1日目     

 

  はじめての韓国旅行。このときは、金浦空港がソウルの玄関口だった。

  この旅行は、1996年8月だったが、3月に金浦空港からカチ山までの地下鉄5号線が開業し、カチ山で2号線の支線、新道林(シントリム)で1号線に乗り換えれば、都心へ向かえるようになっていた。そのコースを利用。

  さらに同年末に、5号線が全通、金浦空港から都心へ1本で直行できるようになった。

  1号線を鐘閣(チョンガク)で下車。予約していたYMCAホテルへ。このとき、はじめてネットでホテルを予約した。もっとも、メールを使ってだが、、こんなことができるんだ、と感動したものだ。

  安いのが取柄のホテルだが、かなりくたびれており、残念だった。

  ホテルに荷物を置いて、まず行ったのは、光化門と解体中の朝鮮総督府。

  上 正面から(解体中の朝鮮総督府を覆っている)

  左 背後から(まだ建物が残っている)

  朝鮮総督府は1995年に当時の金泳三大統領が解体を決定、1996年の旅行時には解体中であった。

  

  左 景福宮内から見た朝鮮総督府

  その後、解体された後は、景福宮からは光化門そしてソウル市街が見えるようになった。

  なお、解体後、ドームの上にあった尖塔だけは、天安の独立記念館に設置されている。

  

  朝鮮総督府は、戦後、韓国政府庁舎として使われた後、1983年から1995年まで中央博物館として利用された。

  訪問時、中央博物館は景福宮内の南西部分に新設の建物に移転されることになっていたが、ちょうど、移転される前で、中央博物館は見学できなかった。

  右  民俗博物館  代わりに景福宮北西部にある民俗博物館へ行った。

  景福宮を見て回った。

  右  勤政殿

  景福宮の正殿であり、国王の即位式はじめ式典が行われた。現存する韓国の木造建築物の中では一番大きいものである。

  景福宮は、李正桂が朝鮮王朝を興し、1394年ソウルを都とした際に、正殿として建設し、1592年に壬辰倭乱(豊臣秀吉の侵攻)で焼失するまで使われた。

  その後、放置されたままであったが、1865年、大院君(国王高宗の父)が、失墜する一方の王朝権力を誇示するために、再建した。

 

  右  香遠亭

  池の中の小島にある。王が仕事の合間に休息したという。

  左  明成皇后殉難碑 (閔妃殺害事件のレリーフ)

  1895年、当時の皇后が日本人らによって殺害された事件がある。当時の朝鮮では、大院君ら親日本派と閔妃ら親清派が対立していた。

  日清戦争後の三国干渉のあと、朝鮮では閔妃ら親清派が政権を奪ったが、日本は親日本派とともに、それを倒すために、閔妃の殺害をおこなったとされる。

   この日の見学はこれだけ。このあと、明洞(ミュンドン)に夕食に出かけたが、残念ながら何を食べたかの記録がないが、韓国最初の食事は、参鶏湯(サムゲタン)だったような。

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