2日目 ヤ ン ゴ ン 街 歩 き

 

 

ヤンゴン中央駅
 11年前に泊まったとき、朝食が美味しく、サービスもよかったことをよく覚えていた。今回も期待してレストランに向った。4泊するので、2回目と3回目の朝食はミャンマースタイルの麺を頼んである。1回目と4回目は普通の洋食だ。

 卵料理は選択制でスクランブルエッグを注文。運ばれてきたのを見て、ボリュームの多さにびっくり。2人分ずつ盛ってあるのを、1人客の場合も供しているのかもしれない。卵だけはちょっと量が少なめだし。
 
 
 上左  「ビューティーランド2」の前の路地。大通りに面したところは建築ラッシュで、写真左上には建築中の、右上にはすでに出来上がったビルが写っている。大通り沿いではいたるところで建築工事をおこなっていて、ミャンマーの最大の産業は建築業じゃないかと思えるくらいだ。いまは大通り沿いで工事がさかんだが、いずれはここのような路地でも始まるのだろうな。

 上右  お坊さんの列が通り過ぎた。托鉢かと思ったが、お坊さんは食べ物を入れる器じゃなく、太鼓を持ち、鳴らしながら歩いている。

 左  大通りにある気温表示を見ると34℃。
 滞在中、日中は毎日34℃程度。夜は29℃程度の日が続いた。暑いことは暑いが40度近い猛暑ではなかったので、何とか徒歩主体の街歩きができそうだ。
 
 まずは、ヤンゴン中央駅の指定券売場へ。ヤンゴン中央駅のホームの端くらいの位置にあるが、駅の構内を通っての移動はできず、駅から300mほど離れたところにある。

 閑散としていているが、少しだけ客が切符を買っている。表示はほとんどすべてミャンマー文字だけなので、外国人観光客が指定券を買うのは難しそうだ。例外的に、日に2、3本ある急行だけ、駅名が英語、時刻がアラビア数字のもの案内があったくらいだ。
 
 時刻表。時刻、列車種別、行先が書いてあるのだろうか。ミャンマー文字だけで、時刻もミャンマー数字なのでまったくお手上げだ。

 下左  翌日はヤンゴン環状線に乗るので、駅構内に入り、ホームや切符売場を確かめておいた。出発時刻はミャンマー数字での表示なので、尋ねておいた。ホームには環状線の列車が止まっていて、もとJRの車体だった。

 下右  方向幕は「松阪―鳥羽」のままになっていて、かつてJR東海で「快速みえ」に使われていた車両だと判明。
 
 
 
 上左  いったん駅の構外に出て、公道を通って、中央駅の駅舎へ。とても広いロビーがあるが、人はわずかだ。中央が切符売場。

 上右  体重測り屋。以前は途上国でよく見かけたが、久しぶりに見た。

 左  改札口。駅員は座って改札し、机が置かれている。左手に2人座っているのは警官だろうか。上部の看板にはミャンマーと日本の国旗が描かれている。日本の援助で、通信インフラの整備が行われたということだろうか。
 
 駅舎を出て、広場を突き抜けて、大通りの反対側まで行ってようやく駅舎の全体がカメラに入る。利用者数や長距離列車の本数の割に巨大な規模の駅舎だと言える。

 11年前には中央駅の駅舎も軍事施設扱いで撮影禁止だったので、この駅には行かなかった。こういった点でも自由になったものだ。
ムガル帝国最後の皇帝の墓とシュエダゴンパゴダ
 
 上左  ヤンゴン中央駅からタクシーで向かったのは、ムガル帝国最後の皇帝であるバハドゥール・シャー・ザファルの墓。距離は2kmほどで歩けなくもなかったが、暑いのでタクシーにした。 1500チャット(約135円)で、10分ほどで到着。

 上右  ちょうどイスラム教徒らしい女性が何人か中からでてきた。モスクのような建物だ。

 左  内部もモスクを想起させる。中央にある白い部分からは地下をのぞくようになっている。
 
 地下の部分にあるのが、バハドゥール・シャー・ザファルの墓。

 16世紀、ムガル帝国は、インドへ西方から侵攻したバーブルによって建国されたイスラム国家。17世紀のアウランゼーブ帝時代が最盛期でインド全域を支配した。その父シャー・ジャハンがタージマハルを建設した。しかし、その後はし衰退に向った。18世紀にはイギリスの侵攻で、権力をイギリスに奪われ、名目的な国家になっていった。1875年に反英反乱であるインド大反乱が起こり、ムガル皇帝バハドゥール・シャー・ザファルを頭にたてた。しかし翌年鎮圧されると、皇帝も捕えられたあとミャンマーに送られ、ムガル帝国も滅亡した。最後のムガル皇帝の墓がヤンゴンにあるのは、こういった歴史的事情があるからだ。
 
