(4)キュレーネ遺跡とアポロニア遺跡
紀元前7世紀、サントリーニ島ティーラの市民は飢饉に苦しみ、デルフィで神託を受けると、 200人がリビア東部海岸をめざした。リビアの地はニンフ キュレーネ(シレーン)のゆかりの 地であったことから、ギリシャ人はこの地をキュレーネと呼んだ。そののち、アレキサンダー 大王の征服、プトレマイオス朝の支配をへてローマ領となった。 |
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道端のはちみつ売り | |
羊市場 | |
キュレーネ遺跡 フォーラムの入り口にあたる神殿 |
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フォーラム | |
ローマ劇場 | |
石像の頭部が切られているのはイスラム 教の時代になってからで、偶像崇拝禁止 の影響 |
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アゴラ | |
キュレーネ遺跡は上と下の2つに わかれている 上と下を結ぶ道は聖なる道と呼ばれる |
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穀物倉庫 | |
洞窟のなかにあるギリシャ風呂 | |
下の遺跡 | |
少し離れたところにある神殿 | |
アポロニア遺跡はキュレーネの港町のあと ギリシア時代からローマ時代をへて、 ビザンチン時代の遺構が 中心である |
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貯水槽のあと | |
かつて沖の岩場のあたりに灯台 があったという |