マ ラ ケ シ ュ

 

 

 定刻より10分ほど遅れて8時40分ごろマラケシュ着。

 マラケシュは赤あるいはレンガ色の街だといわれるが、駅舎も赤というかレンガ色というか、砂漠を連想させるような色になっている。

 ところで、この駅舎、仮の駅舎なのだ。しかし、到着時には、仮駅舎だとはわからず、駅の周辺の道路の状況が、ガイドブックの地図とは異なっていて、一体どうして?と思いながら、不安なまま、ホテルに向かった。

 人の流れに沿って少し歩くと、新駅舎の工事中であった。もともと、この場所に旧駅舎があったわけだ。

 これで、ようやく、駅と道路の位置関係を把握できた。

 

 新駅舎は、ショッピングモールを備えた斬新なものになるようだ。
 

 ホテルハスナで宿泊。 

 ホテルに荷物を置き、朝食代わりに、菓子を少し食べただけで、すぐに出発。

 翌日、エッサウィラに日帰り遠征の予定であったので、時刻を調べておこうと、まずはバスターミナルに向かった。
 

 その途中に見た城壁。南国らしい城壁だ。

 マラケシュの市内バスは、レンガ色のボディ。徹底しているようだ。

 バスターミナル。大きな広場に面していた。エッサウィラ行きは1時間毎にある。
 

 バス時刻を確かめたあと、ドゥカラ門から、城壁の中に入る。門を入ると、下町風の商店街があった。肉屋。

 スパイス屋。
 

 こちらは、アルミ製の調理器具とタジン鍋を売っている店。

 こちらは、魚屋。何やら、長い魚が吊られている。うなぎにしては、少々太いが、、
 
 まだ歩き始めてわずかだというのに、さっそく道がわからなくなった。で、いったん門の外に出た。右は、ラリサ門。
 
 城壁内の大通りを歩いて、クトゥビアへ。もの街で一番目立つミナレットだ。12世紀にできたモスクの塔だが、モスクそのものは今はなく、塔だけが残っている。

 下  いよいよ、やってきた。ジャマ・エル・フナ広場、略してフナ広場。とても広い広場だ。夜になると屋台街が広場の中にできるというが、昼間は500m四方の空間になっている。

 有名な水売りのおじさんを撮影。モデル料は10DH(約142円)。  

 さらに、昼間から屋台がでているオレンジジュースを3DH(約42円)で飲んで、ジュース屋を撮影。

 

  フナ広場を見たあとは、スークに入っていく。フナ広場の奥のほうにスークの入口がある。

  しばらく中へ進むと、日よけのついた通りになった。

  住民向けの衣類や日用品の店が中心だが、観光客向けの土産物屋もまじっている。

  案の定、カーペット屋などからは、しきりに声をかけられた。

 道はわかりにくいが、フェズに比べると歩きやすい。フェズよりも道幅が広いし、フェズのような起伏がないからだろう。

 やがて、染色職人のスークにやってきた。民族楽器の店も同じところにある。

 ここにやってきたのは、この近くに、ムアサンの泉があるから。でも、なかなかわからなかった。とても地味な泉だったからだ。

 銀細工の店にて。細かい装飾が施されているが、これらは、釘のようなものを金槌で打ちつける作業によって、つくられた手作りの製品だ。

 スークから少し離れると、人のほとんど通らない居住エリアがある。ここで、スークに中々戻れず、迷子になったのだ。
 
 ようやく、ムアサンの泉を発見。何だ、この前を何回かうろうろしながら通ったのだが、、

 それにしても、これが、そんなにすばらしい泉なのだろうか?

 次に、マラケシュ博物館へ。ここは、近くのベン・ユーセフ・マドラサ、クッバ・バアディンと共通の入場券になっていた。
 

 マラケシュ博物館の内部。

 画像は、博物館の中心にある中庭(パティオ)。ただし、現在では、屋根がつけられている。

 この博物館では、モロッコの美術品を展示しているが、展示物そのものは関心が薄く、もっぱら、建物を見ていた。

 かつての宮殿を利用しているので、装飾が豪華なのだ。

  こちらは、ベン・ユーセフ・マドラサ。16世紀の神学校。50年ほど前まで使われていた。

 

 

 中庭(パティオ)に面した壁には、細かい装飾が施されていて美しい。

 

