4日目 イムディーナと日本海軍慰霊碑
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この日の午前中はラバトとイムディーナに行ってみる。2つの街は城壁内がイムディーナ、外がラバトで実質はひとつだ。 この日は宿の朝食をパスして早い目に、前日に買っておいたエンパナーダとチーズケーキを食べた。どちらも買ったときはいい香りもしていたのだが、さめてしまっては美味しくない。ちょっと失敗した。 |
それでも、宿を8時前に出て、ラバト行きの202系統を待った。9時前にはラバトに到着した。 ラバトのバス停の位置がガイドブックに書いてあったのと違っていて、ラバトの街では最初はどこを歩いているのか皆目、見当がつかなかった。 それにしても人をほとんどみない静かな街であった。やがて聖パウロ教会の前に出て、やっと自分の位置がわかった。視界に急に開けた聖パウロ教会も、はじめは何と言う教会かわからなかった。 |
教会は9時から入れるのだが、まだ入場できなかったので、先に聖パウロの地下墓地に向かった。カタコンベだ。 教会からわずかの距離だったが、道に迷ってしまったが、ちょうど9時に着いて、この日最初の入場者となった。 ここの地下墓地はマルタで最大の規模だという。見学できるのはごく一部なのだが、それでも思っていたよりも広く、一人で歩くのは不気味であった。 |
階段で地下に降りたところの部屋が一番重要で、画像の左下のテーブルを使って、埋葬の前に、親族が最後の別れの食事をしたのではないかといわれている。このテーブルの周囲には溝があるのだが、これが何のためのものなのかは謎だという。 ここから奥に入ると、死者が埋葬されていた部屋が延々とつづいている。 |
このあと、聖アガサの礼拝堂と地下墓地に行った。先の聖パウロの地下墓地から標識にしたがっていけば簡単に行けた。 でも何かひっそりしすぎだと思ったら、閉鎖されていて、この日は休みだった。ガイドブックをあけると確かにこの日は休み。事前によくよんでおけばよかった。マルタにはもう来ないかもしれないが、やむを得ない。 |
次に先ほど前を通った聖パウロ教会へ。大きな教会なのだが、この教会の見ものは地下の洞窟。 聖堂の右手にある部屋(教会正面の向かって右側の入口を入ったところ)から地下に下りることができるようになっている。 |
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地下に下りると、ガイドが別の観光客に説明をしていて、その人たちと一緒に行動した。 聖パウロはエルサレムで捕らえられ、ローマに送られたが、途中で船が難破し、マルタにたどりつき、この洞窟で3ヶ月ほど布教をおこなったという。 パウロの像の足元には、20世紀はじめにマルタを訪問した法王パウロ2世がここを訪れた記念の碑がある。また左手には、画像にうつっていないが、パウロが乗っていた船の模型があった。 |
ラバトからイムディーナに移動。イムデーナは城壁と濠に取り囲まれている。メインゲートから中に入った。 ヴァレッタが首都になる前はここが首都であった。その当時はマルタ騎士団もここを本拠にしていたという。 下左 メインゲートのところの濠。 下右 ヴィヘーナ邸。入ろうと思ったのだが、自然科学博物館になっているので、あまり興味がないなと思い、入場を取りやめた。 |
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街中はかつての首都だけあって、優美さと落ち着きのあるものだったが、生活感が全然感じられない見世物の街でもあった。 下左 聖パウロ大聖堂。イムディーナの中心にある教会。マルタ騎士団の本拠地でのあった。行ったときは閉ざされていて、中に入ることはできなかった。隣にある大聖堂付属の博物館も入れなかった。 下右 ファルツォン邸。イムディーナで一番保存状態がよいという建物。入場できるようだったので入場した。 |
ファルツォン邸の中。内部は中世の調度品が並べられた博物館になっていた。 このあと、堡塁広場へ。城壁の上にある広場だ。 広場からは眺めがとてもよい。平野の中には、赤いドームの教会があるモスタなどの街があった。
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ヴァレッタに戻るためバス停へ。帰りは行きとは別のコースをたどった。イムディーナの外へはギリシャ門から出た。この門の位置は城壁の内側の濠の底のところにある。もっとも濠には水がないのだが。 52系統のバスでヴァレッタに向かった。1時間弱でヴァレッタに到着。このあとカルカーラにある日本海軍慰霊碑に向かうのだが、その前に昼食をとる。 |
食事場所を探して歩いていたら、結局、図書館の前までやってきた。感じのいい屋外レストランがあったので、入ってみた。 |
午後からの予定があり、食事に時間をとられたくないこともあり、シーフードパスタにした。 メニューにパスタとあったので、スパゲティかマカロニだろうと思っていたら、ラザーニアだった。これをいただくのはずいぶん久しぶりでよかった。 |
昼食後はバスターミナルに戻り、3系統のバスでカラカーラにある日本海軍慰霊碑に向かった。わかりにくいところにあるが、前日に下調べしてあったので、すぐに行けた。 バス停のすぐ前に入口がある。入口が閉まっているのかと一瞬ドキッとしたが、少し開いていてすきまから中に入れた。
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入口の左側にあった標識。Commonwealth War Graves とあり英連邦戦争墓地だとわかる。中に入ると、英国以外の英連邦諸国であるオーストラリア、ニュージーランド、インド(現在は英連邦でない)、マルタなどの兵士の墓もあった。第1次、第2次世界大戦の戦死者の墓地であった。 |