  ほかの部屋も見て歩いたが、子などの墓が置かれた部屋のほか、現役のモスクとして使われている部屋もあった。現役のモスクは観光用のものなどをのぞくと入場できないことが多いので、入れたのはよかった。
 
 続いて、シュエダゴンパゴダに1km歩いて向った。緩い坂道になっていて、暑い中歩くのはなかなかつらい。

  シュエは「金」。ダゴンはヤンゴンの古名だ。パゴダは「仏塔」の意味で、「寺」ではない。「寺」の中に「パゴダ」があるわけだが、ミャンマーの場合は、慣例的に寺のことを「〇〇〇パゴダ」ということが多いようだ。なお、ガイドブックでは「パゴダ」のことを「パヤー」と書いてあることもあるが、「パゴダ」と同じ意味で、現地発音に近い書き方にしてあるのだろう。

 入口は東西南北に4ヶ所あるが、南側の入口に到着。11年ぶりの訪問だ。シュエダゴンパゴダは、ヤンゴン最大の寺で、地元民にとっては信仰の中心、観光客にとっては最大の観光地といえる。11年前は夕暮れ時にやってきたのだが、今回は真昼の訪問。

 
 入場するとすぐに受付のようなところがあり、履物を預けるように求められた。500チャット。しかし入場料は何も言われなかった。11年前はここで入場料を払ったのだが、入場料は不要になったのだろうか。

 そのあと、長い参道を歩く。とても長く、500mくらいあるが、屋根つきなので、暑くなくてよい。両側には、お供えなどを販売する店が続き、退屈せずに歩ける。エレベータもあるとのことだが、あとで東側を歩いてわかったのだが、エレベータは東側の入口に設置されているのだった。
 
 
 
  パゴダが林立する丘の上に到着。中央に巨大なパゴダがそびえたっている。高さ40m、周囲400mくらいある。表面の金色は、金箔ではなく、金の板でつくられている。その周囲には無数の大小さまざまなパゴダがたっている。










 
 中央のケースに収められた仏像を拝む人々。写真右上のモニターには、その仏像が映しだされているのだろうか。何か言われのある仏像だろうが、詳細は不明。
 
 
 上左  木陰に置かれた仏像もあり、休憩所のようになっていた。

 上右  水飲み場。飲料水のタンクも置かれていて、自由に飲むことができる。

 左  やさしい顔つきの寝仏。安置された間は床張りで、ここも休憩所のようだ。

  境内は裸足なので、地面が熱せられていて、慣れないとつらい。ところどころで水がまかれているが、それはそれで滑りやすい。トイレも裸足で入らねばならないのもつらかった。
 
 
 上左  曜日ごとの仏像に水をかける人々。曜日は、水曜日が午前と午後にわかれていて、八曜日と呼ばれている。中心にある黄金のパゴダの回りの8つの方角に仏像が置かれ、 仏像の下には、その曜日の動物の像もある。

 上右  境内の一角に、インドじゃないのかと思うようなパゴダもあった。

 左  釣鐘。確か以前は鐘をついたような記憶があるのだが、今は突き棒がはずされ、鐘のまわりは立ち入れないように柵が設けられていた。
 ふくろう型の飲料水の甕。
 
 
兄のパゴダ。メインのパゴダを小さくしたような黄金のパゴダ。境内の北東の隅に建っている。

 シュエダゴンパゴダでは2時間くらい滞在して、あちこち見て廻った。前回は夕暮れ時で見えにくかったところも見て廻れた。
市街地北部ぶらぶら歩き
 シュエダゴンパゴダは南側の出入口から外に出た。そのあと、シュエダゴンパゴダの東側の麓に沿って歩いた。シュエダゴンパゴダには4つの出入口があるが、東側の出入口を利用するとエレベーターが使えることも判明した。

 さらに歩くと北側の出入口がある。さらに歩くと、シュエダゴンパゴダの北側には、アウンサン廟がある。11年前は閉鎖されていたのだが、近年、開放されているということで玄関まで行ったのだが、週末だけの開放のようで、門は閉じられていた。翌々日にもう一度行ってみよう。