 クッバ・バアディン。12世紀に建てられた水利施設。

 面白いのは、窓の形。どことなく、トランプのスペードやクローバに似ている。

 ベン・ユーセフ・モスク。ミナレットの見える位置がなかなか見つからず、ぐるっと一周。ようやく、ミナレットが見えた。内部は入れない。
 

 すでに13時を回り、かなり空腹になっていたので、昼食。メディナの中をレストランを捜し求めて歩いていて、見つけたのが、デアド・デ・ティムタム。

 外側は周囲の建物と変わらないレンガ色をしており、看板も見落としそうなくらいだ。

 食事は、パティオでおこなう。パティオの周囲の壁の装飾も手が込んでいる。建物の中が見られるだけでも、ここで食事する価値がある。

 ビーフのタジンを注文したが、280DH(約3976円)。これは、モロッコ旅行の全食事中、一番高かった食事だ。

 でも、それだけのことはあった。まず、付け出しや前菜の質と量はほかのレストランを圧倒している。

 付け出しと前菜はあわせて10種類あり、しかも、それなりのボリューム。もちろん、全部食べるわけにはいかなかったが、全部食べたくなるような味付けだ。

 タジンが運ばれてきた。今回、はじめて、タジン鍋の蓋をしたままの状態を撮影できた。

 たいていのレストランでは、蓋をとって運ばれてくるのだ。モロッコに到着した日に、この国最初の料理として食べたタジンも蓋つきで運ばれてきたのだが、そのときは、どこでも蓋つきで運ぶのかなと思った。

 だが、蓋つきで運ぶレストランには出会わず、久々に蓋つきで運ばれたので、蓋をとるを待ってもらって、撮影した次第だ。

 デザートも、ヨーグルト風のもの、コロッケ風のもの。

 
 そしてフルーツと盛りだくさん。このあと、ミントティーを飲んで、ようやく食事終わり。レストランを出たのは14時30分。
 

 このあと、メディナを出て、史跡地区のほうに向かう。

 満腹になっているので、腹ごなしが必要で、歩き回るのはちょうどいい。

 スークからフナ広場に出たあたりに、じゅうたん屋が集まっている一帯があった。

 これだけ、じゅうたんがまとめて並べられているのを見るのは、トルコのイスタンブルで見て以来久しぶりだ。

 最初に行ったのは、16世紀のアル・パディ宮殿。宮殿といっても、現在はその遺構が残るだけである。

 宮殿内の見晴らしのよいところから見た市街地。どの建物も古そうな反面、パラボラアンテナがついているのが印象に残った。

 

 次に、バイア宮殿へ。きれいに磨かれた建物だと思っていたら、ガイドブックに国王が利用することがあると書いてある。なるほどだ。

ダル・シ・サイド。こちらは19世紀の建物で、工芸博物館になっている。印象は薄い。
 

 

 左は、アグノウ門。馬蹄形の装飾のきれいな門である。ここを通って、この日最後の訪問箇所であるサアード朝の墳墓群に向かった。

 右は、アル・マンスール・モスク。サアード朝の墳墓群の入口にあるモスク。

 モロッコのミナレットは四角いがどうしてだろう。今までは、ミナレットというと、丸くて高いものをよく見てきたので、何か気になるのだ。

 

 入場料を払って、サアード朝の墳墓群の敷地内に入るとびっくり。何と行列ができていた。並ぶこと20分だった。

 中央の墓が、16世紀のサアード朝のアフメド・アル・マンスールの墓。
 

 伝統工芸館へ。職人が直接に店を出している買い物の場だが、仕事を見学することもできる。ここで土産物を少々購入。

 夕食は、フナ広場の屋台食にする。広場には、屋台群が広がっていた。
 

 にぎわっている屋台を選んで座る。この日は、魚のフライを食べることにした。

 

 

 魚フライのセット、サラダなどを注文。エビやイカが含まれていると、値段がかなり上がるようだ。
 

   しめて、85DH(約1207円)。安上がりにするため屋台食にしたが、結構な値段になった。イワシのフライなどだけなら安いようなので、次の日はもう少し安くあげることにしよう。

 この日は、マラケシュを1日めぐりまわったような1日だった。一応、マラケシュを一通り見て回ることができたようだ。

 歩いてホテルに戻り、翌朝に備えて準備などをして、この日は終了。

 

 

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