入口を入ってすぐ左手に事務所があり、事務所は閉まっていたが、その壁に日本海軍の墓地の標識もあった。 そこには、第1次大戦時のドイツ、第2次大戦時のイタリア、フランス、ポーランドの兵士のマルタでの戦死者の墓の標識もあった。 日本海軍の戦没者の大半はドイツ軍の日本軍艦への攻撃による戦死者なので、敵味方を問わず弔っているようだ。 |
奥行きが300mほどの墓地で見渡す限り、墓がならんでいる。いろいろな形の墓石があるものだと思いながら歩いた。 日本海軍の慰霊碑は墓地の一番奥にあって、墓が並ぶ中をどんどん突き進んでいく。
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一番奥にほかの墓よりも格段に大きな墓があった。遠くから見えて、あれに違いないとすぐにわかった。 墓には「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」と彫られていた。墓の下のほうには英語で同じようなことが書かれていた。 それにしても、第1次世界大戦のときにマルタに日本海軍がやってきていたというのは驚きだ。いまでもマルタに行くのは遠いと思うのだが、100年も前に船で行ったのは大変だったことだろう。そして、この地でなくなった方は無念だったに違いない。 墓の周囲はきれいに手入れがなされていてよかった。また、墓のまわりにはオリーブの木があって、日差しを和らげている。 |
再び来た道を引き返して、入口を出て、すぐ前にあるバス停へ。 平日と土曜は30分に1本のバスがあるのだが、この日は日曜日で60分に1本のバスだった。墓地には30分滞在したので、普通の日なら、少し急げばちょっどいいいくらいだったが、日曜日は時間があまりすぎる。 次のバスまで30分まつのもなんなので、少し歩いて、先のバス停からバスに乗ることにした。
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歩きながらもバス停があるたびにバスの時刻を確認していた。 20分ほど歩いて眺めのよいところに出た。それで写真をとっていたら、ガァ〜ン。バスが横を通り過ぎていくではないか。 1分も歩けばバス停があったので、時刻を見ると、何と10分ほど早発だった。前日に続いて、二日連続の10分早発。どうやらマルタのバスは遅れるだけじゃなく、早発に注意しないとならないようだ。時刻表はあてにせず、来たのに乗るって感じでいるのがよいようだ。 |
このバス停で待っていても次のバスは60分後。さらに15分ほど歩いて、ヴィットリオーザの入口までやってきた。ヴィットリオーザは別の日に見にくるつもりだ。 ここからは2系統のバスも利用できる。ちょうど2系統のバスがやってきたので、これに乗車した。 |
2系統のバスに乗ってから、このままヴァレッタのバスターミナルに戻らず、途中のバス停で乗り換えれば、タルシーン神殿の最終入場時間の16時30分に間に合うかも、と思い始めた。ただ、最寄のバス停を間違わずに下り、その後も遺跡へ迷わずにいけたとしたら、という条件でである。 迷うかもと思いながら、バスを乗り換えてタルシーン神殿に行ってみることにした。ところが、バスを乗り換えるバス停でまずつまづいてしまった。乗り換えに適していると思っていたバス停の付近が一方通行になっていて、結局5分ほど歩いてバス停間を移動しなければならなった。 ここからは81系統のバスに乗ったのだが、こんなときに限ってなかなかバスがこなかった。何台か違う系統のバスを見送った後、やっとやってきた。 |
ガイドブックに書いてある通り、タルシーンの街にある大きな教会の前の停留所で下車。そのあと歩いていった。 なかなか遺跡らしいものは見えず、すでに16時25分くらいになって、もうダメかと思っていたら、意外にも市街地の中に遺跡があり、入口になっている建物が現れた。ぎりぎりセーフで入場することができた。 |
前日に見たハジャー・イム神殿やイムナイドラ神殿と似ているが、保存状態がよい。 長らく住宅地の地下にうまっていたからのようだ。 日本語で説明した解説の紙をラミネート加工したものを貸してくれたので、前日に見た遺跡よりもよくわかった。 |
タルシーン神殿の近くにはマルタ滞在の最終日に行くハル・サフリエニ・ハイポジウム神殿もあり、ここは時間指定して買った入場券の時刻に間に合うように行かねばならない。それで、そこにも行っておこうと思ったのだが、もう17時もまわり、また、翌々日にはアールダラム洞窟に行くのだが、そのときにまたこの方面にやってくるので、この日はヴァレッタ乗継で18時過ぎに宿に帰った。 少し休んで夕食に外出。この日は、道路に面したテーブルもでているレストランに。でも、暑いので屋内の冷房の入ったところに着席。 |
ビールを飲み、パンを食べながら、料理をどするか考えていた。 |
注文したのは、ポリポ・アラ・シチリアーナ。タコのトマト煮だ。 イカ、オリーブ、たまねぎなども入っているが、これだけたくさんタコを食べるとは思っていなかった。 トマト味でタコを食べるのは初めてのような気がする。タコはあまり好まない国が多いが、南欧ではよくみかける。マルタも同様でメニューを見るとオクトパスが書かれている。 付けあわせに、ポテトと温野菜があったのだが、大きな皿にたくさん載せられてやってきたのには驚き。 この日は前菜もデザートも頼まなかった。メインだけでボリュームがとても多くあった。 お腹いっぱいになり宿に戻った。
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