多い通りがあったので、歩いてみた。

  それは、ソウル大学付属病院の敷地内の道路であった。だが、バスや車も一般道路と同じように通るので、最初は敷地内だとはわからなかった。

  しばらく歩くと、低い丘の頂上になり、そこに病院とその右手に救急センターがあった。

  さらに行くと、京城帝国大学時代からの建物があった。ここは博物館になっているようだが、公開はされていないようだ。

  わずかな時間のうちに救急車を3台見かけた。右下は昌慶宮側の入口。

(7)昌慶宮(チャンギョングン)

  昌慶宮は、1419年、4代世宗が寿康宮として建造したのがはじまり。1483年、9代成宗のときに昌慶宮となった。秀吉の侵攻で焼失したが、その後、再建された。

  左は、正殿の明政殿。

  正殿が東向きというのが、他の王宮と違う。(ほかは南向き)

  左左  儀式のときに品等別に並ぶための石柱か

  左右  明政殿に上がる階段の彫り物

  左   通明殿

  下左  日時計

  下右  植物園  1909年にできた木造の温室  行ったときは入れなかった

(8)宗廟(チョンミョ)

  昌慶宮と宗廟は内部でつながっていて、入場券も共通。ただ、現地ではそのような表示がなく、ガイドブックを見ないとわからないのは不便だ。

  宗廟は、朝鮮王朝の歴代国王と王妃の位牌を祀っているところ。

  左  永寧殿   16室に太祖の4代祖の穆祖から桓祖など主に死後称号を贈られた国王と王妃が祀られている。

  右  正殿   19室に太祖から純宗まで19代の国王と王妃が祀られている。

  この建物は横に長く、韓国では一番横長の木造建築だという。

  そして、鍾路側にある正門から外にでたあと、バスで東大門に向かった。

  大統領選挙の運動期間だったのだが、

日本では3人だけが報道されているので、ずっと候補者は3人と思っていた。

  ポスターがまとめて貼っているのを見て、候補者は12人であることを知った。
日本で報道されているのは、1,2,12番の候補だ。

 

 

(9)東大門 (トンデムン)

  南大門が、中に入れるようになっていたので、東大門も中に入れるのでは、と期待して向かったが、こちらは、以前と同じく道路の真中にあって、近づけなかった。

  この門の正式名は、興仁之門。門の外側に壁があるのが特徴だ。

  東大門のそばの食堂で昼食。

  センソンクイ(焼き魚)にした。センソンクイというと、★◎*◇、、何か聞かれて、戸惑った。 きっと、魚の種類を言っていたのだろう。

  出てきたのは、あじの開きの焼物。まま、美味しかった。

  東大門のそばには、かつて郊外電車の出発駅があったようで、その記念碑があった。

  東大門市場をちょっとのぞき、東大門の旧サッカー場や球場のそばを通って、地下鉄の東大門運動場駅へ。

  東大門運動場駅から地下鉄5号線で、金浦空港へ。

  そして、空港鉄道に乗り換えて、仁川空港に向かった。

  時間さえあえば、エクスプレスに乗りたかったが、1時間に1本のため、時間があわず、帰りもコミューターに乗車。

  車内では、仁川空港からの出発便の案内をしていたのはよかった。

  仁川空港から関西空港行きの日航機で帰国。機内食はボックスランチ。定刻に関空に到着し、この旅も無事おしまい。

 

 

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