  柵の外から内部を見ると、きれいに整備されているようだ。この日は入場をあきらめ、先を急ぐことにした。
 
 昼食は「アウン・トゥカ」へ。アウンサン廟からさらに10分ほど歩いたところだ。典型的なミャンマー料理の食堂である。

 下左  本来の店の中が満席で、建物の外側に仮設の屋根をつけたような場所の席に着席。横はすぐに道路があり、風通しがよい。

 下右  注文はいったん席をたって、調理場の前のショーウィンドウまで行って、食べたい料理を指差しして選んだ。
 
 
 選んだ料理が全部運ばれてきて、皿が並べられるくるとかなり壮観になる。

 ミャンマー料理というと脂の多い、濃厚な味付けのものが多い印象がある。なるべくそういったものを避けて注文を行った。

 下左  竹の子を細く刻んだものを茹でて、薄く味つけしたもの。

 下右  牛肉のカレー。選んだ中ではこれだけが脂ギトギト系だった。
 
 
 
 上左  かぼちゃを煮たもの。日本の惣菜でかぼちゃを煮たものがあるが、ほとんど同じような味付けだ。日本を思い出させるような料理だった。

 上右  これは注文したものではなく、テーブルごとにセットされる付け合わせ。緑のものは、「ラペッ」といい、茶の葉を煮たもの。それに、ピーナッツ。

 左  スープもご飯と一緒で、注文しなくても出される。青菜がいっぱい入ったあっさり味のスープだ。

 下左  これも注文しなくても出される野菜の盛り合せ。生のものと茹でたものが混じっている。

 下右  ビールも注文。ミャンマービールの大瓶の一択だ。これだけ食べて、10000チャット(訪問時には約900円)で少しおつりがくる。
 
 
 
  上左  ウ・タントの家へと向った。迷いながらも、昼食のあと1時間ほど歩き続けて到着した。

 上右  ところが、閉まっているようだ。この日は木曜日だ。開いている日は多くなく、金から日の10時から5時。翌々日、もう一度やってこよう。

 左  閉まってはいたが、建物の外側を見ることはできた。ウ・タントは、1962年から71年まで国連事務総長をつとめた。74年に米国で死去したが、軍事政権では評価されてこなかった。この家も近年になって整備されてまだ間もない。
 
 ウ・タントの家から、アウンサン・スー・チーの家へと向かう。再び、1時間くらい歩いて到着した。1989年から2010年までのうちの15年間、この壁の中の邸宅に軟禁されてきた。前回の訪問の2005年のときは、この前の道路は封鎖されていて、この門に近づくこともできなかった。

 大きな家の周囲は高い外壁で囲まれていて、内部の様子はまったくわからない。玄関の扉も、中が見えない扉になっている。民主化後、ここは観光地化してきているが、単に門を見るくらいしかできることはない。
 
 インヤー湖。ヤンゴンで一番大きい池。景色がよい。この周辺がヤンゴンでも最も高級な住宅地区だ。アウンサン・スー・チーの家もこの湖の南岸に面している。

 ここで、湖岸に腰かけて、しばらく休憩した。ゴミゴミ感もあるヤンゴンの中ではオアシスのようなところだ。
 
 インヤー湖からは、南へ歩くこと1時間ほど。チャウッターヂー・パゴダへ。大きな寝仏で有名なパゴダだ。

 入口でサンダルを脱ぎ、ちょっと長い通路を歩いた。

 下左  キラキラとした寝仏。全身を撮影することは難しい。

 下右  寝仏のある建物のすぐ前は駐車場になっていて、車の場合は簡単にアクセスできる。ここから外に出て、入口へと向かった。タクシーを拾う。市内中心部のレストランまで2500チャット。220円ほどだ。
 
YKKOでチェッオー
 
 上左  タクシーでダウンタウンのYKKOに直行。店はほかにもあるようだ。Kyay-Ohの文字が見えるがチェッオーと読む。麺料理のチェッオーが中心の店のようで、ミャンマーにしては明るくきれいな店だ。

 上右  ビールとだけ言ったらミャンマービール大瓶がでてくるのは他店と同じだ。

 左  注文したのはシーフードチェッオー。あっさりとした薄塩味のスープ。シーフードのほかに、チキン、ポークなどがあり、一番値段が高かったシーフードにした。麺はビーフンだが、細麺、太麺、混合麺の中から選べたので混合麺にした。スープ麺とドライ麺かも選べたので、ドライ麺にした。麺の上に具がたくさんのっていて、麺はみえない。
 
 
 上左  太麺と細麺が混じっているとこんな感じ。太麺は超太麺だった。

 上右  ドライ麺にはスープが別についてきた。麺とビールで10000チャットで少しおつりがあった。800円くらいか。値段的には昼食のミャンマー料理店と同じくらいだったが、今回は麺だけだったので、少し高めの店なのかもしれない。

 左  外気温29度で、夜8時とは思えない。夜でも汗がでててくる。宿に戻ってシャワーを浴びて1日を終えた。